Appleは、英国の法執行機関がクラウドデータへのアクセスを要求したことを受け、エンドツーエンド暗号化機能「Advanced Data Protection(ADP)」の提供を英国で停止した。これにより、英国のユーザーはiCloudのバックアップデータを高度に暗号化する機能を利用できなくなる。
この決定は、英国政府が通信監視を強化する法制度を推し進める中で下された。すでにADPを有効化しているユーザーは一時的に継続利用できるが、新たな有効化は2月16日以降拒否される。Appleは、エンドツーエンド暗号化を維持する立場を崩さず、政府に対し「バックドアの提供は行わない」と明言。
今回の措置が英国のみならず、米国を含む各国のデータプライバシー政策に影響を及ぼす可能性が指摘されている。
英国政府の規制強化とAppleの選択 エンドツーエンド暗号化が直面する壁

英国政府は、通信データへのアクセスを強化する法制度を推し進めており、今回のAppleの決定はその影響を受けたものといえる。特に「オンライン安全法」や「調査権限法」に基づき、企業に対して法執行機関が必要と判断した場合にデータ提供を義務付ける動きが強まっている。
これにより、英国国内で提供される暗号化技術の制約が拡大し、プライバシー保護と安全保障の間で新たな対立を生んでいる。Appleは従来より、ユーザーデータの保護を最優先に掲げてきた。エンドツーエンド暗号化は、データの完全な秘匿性を維持するために不可欠な技術であり、Appleは「バックドアの作成は一切行わない」と断言している。
しかし、英国政府の要求は「特定のアカウント」ではなく「iCloudデータ全体」へのアクセスを求めるものであり、これはAppleのセキュリティポリシーと完全に対立するものだった。Appleが英国でのADP提供を断念した背景には、政府の要求に応じることで生じる技術的・倫理的なリスクがあったと考えられる。
もしAppleが英国の要請に従い暗号化に抜け道を設ければ、それは他国にも波及し、結果として世界中のユーザーのプライバシーが脅かされる可能性がある。今回の決定は、英国市場を失うリスクよりも、グローバルなセキュリティ基準の維持を優先した選択であるといえる。
セキュリティ専門家が指摘する懸念 英国の決定がもたらす影響
Appleの決定を受け、セキュリティ専門家からは英国ユーザーのデータ保護が弱体化するとの懸念が相次いでいる。エンドツーエンド暗号化が提供されない場合、クラウド上の個人データは、ハッカーやサイバー犯罪者に狙われるリスクが高まる。特に、医療データや財務情報といった機密性の高いデータが保護されない状態となることが問題視されている。
インターネット協会の技術者ジョセフ・ロレンツォ・ホール氏は、「Appleが英国政府の要求を拒否したことで、世界中のユーザーはエンドツーエンド暗号化を維持できるが、英国ユーザーのセキュリティは著しく低下する」と指摘する。また、英国政府の方針が今後他国にも波及する可能性について警鐘を鳴らしている。
一方で、英国政府の立場は「犯罪捜査と国家安全保障の強化」を優先するものだ。法執行機関は、暗号化データが捜査を阻害し、テロリズムや組織犯罪対策の妨げになっていると主張する。しかし、この議論には技術者やプライバシー擁護団体から強い反発がある。
暗号化を制限すれば、一般市民のデータも保護されなくなり、ハッキングや情報漏洩のリスクが飛躍的に増大するというのが専門家の見解だ。英国政府の方針は、Appleのみならず、GoogleやMetaといった他のテクノロジー企業にも影響を及ぼす可能性がある。
今後、英国がさらなる規制を強化すれば、他の企業も同様に機能の提供を制限する動きに出る可能性がある。この問題は、単なる一企業の決定にとどまらず、デジタルプライバシーの未来を左右する大きな転換点となるかもしれない。
米国にも波及する可能性 英国の要求は世界的な規制強化の前兆か
英国政府の要求が今後、米国やその他の国々にも影響を及ぼす可能性がある点は見逃せない。すでに米国では、民主党のロン・ワイデン上院議員と共和党のアンディ・ビッグス下院議員が国家情報長官に対し、英国の要求を受け入れることは「米国民および米国政府のプライバシーとセキュリティを深刻に脅かす」と警告を発している。
Appleは「市場ごとに異なる暗号化ソフトウェアを開発しない」と明言しているため、もし英国政府の要求に応じてバックドアを作成すれば、その影響は米国や他国にも及ぶ可能性がある。企業や個人のデータが英国政府の監視対象となるだけでなく、その技術が他の政府機関や悪意のある第三者に流用されるリスクが指摘されている。
米国の国家安全保障や法執行機関の中には、「合法的なアクセス」の必要性を訴える声も根強く存在する。特に、テロリズムやサイバー犯罪対策の観点から、Appleのような企業に対し、特定のケースでデータ提供を義務付けるべきだという主張もある。しかし、Appleはこれまで一貫して「バックドアの作成はセキュリティ全体を弱体化させる」としており、この方針を変更する兆しは見られない。
英国政府の要求が国際的な規制強化の前兆となるかどうかは、今後の各国の対応にかかっている。米国の議会が英国の動きをどのように評価し、Appleや他のテクノロジー企業への圧力を強めるのかが注目される。デジタルプライバシーをめぐる議論は、企業、政府、そしてユーザーの間で引き続き激しく交わされることになるだろう。
Source:CyberScoop