「コメは足りている」。長年そう言い続けてきた政府は 2025 年8月、突如その旗印を降ろし「増産」を宣言した。背景にあったのは 2024 年夏から秋にかけて広がった“コメ不足”騒動――スーパーの棚から米袋が消え、5 kg当たり小売価格は前年同月比7割高の 4,000 円台へ。50 年続いた減反体制が崩れ落ちる瞬間だった。だが「作る人がいない」「田んぼが荒れている」という現場の声は深刻だ。この“政策パラドックス”を読み解き、稲作再生の処方箋を探る。

コメ不足はなぜ起きたのか――3つの誤算

  1. 猛暑と高温障害による減収
    2023 年産米は登熟期の平均気温が平年比+1.8 ℃。一等米比率は全国平均で 65 %(前年 80 %)へ低下し、生産量は5年間で最大の60 万 t 減となった。
  2. 需要の読み違え
    コロナ禍明けのインバウンド回復で外食向け需要が急増。農水省は「在庫で吸収できる」と判断したが、24 年6月末の民間在庫は統計開始以来最少の 155 万 t。端境期と地震不安が重なり買いだめが連鎖した。
  3. 長年の生産調整による“供給余力ゼロ”
    減反補助金は18 年に制度上廃止されたものの、飼料用米等への転作奨励が続き、主食用米の作付面積は実質横ばい。需給バランスがギリギリで回っていたところに不作が直撃した。

結果、東京区部のコシヒカリ小売価格(5 kg)は 2024 年12 月に 4,018 円。農家手取価格(60 kg玄米)も過去最高水準に跳ね上がり、「令和の米騒動」と呼ばれる事態に発展した。

決断:減反から増産へ――首相が下した「過去の誤り」認定

石破茂首相は 2025 年8月5日、関係閣僚会議で「需要見通しの甘さによる生産不足」を公式に認め、減反路線を転換。「需給に応じた増産支援」を掲げ、①農地集約・スマート農業投資、②国家備蓄制度の即応化、③作況指数の廃止と在庫・需要モニタリング強化――を柱とする総合対策を指示した。

小泉進次郎農水相は「一律増産ではなく、収益性と需要の両睨みが前提」とコメント。与党農林族は 2026 年度予算へ向け具体策を詰めるが、現場からは「高齢化で担い手がいないのにどうやって」「過剰になれば米価暴落が再来する」と不安が噴出している。

統計で読む稲作の現在地

指標2015202020232024傾向
主食用米収穫量 (万 t)781745716736▼長期減少
作付面積 (万 ha)147138134136▼減少続くが微増の年も
民間在庫 (万 t、6月末)222198195155▼最低水準
コシヒカリ小売価格 (円/5 kg、東京区部)2,6202,4102,4304,018▲急騰
農業従事者平均年齢 (歳)66.567.868.468.6▲高齢化

出所:農林水産省統計、総務省小売物価統計などを基に編集部作成

数字が示す通り、生産は細る一方で需給のクッションとなる在庫が痩せ細り、そこへ価格ショックが加わった構図だ。平均年齢68 歳という人材構造を見ると、「増産」の大号令を誰が担うのかは極めて切実である。

現場と専門家が語る「3つのリスク」

(1)担い手と農地――“作りたくても作れない”

鹿児島県の大規模農家(70 代)は「周りはみんな後期高齢者。機械を動かせる若い衆がいない」と嘆く。全国で耕作放棄地は42 万 ha、東京都の面積に匹敵する。水路やため池の老朽化も進み、短期での増産は机上の空論になりかねない。

(2)価格急落のブーメラン

滋賀県で27 haを営む中堅農家は「価格が3千円台後半だから黒字。でも増産で余れば暴落する」と懸念する。過去にも2000年代の米価下落で離農が続出した記憶が生々しい。価格安定策とセットでなければ農家は動けない。

(3)気候とコストの複合リスク

2023 年の猛暑被害に加え、肥料・燃料は輸入依存。折笠俊輔・流通経済研究所主席研究員は「供給を増やすなら需要も増やす。輸出拡大は不可欠」と指摘。海外市場を吸収弁にしなければ、再び余剰と不足が振り子のように振れるだけだ。

“50年ぶりのチャンス”を逃すな

減反はコメ余りの副作用を抑えた一方で、供給余力を削り取り、農業人口の新陳代謝を妨げてきた。今、政策の振り子が「増産」に振れたが、それを支える人・土地・市場の整備なしに稲作の持続性はない。森永康平氏が言うように「政策の誤りを認めた勇気」は評価できる。ならば次は“誤りを繰り返さない制度設計”を示す番だ。

“令和の米騒動”は終わっていない。食卓と田んぼをつなぐすべてのプレーヤーが、この危機を契機に稲作を「縮小均衡」から「成長循環」へ転換できるか――50年ぶりのチャンスが、いま水面(みなも)に浮かんでいる。