2050年のカーボンニュートラル実現に向け、日本政府は洋上風力発電を再生可能エネルギー拡大の「切り札」と位置づけてきた。四方を海に囲まれた地理的条件を活かし、2030年までに10GW、2040年までに30〜45GWの導入を目指すという野心的な目標は、エネルギー安全保障と新産業の育成を兼ねた国家的プロジェクトであった。

しかし、その先鋒を担うはずだった三菱商事と中部電力子会社シーテックを中心とする企業連合が、秋田県沖と千葉県沖で進めていた3つの大規模プロジェクトからの撤退を発表した。建設費の高騰と急激な円安を背景に採算性が崩れたことが直接的な理由とされるが、その背後には制度設計の歪みやサプライチェーンの脆弱性といった構造的課題が潜む。

この決定は経済産業大臣が「信じられない」と語るほどの衝撃を与え、日本のエネルギー戦略に大きな疑問符を突きつけた。本稿では、撤退の経緯を検証し、日本の洋上風力産業が抱える深層的課題を多角的に分析するとともに、官民・地域が一体となって持続可能な市場を再構築するための道筋を探る。

三菱商事撤退の舞台裏:価格破壊から事業断念まで

三菱商事と中部電力子会社シーテックを中心とする企業連合は、2021年の第1回洋上風力公募で秋田県沖と千葉県沖の3海域を一挙に落札した。当時提示した売電価格は1キロワット時あたり11.99円から16.49円という破格の水準であり、政府想定を大きく下回るものであった。業界内では「採算が取れるのか」という疑念が即座に広がり、過度な価格競争に突き進む入札制度の危うさが早くから指摘されていた。

2025年8月、三菱商事は正式に撤退を表明した。背景にはウクライナ危機後のインフレ、原材料高騰、急激な円安といった外部環境の激変がある。当初1兆円規模と試算していた建設費は2倍以上に膨れ上がり、採算ラインを維持できないと判断された。撤退により三菱商事は524億円、中部電力は356億円の損失を計上、さらに200億円の保証金は国庫に没収された。国家プロジェクトの中核が、巨額損失を受け入れても撤退を選ばざるを得なかったこと自体が、制度の歪みを象徴している

一部のアナリストは、三菱商事が十分な調査や分析を経ずに過度に安い価格を提示したこと自体を「無責任」と批判している。価格破壊は業界全体のリスクテイクを過度に高め、制度的に健全な競争環境を阻害した。実際、政府の評価基準は価格重視に偏っており、技術力や地域との共生策といった非価格要素が軽視された。その結果、事業者はリスクを正当に反映できず、最終的に事業頓挫を招くという逆説的な構図となった。

今回の撤退は単なるコスト高騰の問題にとどまらない。国策事業であっても、制度設計と事業環境が不十分であれば、企業は合理的に撤退を選ぶという現実を突きつけた。これは、政策の持続性や市場設計の不備を根本から問い直す警鐘となった。


日本の洋上風力が抱える地理的・技術的制約

三菱商事の撤退は、日本の洋上風力発電が構造的に抱える課題を浮き彫りにした。最大の特徴は、欧州のような遠浅の海岸線が乏しく、急激に水深が深くなる地形にある。このため、比較的低コストで導入可能な「着床式」よりも、高コストの「浮体式」に依存せざるを得ない。さらに日本特有の台風や高波といった厳しい気象条件は、建設・運用コストを押し上げる要因となる。

洋上風力の均等化発電原価(LCOE)を比較すると、日本は欧州諸国に比べて極めて高い水準にある。

国名LCOE(円/kWh)主な要因
日本22〜28円海象条件の厳しさ、国内サプライチェーン不足、円安
英国約8.5円安定した市場制度
ドイツ約13〜16円強固なサプライチェーン
米国約14〜17円政策支援と港湾整備

この差は、単なる気象条件だけではなく、国内の供給網やインフラ不足が大きく影響している。大型風車の主要部品を国内で製造できる企業は乏しく、ナセルやブレードなどは海外依存が続いている。さらに、設置に必要な特殊作業船(SEP船)も国内に限られており、海外からの調達に頼らざるを得ない。このような状況は為替変動や世界的インフレの影響を受けやすく、コストの不確実性を増大させている。

また、こうした高コスト構造の下でも政府は洋上風力を「コスト競争力のある電源」と位置づけており、政策と実態の乖離が深刻化している。政策目標と現場の現実がかみ合わない限り、再び撤退や頓挫が生じるリスクは避けられない。今回の三菱商事の撤退は、その象徴的な事例といえるだろう。

サプライチェーンの脆弱性と高コスト構造の現実

日本の洋上風力発電は、表面的には自然条件の厳しさがコスト高の要因とされがちだが、より深刻なのは産業構造そのものの脆弱性である。発電設備を構成する数万点の部品のうち、ナセルやブレードといった主要部品を国内で製造できる企業はほとんど存在せず、欧州メーカーへの依存度が極めて高い。結果として、為替変動や世界的なインフレによって調達コストが直撃する構造が固定化されている。

さらに、設置に不可欠な特殊大型船「SEP船」の不足も深刻だ。欧州では多数の専用船が稼働しているのに対し、日本国内では限られた数しかなく、海外からのチャーターに頼らざるを得ない。これにより建設費用は上昇し、工期も為替や国際的な船舶需給に左右される。サプライチェーンの弱さは、単なるコスト要因にとどまらず、事業計画そのものの不確実性を増幅させている

コスト構造を国際比較すると、日本の洋上風力の均等化発電原価(LCOE)は22〜28円/kWhと、英国の8.5円、ドイツの13〜16円、米国の14〜17円を大きく上回る。

国・地域LCOE(円/kWh)主な要因
日本22〜28円海象条件、供給網不足、円安影響
英国約8.5円技術成熟、規模の経済
ドイツ約13〜16円強固な産業基盤
米国約14〜17円政策支援、インフラ整備

この差は単なる自然条件の違いでは説明できない。背景には、国内メーカーの育成不足やインフラ投資の遅れがある。欧州では30年以上前から産業一体型の政策が進められ、部品供給から港湾整備まで一貫したエコシステムが形成された。一方、日本は再生可能エネルギー全般への投資判断が後手に回り、国際競争力を持つ企業群が育たなかった。

専門家は「国内サプライチェーンを育成しなければ、コストは永遠に高止まりする」と警鐘を鳴らす。つまり、今回の撤退劇は偶発的な損失ではなく、産業基盤を軽視してきた長年の政策のツケが顕在化した象徴的な出来事だと言える。


入札制度の迷走と政策の不確実性

三菱商事撤退の背後には、入札制度の歪みも大きく影響している。第1ラウンドでは評価点の約半分を価格が占め、極端な低価格入札を誘発した。結果として三菱商事連合が3海域を総取りする事態となり、「公正な競争環境が失われた」と批判を浴びた。

その後、政府は第2ラウンドで「1事業体あたりの落札上限容量を100万kW」に制限し、さらに「迅速性」を評価に組み込んだ。これにより複数案件の独占は防がれたが、既に複数海域で準備を進めていた事業者からは「政策が場当たり的だ」との不信感が広がった。つまり、政策の予見性が欠けていることが、企業にとって最大のリスク要因となっている

入札ルールの比較を整理すると以下の通りである。

項目第1ラウンド第2ラウンド結果
落札容量上限なし100万kW総取り防止
迅速性評価なし20点を配点工期短縮を促すが実効性疑問
価格評価評価点の約半分を占める継続価格重視姿勢は維持
実現性評価独立した評価総合評価に組込みリスク対応力が求められる

海外でも同様の問題が生じている。英国では2023年の入札で基準価格がインフレに対応できず、応札ゼロという異常事態が発生。米国でも事業者がコスト増を理由に契約価格の見直しを要望するなど、世界的に制度の柔軟性が課題となっている。

こうした事例は、日本が直面する問題が特殊ではなく、国際的な再エネ市場全体に共通するものであることを示す。しかし、日本の場合は制度変更が頻繁で不透明感が強く、事業者の信頼を損なう度合いが大きい。結果として、資金調達の難化や投資家の回避姿勢を招き、導入目標達成はますます困難となる。

価格競争偏重から脱却し、長期的な政策の安定性と柔軟性を備えた入札制度に移行しなければ、再び撤退や頓挫を繰り返すリスクが高い。三菱商事の撤退は、政府がこの現実に向き合うことを迫る象徴的な警鐘となった。

エネルギー政策とGX戦略に与える打撃

日本政府は2050年カーボンニュートラルを掲げ、洋上風力発電を再生可能エネルギー拡大の中核に据えてきた。2030年に10GW、2040年に30〜45GWという導入目標は、エネルギー安全保障とGX(グリーントランスフォーメーション)の双方を担う国家的戦略であった。しかし、三菱商事連合の撤退はこの戦略に深刻な遅れをもたらすことが確実となった。

エネルギー基本計画では再生可能エネルギー比率を2040年代に40〜50%へ引き上げる方針を示しているが、今回の撤退により導入ペースが大幅に鈍化する。国策プロジェクトの失敗は、社会全体に「再生可能エネルギーは不安定でコストが高い」という印象を強め、国民の支持基盤を揺るがす危険性を孕む。特に、国を代表する総合商社が採算性を理由に撤退したという事実は、洋上風力そのものの信頼性を揺るがす象徴的出来事となった

また、この影響は国際的な信用にも及ぶ。日本はアジアの再生可能エネルギー市場をリードする立場を目指してきたが、基幹プロジェクトの挫折は海外投資家や海外事業者から「日本市場は不透明でリスクが高い」との認識を強める。結果として外資の参入が鈍化すれば、技術移転や国際的協調の機会を失うことになる。

経済産業省関係者からは「GX実行会議で掲げた目標が現実味を失いかねない」との懸念が聞かれる。すでに再公募の検討が進んでいるが、事業者にとっては政策の信頼性が揺らいだままであり、再入札への積極姿勢は期待しにくい。むしろ、撤退の影響で投資回避が進み、達成困難な導入目標が形骸化する恐れがある。

エネルギー戦略の要である洋上風力がつまずいた今、政府が優先すべきは制度の安定性と投資環境の信頼回復である。長期的な予見性を持たせる仕組みがなければ、GXの実現は空論に終わりかねない。


地域社会と漁業との共生課題の再燃

三菱商事が撤退を表明した秋田県と千葉県は、洋上風力による地域振興に大きな期待を寄せてきた。基地港湾整備や関連産業の誘致が進められていた中での撤退は、地元住民や自治体に深刻な失望をもたらした。秋田県の鈴木健太知事は「極めて残念で衝撃的」と述べ、千葉県の熊谷俊人知事も「振り回された」と不満を表明した。

特に影響が大きいのは漁業との関係である。洋上風力は広大な海域を利用するため、漁業活動に物理的制約を与える可能性が避けられない。銚子市沖では漁業者との共生を目指し100億円規模の基金設立が構想されていたが、撤退によりすべて白紙に戻った。地域との信頼関係が一度失われると、再公募に際して新たな事業者が合意形成を行うのは極めて困難となる

欧州では漁業者を事業に巻き込み、利益の一部を地域に還元するモデルが普及している。例えばデンマークのMiddelgrunden洋上風力では、漁業団体や住民が共同出資し、観光資源としても活用されている。対照的に日本では補償金支払いが中心で、共生の仕組みが十分に構築されていない。結果として「大企業に振り回される」という不信感が根強く残る。

また、撤退は地元経済全体にも波及する。建設需要や港湾整備に依存していた建設業や海運業にとって、計画中止は収益計画を覆す打撃となる。地元の雇用創出への期待も一気に後退し、地域経済の持続性が揺らいでいる。

漁業関係者との共生課題は今後も再燃することは避けられない。人工魚礁の設置や水産資源保護策など、具体的に漁業振興につながる仕組みが不可欠である。単なる補償ではなく、地域と長期的に利益を共有するモデルを構築しなければ、洋上風力の社会的受容性は得られない。三菱商事の撤退は、その課題を鮮明に浮かび上がらせた。

サプライチェーン強化と港湾整備に向けた戦略

洋上風力産業の持続的成長には、脆弱なサプライチェーンと遅れているインフラ整備の克服が不可欠である。現在、日本の洋上風力プロジェクトは主要部品を海外に大きく依存し、設置や保守に必要な特殊大型船も不足している。結果として、円安や国際的な需給変動に極めて脆弱な構造となり、建設費の高騰を招いている。

まず、拠点港湾の整備加速が急務だ。北九州港では大型風車の建設・保守を担う基地港湾整備が進んでおり、国内で先行事例となっている。しかし欧州では風車の大型化に対応できず、後に利用されなくなった港湾も存在する。将来の技術進化を見据え、柔軟で拡張性のある港湾計画を策定することが不可欠である

また、拠点港湾は単なる物流拠点にとどまらず、産業開発の中核として機能させる必要がある。建設・輸送・メンテナンスを一体で支えるハブとして整備することで、地域経済への波及効果も大きくなる。各省庁の縦割りを超えた協調体制を築き、電源開発と産業育成を統合的に進めることが求められる。

サプライチェーン強化の面では、国内産業の育成と国際協力の両輪が鍵となる。政府は2040年までに国内調達比率を60%に引き上げる目標を掲げているが、その実現には大規模な設備投資支援が不可欠だ。同時に、海外の先進技術を積極的に導入し、国内企業の競争力を高める政策も必要である。

さらに注目されるのがアジア全体での協調戦略である。日本単独では規模の経済を実現しにくいため、韓国や台湾といった気象条件が類似する国々と連携し、共同調達や共同研究を進めることでコスト削減と技術開発を加速できる。国内外のネットワークを強化することが、日本の洋上風力を国際市場で競争力ある産業に育てる唯一の道筋である


官民・地域連携による持続可能な市場再構築

三菱商事の撤退は、企業が過大なリスクを一方的に負うビジネスモデルの限界を露呈した。持続可能な市場を構築するためには、官民がリスクと利益を公平に分担し、地域と共に歩む新たな枠組みが不可欠である。

まず政府は、政策の予見性を高めることで事業者の資金調達環境を改善しなければならない。頻繁な制度変更や不透明な入札ルールは、事業リスクを増幅させる最大の要因である。長期的な計画と安定した制度を整備することが、投資家や企業の信頼回復につながる。

地域連携の面では、漁業者との共生が最重要課題となる。欧州の成功事例に学べば、単なる補償金ではなく、地域住民や漁業団体が事業に参画し、利益を共有する仕組みが効果的である。デンマークのMiddelgrunden洋上風力では、地元組合が出資し観光資源としても活用することで、社会的受容性を高めている。日本においても人工魚礁の設置や漁業支援基金の運営など、直接的に漁業振興につながる施策を展開する必要がある。

さらに、官民が一体となり「日本版セントラル方式」を加速させることも不可欠だ。風況や地質の調査を政府が主導して行い、その成果を事業者に提供する仕組みを確立すれば、初期リスクを低減し、事業スピードを高められる。これにより、地域社会への説明や漁業者との交渉も効率化され、信頼関係構築に資する。

官民・地域が共に利益を分かち合う新たなモデルを築くことができなければ、日本の洋上風力は再び同じ失敗を繰り返すだろう。撤退劇を教訓とし、協調と共生を基盤に据えた市場再構築が、今まさに問われている。

まとめ

三菱商事の洋上風力撤退は、単なる一企業の経営判断にとどまらず、日本のエネルギー戦略そのものに突きつけられた警鐘であった。建設費の急騰や為替変動といった外的要因に加え、入札制度の歪み、脆弱なサプライチェーン、地域との信頼関係不足といった構造的課題が複合的に作用し、国家的プロジェクトが頓挫したのである。

政府が掲げる2030年10GW、2040年30〜45GWという導入目標は、現実味を失いつつある。長期的に安定した制度設計と、官民・地域が一体となった共生モデルの確立がなければ、再び同じ過ちを繰り返す可能性が高い

しかし、この挫折は新たな出発点ともなり得る。サプライチェーン強化、港湾整備、地域と共生する仕組みを着実に積み上げていくことで、日本の洋上風力は国際市場でも競争力を持つ産業に成長できる。撤退を危機として終わらせるのか、それとも改革の契機として活かすのか。日本のエネルギー政策は、今まさに大きな岐路に立たされている。


出典一覧

Reinforz Insight
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