日本企業が直面する最大の経営課題の一つが「リーダーシップ不足」である。帝国データバンクの調査によれば、企業の約7割がリーダー人材の不足を実感しており、これは単なる人材不足ではなく、組織の持続可能性を揺るがす構造的な問題として表面化している。特に若手世代の多くはリーダー職を避け、責任ある立場を敬遠する傾向が強まっており、年功序列を基盤とする雇用慣行がその背景にある。
一方で、従業員エンゲージメントは世界平均を大きく下回り、仕事への熱意を欠いた状態が長期的に続いている。この低迷は、上意下達型の管理や曖昧な評価制度といった従来型マネジメントの限界を浮き彫りにしている。
しかし、AIや多様性の進展、リモートワークの拡大といった環境変化は、リーダー像そのものを大きく変えつつある。最新の研究や企業事例は、従来の単一モデルを超え、状況に応じて複数のスタイルを使い分ける「複合型リーダーシップ」への転換を強く示唆している。本記事では、日本企業が直面する課題を解剖するとともに、未来のリーダーに求められるスキルや行動原則を具体的に提示する。
日本企業を覆う「リーダーシップ・ギャップ」の深刻な現実

データが示すリーダー不足の実態
日本企業は現在、深刻なリーダー不足という構造的課題に直面している。帝国データバンクが2025年3月に実施した調査によれば、企業の67.8%が「リーダー人材の不足」を実感しており、これは正社員全体の人手不足感(53.0%)を大きく上回る。さらに、リーダー育成上の最大の課題として、59.8%の企業が「リーダー職への意欲の低さ」を指摘している。
特に若手社員からは「責任ある立場になりたくない」という声が多く、30代以下ではその傾向が顕著だ。人事担当者を対象とした調査でも、新卒採用で「リーダーシップ」を重視すると回答した企業はわずか12.5%にとどまり、採用段階からリーダー育成が軽視されている現状が浮き彫りとなっている。
指標 | 日本の状況 | 補足 |
---|---|---|
リーダー人材不足を実感する企業 | 67.8% | 全人手不足感(53.0%)を上回る |
リーダー育成の最大課題 | 「リーダー職への意欲の低さ」(59.8%) | 特に30代以下で顕著 |
新卒採用で重視される能力 | 「リーダーシップ」(12.5%) | 他能力に比べ著しく低い |
年功序列が生む意欲低下の構造的矛盾
リーダー職への意欲低下の背景には、日本特有の年功序列制度がある。年齢や勤続年数が重視されるこの制度では、成果が必ずしも正当に評価されず、若手は「頑張っても報われない」「責任だけが増える」と感じやすい。その結果、昇進を避ける風潮が強まり、リーダー候補層が育ちにくい悪循環が生まれている。
さらに、現リーダー層も過度な負担を抱えており、次世代育成に十分な時間や余力を割けない。結果としてリーダー候補が育たず、組織全体でリーダー不足が深刻化する「負の連鎖」が形成されている。
リーダー人材不足は個々人の意欲問題にとどまらず、組織の持続可能性を左右する経営課題である。経営層の危機感は高まっているが、依然として抜本的な解決策は模索段階にある。
従業員エンゲージメント低迷の裏にある日本型マネジメントの限界
世界平均を大きく下回るエンゲージメント率
日本企業におけるリーダーシップ不在は、従業員エンゲージメントの低さとして顕著に現れている。ギャラップ社の2024年調査によれば、**日本の従業員エンゲージメントはわずか6%**であり、グローバル平均の23%を大きく下回る。しかも、この数値は10年以上改善が見られず、構造的な問題が根深く存在することを示している。
驚くべきは、この低いエンゲージメントにもかかわらず、日本の従業員が日常的に感じる「ストレス」や「不安」「怒り」といったネガティブ感情の割合は、欧米諸国と同等かそれ以下である点だ。心理学的には通常、エンゲージメントが低いとネガティブ感情が増加する傾向があるが、日本ではこの関係が成立していない。このパラドックスの背景には、日本独自の「安定志向の雇用文化」があるとされる。
「空気を読む」文化と管理型組織の機能不全
日本企業の雇用は、終身雇用や解雇リスクの低さを特徴とする「メンバーシップ型雇用」が中心だ。この仕組みは、従業員に仕事の安定を与える一方で、個々の成長やキャリア形成への意欲を削ぎ、結果としてエンゲージメントを低下させている。
さらに、エンゲージメント低迷の要因として、以下の点が指摘されている。
- 公正な人事評価の不足
- キャリア形成支援の欠如
- 上司のリーダーシップ不足
- 複雑な組織体制と曖昧な評価制度
こうした要因のもと、従業員は自らの努力が正当に認められないと感じ、仕事への熱意を失っている。加えて、日本特有の「空気を読む」文化は、意見表明をためらわせ、心理的安全性の低さを招く。
結果として、従業員が無力感や疎外感を抱え、イノベーションや主体的行動が生まれにくい土壌となっている。従業員エンゲージメントの改善なくして、日本企業の競争力強化は実現しないことが明らかだ。
AI時代に求められるリーダーの新スキルセット

データリテラシーと倫理的判断の両立
AIの急速な進化は、ビジネスのあらゆる領域を再構築しつつある。マッキンゼーの分析によれば、AIの活用により一部業務の40%が自動化可能とされるが、その導入は従業員に不安をもたらす。特に職の安定性や過度な監視への懸念は顕著であり、リーダーはAI活用の効率性と従業員の心理的安心を同時に守る役割を担う必要がある。
このため、リーダーには高度なデータリテラシーが不可欠だ。膨大なデータ分析をAIに委ねるだけでは不十分であり、その前提やリスクを理解し、意思決定に活かす力が求められる。また、AIの分析結果をメンバーに噛み砕いて説明し、納得感を持たせるスキルも欠かせない。
テクノロジーを「人間回帰」の契機に
AIの進化は冷徹な効率化ではなく、むしろリーダーシップの「人間回帰」を促している。AIは人間の感情や信頼関係を理解できないため、リーダーには共感力や感情知能(EQ)に基づいた対応が求められる。
例えば、新システム導入に伴う現場の抵抗を無視すれば、生産性低下や離職が進む可能性がある。これを防ぐには、リーダー自らが従業員の不安を傾聴し、共感を示しながら変革を進める姿勢が不可欠だ。
箇条書きで整理すると、AI時代のリーダーに必要な能力は以下の通りである。
- データリテラシーと意思決定能力
- 倫理観とリスク認識
- 共感力と感情知能
- 技術を人間的価値へと橋渡しする力
AIを単なる効率化の道具として捉えるのではなく、人と人とのつながりを補強する存在と位置づけることで、組織の信頼と生産性を同時に高めることが可能になる。
多様性の時代におけるインクルーシブ・リーダーシップの核心
無意識のバイアスを克服する6つの行動特性
グローバル化と働き方の多様化が進む現代、組織の成果を左右するのは多様な個性を活かす力だ。Harvard Business Reviewなどが提示する研究では、インクルーシブ・リーダーには以下の6つの特性が必要とされる。
特性 | 内容 |
---|---|
目に見えるコミットメント | 多様性推進を明確に表明し、自ら率先して行動 |
謙虚さ | 過ちを認め、他者の意見を尊重 |
バイアス認識 | 無意識の偏見を理解し、公平な評価を徹底 |
他者への好奇心 | 傾聴を通じて共感的に理解 |
文化的知性 | 多様な文化背景に柔軟に対応 |
チームワーク促進 | 権限委譲と心理的安全性の確保 |
心理的安全性が欠如した組織では、メンバーは「無知だと思われる不安」から発言をためらい、イノベーションが阻害される。インクルーシブ・リーダーは自らのバイアスを認め、謙虚さを示すことでこの障壁を取り除き、集合的知性を引き出すことができる。
心理的安全性が生むイノベーション効果
グーグルが実施した「プロジェクト・アリストテレス」では、心理的安全性がチームの成果に最も大きな影響を与えることが確認された。日本でも同様に、心理的安全性の高い組織は離職率が低く、従業員の主体的な提案が増える傾向にある。
具体的には、心理的安全性が高まることで以下の効果が期待できる。
- 多様な意見の共有による問題解決力の向上
- 新規アイデアの創出とイノベーション促進
- チームの結束力と信頼関係の強化
ダイバーシティは単なるスローガンではなく、実践的なリーダーシップ行動を通じて初めて成果につながる。インクルーシブ・リーダーはその中核を担い、日本企業が低エンゲージメントの壁を超える鍵を握っている。
日本発の事例に学ぶリーダーシップ変革

稲盛和夫氏が導いたJAL再建の哲学
2010年に経営破綻した日本航空(JAL)は、京セラ創業者の稲盛和夫氏のリーダーシップによってわずか2年で黒字化し、2012年には再上場を果たした。この奇跡的なV字回復の核心は、構造改革だけでなく、全社員の意識改革にあった。
稲盛氏は自身の経営哲学を「JALフィロソフィ」として小冊子にまとめ、全社員に配布。さらに勉強会や実践報告会を重ね、社員一人ひとりに価値観を浸透させた。その姿勢は無報酬で会長職を引き受けたことにも象徴されるように、誠実さと倫理観に裏打ちされた「率先垂範」型リーダーシップであった。社員は「このリーダーのためなら頑張れる」と感じ、強い信頼関係が組織を変革へと導いた。
富士フイルムが危機を成長へ転換した戦略的リーダーシップ
写真フィルム事業の消失という壊滅的危機に直面した富士フイルムも、古森重隆社長のリーダーシップの下で再生を果たした。古森氏は「読む」「構想する」「伝える」「実行する」というプロセスを軸に、事業を医薬品や化粧品分野へ大胆に転換。年間2000億円規模の研究開発投資を維持しつつ、短期的には化粧品ブランド「アスタリフト」をヒットさせ、従業員に変革への信頼を築いた。
危機感を共有しつつ明確な未来像を提示し、短期成果と長期投資を両立させる戦略的リーダーシップが組織を救ったのである。JALと富士フイルムの事例は、アプローチこそ異なるが、危機を成長へと転換する共通原則を示している。
リーダー育成と組織文化改革への提言
リーダーシップを「職位」から「スキル」へ
低エンゲージメントとリーダー不足に悩む日本企業に必要なのは、リーダーシップを一部の管理職に限定せず、全社員が身につけるべきスキルと捉える発想転換である。リーダーシップ教育を新人や若手から体系的に導入し、早期にリーダー候補を育てることが欠かせない。
アビタスや人材開発企業の調査でも、リーダーシップ教育を全社的に実施する組織ほど、従業員エンゲージメントや離職率低下に効果が見られるとされる。
公正な評価と心理的安全性の設計指針
また、リーダーシップを発揮できる環境づくりには、公正な評価制度と心理的安全性が不可欠だ。Gallupの分析では、公正なフィードバックを得た従業員はエンゲージメントが3倍に高まるとされる。リーダーは定期的な1on1を通じて部下の意見を傾聴し、安心して発言できる場を提供する必要がある。
さらに、リモートワーク時代においては、プロジェクト管理ツールやオンライン雑談会を活用し、意図的に「人と人のつながり」を設計することが組織文化の鍵となる。
箇条書きで整理すると、日本企業に必要な改革の方向性は以下の通りである。
- リーダーシップ教育を全社員対象に展開
- 公正な評価制度とフィードバックの仕組み化
- 心理的安全性を文化として根付かせる
- AIやツールを「人間関係強化」の手段として活用
これらを実行することで、日本企業は低エンゲージメントという壁を乗り越え、持続的な競争力を確立できるだろう。
まとめ
日本企業が直面するリーダーシップ不足と従業員エンゲージメントの低迷は、単なる人材課題ではなく、組織の持続可能性を左右する経営上の本質的問題である。年功序列や「空気を読む」文化に依存した従来型マネジメントは限界を迎えており、変革を先送りすれば、国際競争力の低下は避けられない。
一方で、AIの進展や多様性の拡大は、新しいリーダー像を模索する大きな契機となっている。未来のリーダーには、データリテラシーと倫理観を両立させる力、そして共感や心理的安全性を基盤に組織を導く姿勢が求められる。さらに、リーダーシップを「職位」ではなく「スキル」と捉え、全社員が主体的に学び、発揮できる文化を醸成することが不可欠である。
日本航空や富士フイルムの再建事例が示すように、トップリーダーの覚悟と理念浸透、そして短期成果と長期投資を両立させる実行力があれば、組織は危機を乗り越え、新たな成長軌道を描くことが可能だ。日本企業は今こそ、時代の要請に応じた「複合型リーダーシップ」へと舵を切るべき時にある。
出典一覧
- 株式会社帝国データバンク 「企業の67.8%が実感 育成に向けた課題は『リーダー職への意欲』不足がトップ」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001041.000043465.html - 日本の人事部 「レポート・統計データ」
https://jinjibu.jp/survey/ - 転職エージェント Izul 「年功序列制度の現状とは?制度の特徴やメリット・デメリットを紹介」
https://izul.co.jp/media/others/seniority/ - HRプロ 「『年功序列』とは? 意味や成果主義との違い、メリット・デメリットを解説」
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=2834 - 株式会社マネジメントサービスセンター 「リーダーを定着させるための7つのベストプラクティス」
https://www.msc-net.co.jp/column-20240229/ - ギャラップ 「【2024年最新】マネジャー必読のエンゲージメント調査レポート」
https://note.com/findurtalents/n/nf62fd34f324c - バヅクリ 「エンゲージメントが低い職場・社員の特徴とは?12の原因と対策を徹底解説」
https://buzzkuri.com/columns/engagement/8132/ - PR TIMES 「意外な姿が浮き彫りに。日本の従業員エンゲージメントの実態」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000033.000040235.html - note 「2025年の4つの重要なリーダーシップ・トレンド~人と人とのつながりが将来の成功をもたらす」
https://note.com/msc_ms/n/n1ec416086873 - DRAMATIC 「AI時代に求められるリーダーシップスキル」
https://note.com/dramatic_career/n/nc27a4bd9a565 - アビタス 「第三回:未来のリーダーに求められるスキルセット」
https://www.abitus.co.jp/column_voice/mba/column_voiceM036.html - Alue 「インクルーシブ・リーダーシップとは ~ダイバーシティを成果に」
https://service.alue.co.jp/blog/inclusive-leadership - リカレント 「インクルーシブ・リーダーシップはなぜ必要? 意味やメリット・デメリットを解説」
https://www.recurrent.co.jp/career/inclusive-leadership/ - CBASE 「インクルーシブリーダーシップとは?リーダーシップの種類と違い」
https://www.cbase.co.jp/column/article478/ - ミツカリ適性検査 「心理的安全性の論文の内容とは?エドモンソンの研究結果を読み解く」
https://mitsucari.com/blog/psychological_safety_research/ - りそなBiz Action 「JALの奇跡的再建を成し遂げた稲盛和夫氏の経営哲学とは」
https://www.resona-biz.jp/management-strategy/how-jal-successfully-rebuilt-itself/ - note(徳力基彦) 「売上の6割を占める主力事業を5年で失った富士フイルムが、破綻しなかった秘訣」
https://note.com/tokuriki/n/n9fd1258138c9