新学期を迎える教室で、ある政治的スローガンが教育関係者の間に深い懸念を呼び起こしている。「日本人ファースト」という言葉だ。本来は国民生活の安定や文化保護を訴える政策的なフレーズとして発信されたものだが、子どもたちの世界に持ち込まれると、その意味は単純化され、「日本人が一番、外国人は二番以下」という明確な序列意識として響きかねない。

すでに日本の学校では、外国ルーツの子どもたちが「外国人だから」「日本語が下手だから」といった理由で深刻ないじめに直面しているとの調査結果が相次いでいる。文部科学省の統計やサーベイリサーチセンターの調査は、こうした構造的な排除の現実を裏付ける。そこへ、政治的に権威を帯びた言葉が社会的「お墨付き」として加われば、いじめや差別が正当化される危険は否応なく高まる。

米国での「トランプ効果」、英国でのブレグジット後のヘイトクライム急増は、その危険性が決して仮説に留まらないことを示している。日本も同じ轍を踏む可能性は低くない。教育現場がいかにして多様性を守り、子どもたちの心を分断から包摂へと導くか。今まさに社会全体が試されている。

「日本人ファースト」が教育現場で波紋を呼ぶ理由

新学期を迎えた教室において、政治的なスローガン「日本人ファースト」が子どもたちの関係性に影を落とす兆しが見えている。もともとこの言葉は参政党などが掲げた政策的なメッセージであり、日本国民の生活や文化を守る意図があるとされる。しかし教育現場の視点からすれば、その言葉が持つ単純な序列意識こそが問題である。

文部科学省の調査によれば、2022年度に報告された「いじめ」の件数は61万件を超え、過去最多を更新した。特に、国籍や外見、日本語能力の違いに起因する差別的ないじめは深刻さを増している。すでに脆弱な立場にある外国ルーツの子どもたちにとって、「日本人ファースト」という言葉は、自らの存在が二級市民として扱われる恐怖を想起させる。

教育者の懸念は決して杞憂ではない。サーベイリサーチセンターの「在留外国人総合調査」では、外国ルーツの子どもの約28〜60%がいじめを経験していると報告されている。その理由の大半は「外国人だから」「髪や体格が違うから」といった、変えられない属性に集中していた。こうした現実がある中で、「日本人が一番」という言葉は、いじめや排除を正当化する「お墨付き」となりかねない。

教育現場では、このような社会的言葉の影響を無視できない状況にある。学校は社会の縮図であり、テレビやSNSで広がるスローガンは子どもたちの日常言語として消費される。教師たちの懸念は、言葉そのものよりも、それが排除や差別の行動を誘発する「許可構造」になり得る点に集中している。つまり、教室に響く「日本人ファースト」は、政治的理念というよりも、差別を容認する危険な合図となってしまう可能性が高いのだ。


政治的スローガンの意図と、子どもたちの受け止め方の乖離

「日本人ファースト」というスローガンを掲げる政治家や政党の主張は、一様に「反外国人」ではなく「親日本人」の政策理念であると説明されている。物価上昇や雇用不安、地方の人口減少など、国民生活を守るために日本人を優先すべきだという論理である。しかし、この抽象的なメッセージが子どもたちの耳に届くとき、解釈は大きく変容する。

子どもたちは金融政策や移民制度といった高度な政治課題を理解するわけではない。彼らにとって「日本人ファースト」は単純な社会的序列を示す言葉となる。**「日本人が一番であるならば、外国人は二番以下である」**という直感的な理解に結びつきやすい。これが学校生活に持ち込まれることで、日常的なからかいやいじめに直結する危険性が生まれる。

表:スローガンの意図と子どもの受け止め方

発信者の意図子どもたちの受け止め方
日本人生活の安定や文化保護日本人が優先され、外国人は劣後する存在
移民政策や治安維持への警鐘外国ルーツの友達を排除しても正しい行動
国益の保護、誇りの再構築いじめや仲間外れの正当化

実際、米国で「トランプ効果」と呼ばれる現象が報告されたように、子どもたちは政治的レトリックを模倣し、差別や中傷の言葉として利用する傾向がある。同様の傾向は英国のブレグジット後にも観測され、移民の子どもたちが学校で標的となった。

日本でも同じ構造が再現される可能性は高い。政治家が語る抽象的な政策理念と、子どもが受け止める単純な上下関係の間に存在する「意味論的ギャップ」こそが最大のリスクである。教育現場では、スローガンが本来の意図から離れて解釈され、差別やいじめを助長する“道具”として再利用されることを強く警戒すべきなのだ。

外国ルーツの子どもたちに広がるいじめと差別の現実

日本の教育現場で外国ルーツの子どもたちが直面している現実は深刻だ。文部科学省やこども家庭庁の調査では、2022年度のいじめ認知件数が61万件を超え過去最多を記録している。さらに「重大事態」として報告された件数も増加傾向にあり、学校における安全性が揺らいでいることがわかる。

特に外国にルーツを持つ子どもたちの脆弱性は際立っている。サーベイリサーチセンターが実施した「在留外国人総合調査」によれば、2022年には外国ルーツの子どもの約60%がいじめを経験したと回答した。理由として最も多く挙げられたのは「習慣が違うため」(55.6%)、「髪や体格が異なるから」(48.1%)、「外国人だから」(37.0%)である。2023年の調査でも「外国人だから」という理由が半数を占め、本人が努力しても変えられない属性が攻撃対象となっていた。

表:外国ルーツの子どもたちのいじめ経験

年度いじめ経験割合主な理由(上位3つ)
202328.0%外国人だから (50.0%)、髪の色や体格 (37.5%)、日本語が下手 (31.3%)
202260.0%習慣が違う (55.6%)、髪の色や体格 (48.1%)、外国人だから (37.0%)
202042.0%外国人だからが最多

統計の裏には、子どもたちの切実な声がある。ある児童は「外国人だから」と同級生から「汚い」「近づくな」と言われ、別の児童は姓がカタカナ表記であることを揶揄された。さらに、教員から「日本語通じるのか」と投げかけられたケースも報告されており、学校そのものが差別の温床となる危険がある。

こうした現実を踏まえると、「日本人ファースト」という言葉が既存の差別意識に正当性を与え、いじめの拡大を後押しする恐れは明白である。子どもたちにとってスローガンは新しい差別の種ではなく、既にある偏見に権威を与える道具となり得る。教育現場における警戒は不可欠だ。


米国・英国に見るナショナリズムと学校現場への負の連鎖

日本の教育者が「日本人ファースト」に懸念を示すのは、国内事情だけが理由ではない。海外では既に、政治的レトリックが学校現場に深刻な影響を及ぼした事例が確認されている。

米国の「トランプ効果」

2016年の米大統領選挙では、ドナルド・トランプ候補の排外的な発言が子どもたちの間に広まり、「トランプ効果」と呼ばれる現象が起きた。人権団体サザン・ポバティ・ロー・センター(SPLC)が数千人の教育者を調査した結果、選挙期間中に学校の雰囲気が悪化したと答えた教師は多数にのぼった。特にヒスパニックやイスラム教徒の子どもたちが「強制送還されるのでは」と恐怖を抱くなど、心理的影響も深刻だった。

実際の校内では「Build a wall!(壁を建てろ!)」といったスローガンが、ヒスパニック系生徒へのいじめの言葉として直接利用された。さらに研究では、トランプ支持率が高い地域で中学校のいじめ件数が有意に増加したことも示されている。

英国のブレグジット後の現象

同様の傾向は2016年の英国でも見られた。EU離脱を決めた国民投票の直後、警察が記録したヘイトクライムは急増。標的となったのはポーランド人をはじめとする東欧系移民であり、学校に通う子どもたちも言葉の暴力に晒された。リトアニア政府は、自国の子どもが英国の学校で差別的発言を受けていると警告を発している。

国際比較にみる共通構造

表:政治的レトリックと学校への影響

スローガン/出来事学校での影響主な標的
米国「壁を建てろ!」いじめ、人種中傷、強制送還への不安増加移民、イスラム教徒
英国「自国を取り戻す」ヘイトクライム急増、学校での言葉の暴力東欧系移民
日本「日本人ファースト」教員の懸念:いじめや差別の正当化リスク外国ルーツの子ども

これらの事例は、ナショナリズム的なスローガンが社会の分断を助長し、最も脆弱な子どもたちに直接的な悪影響を及ぼすという国際的なパターンを浮き彫りにしている。日本の学校もその例外ではなく、警戒が必要だ。

日本の教育システムが抱える構造的な脆弱性

外国にルーツを持つ子どもたちが増加する中、日本の教育システムはその多様性に十分対応できていない。文部科学省の調査では、日本語指導が必要な児童生徒は約5.8万人にのぼるが、そのうち約1割が特別な指導を受けられていない。これは単なる統計上の不足ではなく、教育格差や社会的孤立を生み出す深刻な構造的課題を示している。

日本語教育の不足と地域格差

日本語指導を担える教員が絶対的に不足している。さらに、都市部と地方では支援体制に大きな格差があり、地方では専門人材が配置されにくい状況が続く。結果として、外国ルーツの子どもが適切な日本語教育を受けられず、授業理解や進学の機会に遅れを取るリスクが高まっている。

教員研修と知識不足

多文化共生に関する専門研修の機会も乏しい。現場の教師からは「外国人保護者と円滑にコミュニケーションが取れない」「文化的背景を理解できず誤解が生じやすい」といった声が多く聞かれる。学校からの配布物が外国人保護者に伝わらず、PTA活動への参加が難しいといった事例も少なくない。

アイデンティティへの影響

教育システムの不備は、子どもたちのアイデンティティ形成にも影を落とす。日本社会から同化を迫られる一方で、家庭では自らのルーツを守ろうとする葛藤を抱える。研究では、この二重のアイデンティティが学業不振や社会的孤立につながりやすいことが指摘されている。

箇条書きで整理すると、課題は以下の通りである。

  • 日本語指導の人員不足と地域格差
  • 教員の多文化教育研修不足
  • 保護者との言語的・文化的壁
  • 子どものアイデンティティ形成への悪影響

このように、日本の教育は「日本人ファースト」のようなスローガンが持つ排外的圧力を受け止めるには、あまりに脆弱な基盤しか持っていないことが明らかだ。


「浜松モデル」に学ぶ、地域連携による包括的支援の可能性

一方で、日本の一部自治体は先進的な取り組みを通じて、多文化共生のモデルを築いている。代表的なのが静岡県浜松市の「浜松モデル」である。同市は外国人住民が多く、行政・学校・NPOが緊密に連携して包括的な教育支援を展開してきた。

行政と学校の連携

浜松市では、住民基本台帳と学齢簿を連動させることで、外国ルーツの子どもの就学状況を継続的に把握。就学案内も多言語で提供され、入学時から教育へのスムーズな参加を支援している。さらに、日本語能力に応じた初期指導や学習支援体制が整備されており、子どもたちが学校生活に適応しやすい環境を整えている。

多言語対応の相談体制

教育相談には多言語対応の相談員が配置され、保護者が学校制度や生活ルールに適応できるようサポートしている。これにより、従来は壁となっていた「言語の断絶」が解消され、家庭と学校が協力しやすくなっている。

NPOとの協働

公的制度だけではカバーしきれない領域では、NPOが重要な役割を果たす。例えば、NPO法人キッズドアは学習支援や居場所の提供、外国人保護者向けの情報発信を担い、制度からこぼれ落ちる家庭を支えている。

表:浜松モデルの特徴

項目具体的な取り組み
就学支援多言語就学案内、住民台帳と学齢簿の連携
日本語教育能力別の初期適応指導
相談体制多言語対応相談員による教育相談
地域連携行政・学校・NPOの協働による支援

このように「浜松モデル」は、個々の教員に過剰な負担を強いるのではなく、地域全体で子どもを支える仕組みを構築している点に大きな意義がある。全国への展開が期待されるだけでなく、「日本人ファースト」のような言葉による分断を乗り越える具体的な実践例としても注目に値する。

NPOと学校の協働が示す新しい包摂教育のかたち

多文化共生を進めるうえで、公教育だけに全てを委ねるのは現実的ではない。限られた人員や財源では、外国ルーツの子どもたちの多様なニーズに応えるのは難しい。その隙間を埋めているのが、地域のNPOの存在である。彼らは学習支援だけでなく、精神的なサポートや家庭との橋渡しといった、学校だけでは担いきれない役割を果たしている。

学習支援と居場所づくり

認定NPO法人キッズドアは代表的な事例だ。外国ルーツの子どもたちを対象に学習支援を行い、放課後の居場所を提供している。特に家庭で日本語による学習が難しい子どもにとって、こうした場は学校の補完機能を持つ。さらに保護者に向けては、日本の教育制度や生活情報を多言語で発信し、家庭ごと孤立しがちな外国人家庭を地域コミュニティとつなげている。

精神的支えとコミュニティ形成

NPOの活動は単なる学習補助にとどまらない。子どもたちが差別や孤立に直面したとき、安心して相談できる大人の存在は大きい。例えば「学校で日本語が通じないと言われた」「名字をからかわれた」といった声を受け止め、共感しながら自己肯定感を回復させる支援は、教育の質を左右する。精神的な居場所を提供することは、子どもの将来を支える投資に等しい

学校との連携強化

学校もまた、NPOとの協働を積極的に進めている。具体的には、

  • 日本語指導が不足する教室に外部のNPOスタッフを派遣
  • 保護者とのコミュニケーションをNPOが仲介
  • 学校行事やPTA活動に多言語サポートを導入

こうした取り組みによって、教員の負担が軽減されると同時に、家庭と学校の信頼関係が強まっている。

協働がもたらす新しい教育像

表:学校とNPOの役割分担

領域学校の役割NPOの役割
学習支援授業の基礎教育補習・日本語学習サポート
保護者対応校内ルールの周知多言語での説明・相談支援
心理的支援教育相談居場所提供・精神的ケア

このような協働モデルは、教育を学校だけの責務とせず、地域全体で支える仕組みを実現するものだ。浜松市の「浜松モデル」と同様、持続的かつ包括的な支援の形として全国に広がる可能性を秘めている。

「日本人ファースト」のような分断を助長する言葉が拡散する時代だからこそ、学校とNPOが手を携え、子どもたち一人ひとりを包摂する教育モデルを築く必要がある。これは単なる教育課題ではなく、日本社会が未来に向けて選択すべき姿勢そのものを映し出している。

まとめ

「日本人ファースト」というスローガンは、政治的には国民生活の安定や文化保護を訴える言葉として掲げられている。しかし、教育現場においてはその意味が単純化され、外国ルーツの子どもたちを排除する論理として機能する危険性がある。

文部科学省やサーベイリサーチセンターの調査が示す通り、既に外国にルーツを持つ子どもたちは高い割合でいじめを経験し、その理由の多くは「外国人だから」という変えようのない属性に向けられている。この現実に「日本人が一番」という言葉が重なることで、いじめや差別が正当化される「許可構造」が生まれる。

米国の「トランプ効果」や英国のブレグジット後のヘイトクライム急増は、ナショナリスティックな言葉が学校現場に与える負の影響を証明した。日本の教育現場も例外ではなく、同様のリスクに直面している。

一方で、浜松市に代表される「浜松モデル」や、NPOによる学習支援・居場所づくりといった取り組みは、社会全体で子どもを支える新しい教育モデルを提示している。排外的な言葉が社会を分断する時代だからこそ、教育は包摂と共感を基盤に据える必要がある。

子どもたちの未来を守る責任は、学校だけでなく、社会全体が担うべき課題である。政治や言葉の影響を見極めつつ、教育者・家庭・地域が協力し合うことで、より強靭で共感的な学びの場を築いていくことが求められている。


出典一覧

Reinforz Insight
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