2025年のキヤノンは、従来の「カメラ・プリンターの会社」という枠を超え、ソリューションを核に据えたテクノロジーコングロマリットへと本格的に転換している。長期経営計画「グローバル優良企業グループ構想」の最終フェーズであるフェーズVI(2021〜2025)は、単なる総括ではなく、未来に向けた布石を打つ重要な期間である。
その中心には、半導体製造を根底から変える可能性を秘めたナノインプリントリソグラフィ(NIL)、中小企業のDXを支援するITソリューション事業、さらにはグローバルなメディカル機器市場への挑戦といった新たな成長の柱がある。これらの事業は、イメージングやプリンティングといった既存事業が生み出す安定的なキャッシュフローによって下支えされており、相互補完的に全体のポートフォリオを強化している。
4期連続の増収増益や株主還元の拡大といった実績は、その戦略が確実に実を結んでいることを裏付ける。市場やアナリストの評価も好意的であり、目標株価の上昇トレンドは投資家の期待を象徴している。今後数年間、キヤノンがNILの商業化やメディカル事業の拡大に成功すれば、日本発のグローバルテックリーダーとしての地位は揺るぎないものとなるだろう。
グローバル優良企業グループ構想とフェーズVIの全貌

キヤノンの経営戦略の根幹を成すのが、1996年に始動した長期計画「グローバル優良企業グループ構想」である。四半世紀以上にわたって段階的に進化を遂げてきたこの構想は、2025年に最終年度を迎えるフェーズVIで一つの完成形を迎えつつある。短期的な利益追求に走らず、長期的な哲学と一貫した方針をもとに進められてきた点に大きな特徴がある。
キヤノンの経営理念である「共生」と、それを具体化する「三自の精神(自発・自治・自覚)」は、変化の激しいグローバル市場においても軸をぶらさない文化的基盤となった。この理念は今日のESG経営やサステナビリティの思想と一致し、数十年単位での戦略遂行を可能にしている。御手洗冨士夫CEOは「変化は進化、変身は前進」と語り、変化に適応できない企業は淘汰されると強調する。この考えが、大胆な事業再編や新規事業投資を支える推進力となった。
フェーズVI(2021〜2025)は「生産性向上と新事業創出によるポートフォリオ転換」を基本方針として掲げた。売上高4兆5,000億円以上、営業利益率12%以上という高い目標を設定し、2024年には売上高目標を1年前倒しで達成するなど、計画以上の成果を上げている。背景には、半導体露光装置やネットワークカメラといった成長市場の拡大がある。
さらに、過去のフェーズで構築された事業基盤が今日の強さを支えている。フェーズV(2016〜2020)でメディカル、ネットワークカメラ、商業印刷、産業機器の4領域を新たな成長柱として確立したことが、現在の多角化戦略の礎となった。これにより、プリンターやカメラといった従来事業の収益を再投資し、新事業での成長を実現する好循環が確立している。
要点を整理すると以下の通りである。
- 理念「共生」と「三自の精神」が長期戦略を支える
- フェーズVIはポートフォリオ転換の総仕上げ
- 売上高目標を前倒しで達成し成長加速
- 過去の事業転換が現在の成果を後押し
このように、キヤノンの現在の姿は、突発的な方向転換ではなく、25年以上に及ぶ一貫した戦略の積み重ねによって築かれた成果である。
財務基盤と株主還元:盤石な経営の裏付け
2025年のキヤノンは、極めて健全な財務基盤を築き上げている。最新の連結決算によれば、2025年上半期の売上高は前年同期比2.0%増の2兆1,986億円で過去最高を更新、営業利益も同8.0%増の2,143億円に達した。為替の円高や米国の関税政策など外部環境の逆風があったにもかかわらず、成長を維持した点は注目に値する。
特に国内のキヤノンマーケティングジャパン(MJ)の躍進がグループ全体を牽引している。MJは4期連続で増収増益を達成し、2024年には営業利益・経常利益・純利益すべてで過去最高益を記録。2025年目標は売上高6,800億円、営業利益570億円と上方修正され、その中心に位置するITソリューション(ITS)事業は売上高3,400億円、総売上比50%へと拡大する見込みである。これは同社がハードウェア販売企業からソリューションプロバイダーへ完全に移行したことを示す。
数値を整理すると次のようになる。
指標 | キヤノングループ(連結予想) | キヤノンMJ(予想) |
---|---|---|
売上高 | 4兆6,000億円 | 6,800億円 |
営業利益 | 4,600億円 | 570億円 |
当期純利益 | 3,300億円 | 395億円 |
配当金 | 160円/株 | 150円/株 |
ROE | N/A | 10.0% |
ITS売上構成比 | N/A | 50% |
また、株主還元にも積極的である。2025年の年間配当は160円/株と過去最高水準で、MJでも5期連続の増配を計画している。さらに自己株式の取得・消却も進め、資本効率を高める取り組みを強化している。こうした姿勢は、投資家からの評価にもつながっており、市場コンセンサスでは「買い」推奨が維持され、目標株価も上昇傾向にある。
重要なのは、財務の健全性が単なる数字の安定性にとどまらず、研究開発やM&Aへの長期投資を可能にしている点である。NILやメディカル分野への巨額投資は、この盤石な基盤なくしては実現し得なかった。つまり、財務の強さこそがキヤノンの次世代戦略を下支えしていると言える。
プリンティング事業の進化:縮小市場から高付加価値領域へ

オフィスプリント市場の縮小は業界全体の避けられない潮流である。ペーパーレス化の進展やリモートワークの定着により、紙の使用量は年々減少している。その中で、キヤノンは量的拡大を追うのではなく、高付加価値領域への戦略的転換を進めていることに特徴がある。
具体的には、商業印刷や産業印刷といった分野への注力が挙げられる。商業印刷においては、オンデマンド印刷やパーソナライズ印刷の需要が高まり、従来の大量生産型印刷に代わる新たな収益源となっている。産業印刷では、パッケージ印刷や布地印刷といった多様な素材対応を強化し、差別化を図っている。
また、オフィス向け複合機では依然として世界シェアNo.1を維持しており、その技術力は競合に対して優位性を保っている。特に新製品「imageFORCE」シリーズは、セキュリティ強化やDX対応機能を備え、単なるプリンターを超えたソリューション提供装置として位置づけられている。加えて、大容量インクタンクモデル「GIGA TANK」やモバイルワーク対応機器など、多様化するニーズに応えるラインアップが拡充されている。
プリンティング事業の変革は単独ではなく、他の事業との連動によって相乗効果を生んでいる。たとえば、オフィス機器に組み込まれるITソリューションは、キヤノンMJのDX事業と連動し、中小企業の業務効率化を支援する役割を果たしている。これにより、単なる製品販売からサービス提供型ビジネスモデルへの転換が加速している。
要点を整理すると以下の通りである。
- 商業・産業印刷分野への事業シフト
- オフィス複合機での世界シェアNo.1継続
- DX対応やセキュリティ強化による高付加価値化
- ITソリューション事業との相乗効果
このように、プリンティング事業は成熟市場でのシェア防衛にとどまらず、新市場への展開を通じてグループ全体の収益性を高める役割を担っている。
イメージング事業の技術的優位と市場支配力
キヤノンのイメージング事業は、長年にわたりカメラ市場を牽引してきた。2024年のデジタルカメラ出荷台数シェアは**43.2%**に達し、ソニー(28.5%)、ニコン(11.7%)を大きく引き離している。特に成長著しいミラーレス市場でもトップを維持し、ハイエンドユーザーからの圧倒的支持を得ている。
その背景には、技術革新と製品群の充実がある。2025年第3四半期には、7Kフルサイズセンサー搭載のシネマカメラ「EOS C50」や、大口径中望遠単焦点レンズ「RF85mm F1.4 L VCM」といった新製品を相次いで投入した。これらはプロフェッショナルやハイアマチュア層に向けた戦略的な製品群であり、ブランド価値を一層高めている。
さらに、権威ある「カメラグランプリ2025」において、フラッグシップ機「EOS R1」が大賞、「EOS R5 Mark II」が一般投票で選ばれるベストカメラ賞、「RF70-200mm F2.8 L IS USM Z」がベストレンズ賞を受賞し、三冠を達成した。この実績は、技術的優位性を客観的に裏付けるものであり、マーケットリーダーとしての地位を不動のものとした。
加えて、ネットワークカメラやXR(拡張現実)、ボリュメトリックビデオといった新分野への投資も進んでいる。監視カメラ市場では、AIと組み合わせたトータルソリューションを提供し、社会インフラとしての役割を拡大している。これは単なるハードウェアメーカーから、データとソフトウェアを活用するソリューションプロバイダーへ進化していることを示している。
イメージング事業の強みをまとめると以下の通りである。
- 世界シェア40%以上の圧倒的な市場支配力
- プロフェッショナル向け新製品投入によるブランド強化
- カメラグランプリ三冠による技術的優位の証明
- ネットワークカメラやXR分野への事業拡大
このように、イメージング事業は単なる収益源にとどまらず、キヤノン全体のブランド価値と技術的優位性を象徴する中核事業として、他分野の成長を支える基盤を形成している。
メディカル事業の挑戦:CT世界シェアNo.1への道

キヤノンメディカルシステムズは、世界のCT(コンピュータ断層撮影)市場でトップシェアを獲得するという明確な目標を掲げている。現在、GEヘルスケア、シーメンスヘルスイニアーズ、フィリップスという巨大企業が市場を寡占しており、競争環境は極めて厳しい。しかし、世界市場は2024年の約69億ドルから2034年には120億ドル規模に成長すると予測されており、キヤノンにとっては大きな成長余地が残されている。
特に米国市場は収益性が高く、全世界の医療機器市場の中心地である。ここでのシェア拡大が世界戦略の成否を左右する。キヤノンは現地の販売網を強化し、サービス体制を拡充することで米国での存在感を高めようとしている。また、AIを用いた画像診断支援やフォトンカウンティングCTといった革新的技術を武器に、差別化を図っている点が特徴である。
CTに加え、MRIや超音波診断装置においても製品競争力を強化している。高度なイメージング技術を基盤に、放射線被ばくを低減した安全性の高い検査や、臨床現場での操作性を改善した装置の開発が進んでいる。これにより、臨床医からの評価も高まりつつある。
課題は、既存の巨大競合企業から市場シェアを奪うことにある。特に米国における販売網やブランド力ではまだ差が存在する。しかし、長年培ったイメージング技術を医療に応用することで、キヤノンは独自のポジションを確立できる可能性がある。画像診断における信頼性は、医師や患者にとって最も重要な要素であり、この分野での優位性が浸透すれば市場拡大は現実的となる。
要点を整理すると以下の通りである。
- 世界CT市場は2034年に120億ドル規模に拡大見込み
- 米国市場でのシェア拡大が成否のカギ
- フォトンカウンティングCTやAI診断支援で差別化
- MRIや超音波診断装置も含め製品群を強化
このように、メディカル事業はキヤノンの未来を担う中核分野であり、成功すればグローバル市場における存在感を飛躍的に高めることになる。
インダストリアル事業とナノインプリント革命の最前線
キヤノンのインダストリアル事業は、半導体製造装置を中心に展開している。最先端のEUV露光装置市場はオランダのASMLが独占しているが、キヤノンはより汎用的なKrF露光装置市場で51.1%という圧倒的シェアを有しており、確固たる地位を築いている。このように特定のニッチ市場での支配力が、同社の競争力の源泉となっている。
しかし、真に注目すべきは**ナノインプリントリソグラフィ(NIL)**への挑戦である。NILは光を用いた従来のフォトリソグラフィとは異なり、微細なパターンをスタンプのように基板へ直接転写する方式である。最大の利点は製造コストの削減と消費電力の大幅な低減であり、従来比で約10分の1の電力で回路形成が可能とされる。環境負荷低減と経済性を両立できる点で、半導体業界におけるゲームチェンジャーとなる可能性を秘めている。
キヤノンは2025年、栃木県宇都宮市に総投資額500億円を超える新工場を建設し、量産体制を整備しつつある。すでに大手半導体メーカーへの評価装置出荷が進んでおり、量産適用に向けた検証が本格化している。また、2025年3月には省エネ性能が高く評価され、第33回「地球環境大賞」で最高位を受賞したことも大きな成果である。
NILが商業化に成功すれば、キヤノンはASMLが支配する最先端露光市場とは異なる路線で半導体製造分野に革新をもたらすことになる。その一方で、普及が遅れれば巨額投資がリスクに転じるため、実用化スピードが重要な鍵となる。
要点をまとめると以下の通りである。
- KrF露光装置市場で世界シェア51.1%を確保
- NILは消費電力を約10分の1に削減可能
- 宇都宮新工場で量産体制を整備、評価装置も出荷済み
- 環境大賞受賞で社会的評価も獲得
インダストリアル事業におけるNILの進展は、キヤノンが未来の半導体産業でどのような役割を果たすかを決定づける要素である。成功すれば、日本発の革新技術として世界の半導体製造地図を塗り替える可能性を秘めている。
ITソリューション&DX事業の急成長と国内市場支配力

キヤノンマーケティングジャパン(MJ)が推進するITソリューション(ITS)事業は、グループ全体のサービスシフトを象徴する成長分野である。従来のハードウェア販売モデルから脱却し、顧客のデジタルトランスフォーメーション(DX)を包括的に支援する体制を整備したことで、2025年には売上高3,400億円に到達し、グループ売上の50%を占める見通しとなっている。
ITS事業の中核を担うのは、中小企業を対象としたIT支援サービス群である。特に注目すべきは、オフィスのIT環境をワンストップで支援する「HOME」や、セキュリティ・ネットワーク運用を統合的に提供する「まかせてIT DXシリーズ」である。これにより、中小企業が抱えるIT人材不足やセキュリティリスクといった課題を解決する役割を果たしている。
また、ゼロトラストセキュリティの実装を支援する「Cato SASE Cloud」の導入支援など、時代の要請に応じたソリューションを提供している点も評価できる。これにより、物理的セキュリティとサイバーセキュリティを組み合わせた総合的なサービスモデルが確立されつつある。
成長の原動力としてM&A戦略も重要である。2025年7月には東京日産コンピュータシステム(TCS)と合併し、ソフトウェア開発力と顧客基盤を統合した。さらに、複数の専門IT企業との資本業務提携を進め、サービスの幅を広げている。これにより、製造業・物流・教育・医療など幅広い分野での導入実績が拡大している。
ITS事業の強みを整理すると以下の通りである。
- 売上高3,400億円、グループ売上比50%に成長
- 中小企業向けに特化した実用的DX支援サービス
- ゼロトラストを含むセキュリティ分野での競争優位
- M&Aによる非連続成長と顧客基盤拡大
このように、ITソリューション事業は国内市場での確固たる地位を築き、グループの収益構造をハードウェア依存から脱却させる推進力となっている。
ESGと「共生」理念の融合:戦略としてのサステナビリティ
キヤノンの企業理念である「共生」は、2025年においてESG戦略と完全に融合している。同社は環境・社会・ガバナンスを経営の最重要課題と位置づけ、CSR活動ではなく事業そのものを通じて社会課題の解決を図る姿勢を鮮明にしている。
2024年には全社横断的な「サステナビリティ委員会」を新設し、取締役会レベルでの監督体制を整備した。2025年4月には「サステナビリティレポート2025」を発行し、気候変動対応や資源循環、サプライチェーンにおける人権尊重など具体的な目標と進捗を公表している。この透明性の高さは、国内外の投資家からの信頼獲得につながっている。
特筆すべき取り組みの一つが、リサイクル困難とされる黒色プラスチックを識別する技術の開発である。これにより、資源循環の新たな可能性を切り開き、製品設計と環境対応を両立させている。また、サプライチェーン全体でのエンゲージメントが評価され、国際的な評価機関CDPから「サプライヤー・エンゲージメント・リーダー」に選定された。
さらに、事業そのものが環境貢献と結びついている点が特徴的である。例えば、省エネ性能に優れたナノインプリントリソグラフィ(NIL)は、従来技術比で消費電力を10分の1に削減可能であり、技術革新と環境対応を両立する象徴的な事例となっている。
要点をまとめると以下の通りである。
- 企業理念「共生」とESGの完全統合
- サステナビリティ委員会による全社横断的推進体制
- 黒色プラスチック識別技術など独自の環境技術
- NILをはじめとする事業活動そのものが環境価値を創出
このように、キヤノンのサステナビリティ戦略は理念と実践が結びついており、単なるCSRを超えた企業価値の中核を形成している。
2025年最新動向と今後3年間の成長シナリオ

2025年第3四半期に入ったキヤノンは、各事業で積極的な動きを見せている。イメージング分野では「EOS C50」や「RF85mm F1.4 L VCM」などプロ・ハイアマチュア市場を狙った新製品を相次いで投入し、ブランドの技術力と存在感を改めて示した。プリンティングではセキュリティやDXに対応した複合機の新シリーズを発表し、成熟市場での価値創出を強化している。メディカルではAI診断支援やフォトンカウンティングCTといった次世代技術の開発を加速し、米国市場での拡大に向けた布石を打っている。
さらに、インダストリアル分野においてはナノインプリントリソグラフィ(NIL)の実用化に向けた進展が続いている。大手半導体メーカーへの評価用装置出荷が進み、宇都宮新工場の稼働準備も本格化している。この技術は製造コスト削減と環境負荷低減を両立するものであり、今後の半導体業界における競争環境を大きく変える可能性を秘めている。
加えて、ITソリューション事業ではM&Aが活発に行われており、2025年7月の東京日産コンピュータシステム(TCS)との合併はその象徴である。これにより、国内の中小企業向けサービスの強化だけでなく、グループ全体でのサービス主導型ビジネスモデルへの移行が加速している。特にゼロトラストセキュリティやクラウド活用に関する需要は拡大しており、顧客基盤の拡大が収益力向上につながっている。
キヤノンの今後3年間の成長シナリオは、大きく次の3点に集約される。
- 半導体産業におけるNILの商業化とグローバル展開
- 米国を中心としたメディカル市場でのシェア拡大
- ITソリューション事業の更なる収益比率向上と海外展開
一方で、地政学リスクや米国の追加関税政策、そして従来のオフィスプリント市場の縮小など、課題は依然として存在する。だが、4期連続で増収増益を達成している実績や、株主還元を積極的に進める姿勢は、同社が変化の荒波を乗り越える力を持つことを示している。
総じて、キヤノンは「過去の成功に安住する企業」ではなく、長期戦略の下で自ら未来を切り拓く企業へと進化している。2025年からの3年間は、NILの商業化やメディカル市場での成果が結実するかどうかを決定づける期間となり、日本発のグローバルテクノロジーリーダーとしての地位を確立するための試金石となるであろう。