自動車部品大手のデンソーは、2025年現在、自動車産業の大転換期において極めて野心的な挑戦を続けている。同社は電動化とソフトウェア・デファインド・ビークル(SDV)を軸に中核事業を再構築する一方、ファクトリーオートメーション(FA)や食農分野など非自動車領域への進出を進めている。この二正面作戦は、単なる事業拡大ではなく、自動車部品業界が直面するコモディティ化リスクを見据えた長期的戦略的布石である。

2025年3月期には売上高7兆1,618億円、営業利益5,190億円と過去最高を記録し、翌期には営業利益6,750億円とさらに上振れを目指している。財務基盤の強化により、内燃機関関連事業を段階的に売却し、得られた資金を電動化・自動運転技術や新規事業に投下する「総仕上げ」戦略を加速させている。

電動化の分野では、eAxleや炭化ケイ素(SiC)パワー半導体の内製化、熱マネジメント技術などで競争優位性を確立しつつある。またADAS領域ではセンサー技術やAI解析能力を磨き、自動運転に必要な統合システムの開発を強化している。さらにソフトウェア事業ではNTTデータとの提携によりSDV時代に備えた人材・技術基盤を構築している。

一方、FAや食農事業では、これまで培った「モノづくり」力を活かし、自動化や農業の工業化を推進している。これにより2030年には新規事業群で3,000億円の売上を目指すなど、多角化戦略を現実的な収益源へと育てようとしている。本稿では、デンソーの最新動向を財務基盤、電動化戦略、ソフトウェア転換、新規事業展開、競争環境、リスク分析の観点から多角的に解き明かしていく。

Contents

財務基盤の強化が変革を支える:過去最高益と中期方針2025

デンソーは2025年3月期において売上収益7兆1,618億円、営業利益5,190億円を記録し、いずれも過去最高となった。この業績は一部地域での自動車減産という逆風を受けつつも、電動化やADAS関連製品の販売拡大、円安効果、そして徹底した合理化によって達成されたものである。さらに2026年3月期には営業利益6,750億円、営業利益率9.6%を目標に掲げており、2期連続の最高益更新を視野に入れている。

特に注目すべきは、営業利益率の改善である。2024年3月期には5.3%にとどまっていたが、2025年3月期には7.2%、2026年には9.6%へと大幅に上昇する見込みだ。これは単なる一過性の収益拡大ではなく、事業ポートフォリオ改革と収益性改善の構造的な効果が表れている証左である。

以下は主要な財務数値の推移である。

項目2024年3月期2025年3月期2026年3月期(予想)
売上収益(億円)71,44771,61870,500
営業利益(億円)3,8065,1906,750
親会社株主に帰属する当期純利益(億円)3,1284,1915,150
営業利益率(%)5.37.29.6
ROE(%)6.38.010.6

これらの数値から、デンソーが財務基盤を大幅に強化していることがわかる。株主還元についても年間配当64円とし、DOE(株主資本配当率)3.5%の目標を達成した。加えて自己株式の取得も進め、資本効率改善を実現している。

中期方針2025では「ROE10%超」を掲げており、2026年予想で10.6%と目標達成が射程圏内に入った。非財務指標においても、欧州および国内9拠点でのカーボンニュートラル達成など着実に進展している。これらは同社の戦略実行力の高さを裏付けており、未来投資を可能とする基盤が確立されているといえる。

強固な財務体力こそが、電動化や自動運転への巨額投資、さらには非自動車事業への挑戦を支えるエンジンとなっている。デンソーは数字を裏付けとした信頼性のある成長戦略を市場に示しているのである。

内燃機関との決別:事業ポートフォリオ再編とリソース集中

デンソーの戦略的転換を象徴するのが、内燃機関(ICE)関連事業からの撤退である。2025年9月にはスパークプラグ事業と排気センサー事業を約1,800億円で日本特殊陶業に売却し、ICE依存からの脱却を鮮明にした。これは単なる財務上の判断ではなく、「ICE時代との決別」という強いメッセージを社内外に示すものである。

同社はこの資金を研究開発費や設備投資に再配分している。2026年3月期の計画では研究開発費6,600億円、設備投資3,700億円を予定しており、その全てを電動化と自動運転領域に振り向ける方針だ。内燃機関関連への新規投資はゼロと明言しており、徹底したリソースシフトを実行している。

この戦略は以下の三点に集約される。

  • 成熟したICE事業を売却し、資金と人材を成長分野へ集中
  • 技術開発を電動化・ソフトウェア領域に集中的に投下
  • 長期的には非自動車事業の収益化を見据えた多角化戦略を推進

この動きは、経営の意思決定として極めて明確である。過去の収益源を手放すリスクを背負いつつ、将来の成長エンジンに資源を全集中する姿勢は、競合との差別化を生む鍵となる。

また、この戦略は投資家や市場関係者にも評価されている。証券アナリストの多くが「買い」または「強気買い」を提示しており、株価も上昇余地を残している。市場はデンソーの方向性を肯定的に受け止めているが、同時に高い実行リスクも織り込みつつある点は無視できない。

デンソーのポートフォリオ再編は、単なる事業の入れ替えではなく、未来の自動車産業と新たな産業構造への適応である。内燃機関との決別は終わりではなく、電動化、ソフトウェア、非自動車領域という「次の成長の物語」の始まりを意味している。

電動化戦略の最前線:eAxle、SiCパワー半導体、熱マネジメントの三本柱

デンソーが描く電動化戦略の核心は、駆動ユニット、半導体、熱制御の三領域に集約される。同社は2025年度に1.2兆円、2030年度には1.7兆円の電動化売上目標を掲げており、その達成の鍵を握るのがeAxle、SiCパワー半導体、そして熱マネジメント技術である。

eAxle:トヨタグループの総合力を活かした競争優位

eAxleはモーター、インバーター、減速機を一体化した駆動システムであり、EVの効率性とコストに直結する。デンソーはアイシン、トヨタと設立したブルーイーネクサスを通じて開発を進め、すでにトヨタ「bZ4X」やレクサス「RZ」に搭載されている。三大コンポーネントを自社グループ内で完結できる点が大きな強みであり、他社に比べてシステム最適化の余地が広い。これは部品供給ベースの競合に対し、性能・コスト両面で優位性を築く要因となっている。

SiCパワー半導体:内製化による差別化

次世代EVの性能を決定づけるのがSiCパワー半導体である。従来のシリコン半導体に比べ電力損失を半減させられるため、航続距離拡大と充電効率向上に直結する。デンソーは自社で設計・製造する内製化戦略を採用し、トレンチ型MOS構造に関する特許技術を活用する。さらにレゾナックや米コヒレントとの協業で供給体制を確立し、「REVOSIC」というブランド名で差別化を図っている。サプライチェーンの安定確保と技術的独自性を同時に実現する取り組みである。

熱マネジメント:見えざる強みの活用

EVは高出力化に伴い、熱制御の難度が増す。デンソーは長年のカーエアコンやラジエーター開発で蓄積した知見を活かし、バッテリー、モーター、インバーターを統合的に冷却・加温するシステムを展開している。単体技術ではなく車両全体の熱設計を可能にする提案力は、競合が容易に模倣できない優位性である。

電動化市場は日系メーカーのみならず、中国BYDや韓国LGグループなどとの競争も激化している。こうした環境下でデンソーは、技術内製化とシステム統合力を武器に差別化を実現しているといえる。これら三本柱が2030年の売上成長に向けた推進力となる。

ADASと自動運転の未来:センサー融合とエコシステム構築

デンソーが掲げるもう一つの成長軸はADAS(先進運転支援システム)である。2025年度5,200億円、2030年度1兆円の売上を目標に、交通事故死者ゼロの社会実現に向けて投資を加速している。

センサー技術とAI解析の進化

「Global Safety Package 3」に象徴される新世代センサーは、従来より広い検知角度を持ち、死角の削減に寄与している。デンソーの優位性は単なるハード供給ではなく、カメラ、ミリ波レーダー、LiDARといった複数センサーの情報を統合するアルゴリズム開発力にある。高精度な画像解析やAI推論モデルを自社で構築できる点が、競合との差別化要因である。これによりドライバー支援から完全自動運転に向けた技術基盤を強固にしている。

半導体エコシステムとの提携

複雑な自動運転技術の実現には外部との連携が不可欠である。デンソーはオンセミと高性能イメージセンサーで協業し、ロームとは次世代アナログICやパワーデバイスを共同開発している。さらに中国のホライズン・ロボティクスとは現地ニーズに対応した統合型ADASソリューションで提携し、ラピダスが主導する国産半導体開発プロジェクトにも参画している。これらの連携は、単なる部品メーカーに留まらず、システムインテグレーターとしての地位を強化する戦略である。

市場環境と今後の展望

ADAS市場は2030年までに20兆円規模に成長すると予測され、欧米や中国メーカーも激しく競争している。その中でデンソーは、センサー融合とソフトウェア統合の両面で強みを発揮できる数少ないサプライヤーである。交通事故削減という社会的使命を果たしつつ、事業的にも収益拡大が見込める分野といえる。

電動化戦略と並行して推進されるADAS・自動運転事業は、デンソーの未来ビジョンを支える両輪である。技術的深化とグローバルエコシステムの活用を組み合わせることで、同社はモビリティの新時代をリードする立場を確立しようとしている。

ソフトウェア・ディファインド・ビークルへの挑戦:NTTデータとの提携と人材育成

自動車業界は今や「ソフトウェアで定義される車(SDV)」の時代へ突入している。ハードウェア中心だった自動車の価値は、ソフトウェアによるアップデートや新機能追加によって大きく変動するようになった。デンソーはこの潮流を正面から捉え、ソフトウェア事業を2035年度に8,000億円規模へ拡大させるという野心的な目標を掲げている。

実装力:ハードとソフトの一体化

デンソーの最大の武器は、車両ハードウェアに関する深い知見である。ブレーキ、インバーター、センサーといった安全・駆動系の主要部品を長年にわたり手掛けてきた経験は、ソフトウェア統合においても大きな強みとなる。安全性と信頼性を確保しながら、車載システムを統合する能力はSDV時代の競争に不可欠である。

人材戦略:大規模リスキリングと採用拡大

デンソーはソフトウェア開発人材を2030年までに1.2万人から1.8万人へ増強する計画を立てている。既存社員のリスキリングを進めつつ、外部からも積極的に人材を確保する。特にAI、クラウド、サイバーセキュリティの分野を強化領域に位置づけており、先端分野の専門人材を大量に取り込む方針である。

NTTデータとの提携:日本型SDV開発の象徴

2024年に発表されたNTTデータとの包括的提携は、ソフトウェア戦略を加速させる切り札である。両社で3,000人規模の開発体制を整備し、自動車制御の知見とクラウド・IT技術を融合する。これにより、OTA(無線アップデート)、AI制御システム、遠隔操作といった次世代領域を強化する狙いがある。

標準化活動と知的財産戦略

デンソーはJASPAR(車載ソフト標準化団体)の活動を主導し、業界全体の基盤づくりにも寄与している。さらにAI制御や車載OSに関する特許を積極的に取得し、知的財産面でも優位性を確保している。モノづくり企業からソフトウェア文化を内包した新たな企業像へと進化する姿勢が鮮明になっている。

この挑戦は単なる事業拡大ではなく、日本の自動車産業全体の競争力を左右する取り組みである。デンソーがソフトとハードを統合するリーダーとなれるかが、SDV時代の成否を決定づける。

非自動車事業の拡大:FAと食農バリューチェーンの成長ポテンシャル

自動車事業に依存し続けるリスクを見越し、デンソーは非自動車領域の育成を進めている。その柱となるのがファクトリーオートメーション(FA)と食農バリューチェーンである。両事業は2030年度に合計3,000億円の売上を目指し、成長の「第二の柱」として位置づけられている。

FA事業:モノづくり力の外販

デンソーは世界130拠点以上の工場で培った自動化ノウハウを外部企業に提供し始めている。対象は自動車に限らず、電子機器、半導体、食品、医療機器など幅広い分野に及ぶ。近年では東北パイオニアEGを買収し、システム構築能力を強化した。内製の自動化技術を商品化することで、景気循環に左右されにくい収益基盤を形成しつつある

食農事業:農業の工場化への挑戦

デンソーは「農場の工場化」を掲げ、農業に自動車製造の工業化技術を導入している。具体的には以下の取り組みが進んでいる。

  • オランダ企業と共同開発したトマト収穫ロボット
  • 高度な温度管理を可能にするコールドチェーン輸送
  • QRコードやRFIDを活用した生産履歴のトレーサビリティ管理

施設園芸市場は2035年に2兆円規模に拡大すると予測されており、デンソーはその成長を取り込む戦略を描いている。

社会課題解決と事業成長の両立

FAは製造業の人手不足と効率化ニーズ、食農は食料安全保障と農業従事者の高齢化という社会課題を背景に成長余地が大きい。デンソーは自動車領域で培った技術を転用することで、新市場開拓と社会貢献を両立させている。

自動車業界の競争が激化する中、非自動車事業の収益化は企業全体の持続可能性を左右する重要な布石である。デンソーがこの新領域をどこまでスケールさせられるかが、次の成長物語の焦点となっている。

グローバル競争環境とデンソーのポジション:ボッシュやマグナとの比較

デンソーは売上高で世界第2位の自動車部品サプライヤーとして位置づけられ、独ボッシュに次ぐ存在感を放っている。マグナ、ZF、コンチネンタルといった競合を抑え、グローバル市場での影響力を強めている。2024年度の部品メーカー売上ランキングにおいても、デンソーはボッシュに次ぐ規模を維持しており、その存在感は揺るぎない。

ボッシュとの戦略比較

ボッシュとデンソーはいずれも電動化やソフトウェアに経営資源を集中させているが、戦略のアプローチには差異がある。デンソーはSiCパワー半導体の内製化やADAS技術など、深い技術統合に強みを持つ。一方ボッシュは自動車分野に加えて家電やIoT、エネルギーなど幅広い事業ポートフォリオを展開し、AIを横断的に活用している。デンソーは「ディープテック特化」、ボッシュは「事業多角化」の方向性を採っている点が際立つ

eAxle市場における競争

電動車の基幹部品であるeAxle市場では、デンソーはアイシンやトヨタと組んだブルーイーネクサスを通じて競争に参入している。しかし、日本電産(ニデック)やボッシュも強力なプレーヤーとして存在し、性能・コスト両面での競争が激化している。市場規模が今後急拡大することが確実視される中、各社はシェア獲得を巡って熾烈な戦略を展開している。

デンソーの強みと弱み

デンソーの強みは、ハードウェアの垂直統合力とソフトウェア開発力の組み合わせにある。トヨタグループの一員として巨大な販売網と安定した顧客基盤を持つことも優位性を支えている。ただし、グループ依存度が依然として高く、欧州や中国など外部市場でのブランド力が課題とされている。国内外でのバランスをどう調整するかが今後の成長を決める要因となる

グローバル競合との比較において、デンソーは技術力と資金力を背景に優位な立場を築きつつあるが、成長余地の大きい海外市場でのプレゼンス拡大が不可欠である。

実行リスクと市場評価:二軸戦略の成否を分ける要因

デンソーの「電動化と非自動車事業」という二軸戦略は高く評価されているが、実行には多くのリスクが伴う。市場では総じて「買い」評価が優勢であり、証券アナリストも平均目標株価を現行株価より上に設定している。しかし一部には「中立」評価も存在し、過大な期待と実行リスクの両面が意識されている。

実行リスクの中核

最も大きなリスクは、二つの大規模な変革を同時に進めている点にある。中核事業である自動車部品の電動化・ソフトウェア化と、新規のFAや食農事業の立ち上げを並行して推進することは、組織能力への負担が極めて大きい。特にソフトウェア開発文化の浸透は、ハードウェア中心の企業文化からの転換を迫るものであり、成功には時間を要する。

市場リスクと外部要因

米国の関税政策や世界的なEV普及ペースの変動、中国メーカーとの競争激化など、外部環境の不確実性も大きな懸念である。さらに半導体やバッテリーなど重要部材のサプライチェーン脆弱性は、事業戦略全体の安定性に直結する。これら外部要因への対応力が戦略の実効性を左右する。

市場の評価と投資家の視点

株価指標を見ると、デンソーは株価売上高倍率(PSR)において過去平均と比較して割安な水準にある。これは市場がデンソーの変革を完全には織り込んでいないことを示している。アナリストのコメントでも「変革の方向性は評価できるが、実行力を見極める必要がある」という慎重な声が目立つ。

今後の焦点

デンソーが市場の期待に応えるためには、以下の三点が重要になる。

  • ソフトウェア人材の獲得と文化浸透の加速
  • EV普及速度に応じた柔軟な投資ペースの調整
  • 非自動車事業の早期収益化による第二の柱の確立

市場は戦略そのものよりも「実行力」を問う段階に入っている。デンソーが二軸戦略を成功に導けるかどうかは、今後数年間の組織変革と投資判断にかかっているといえる。

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