2025年、ブリヂストンは歴史的な転換点に立っている。中期経営計画「24MBP」(2024-2026)の下、同社は今年を「緊急危機対策年」と定義し、守りと攻めの両輪を同時に進めている。守りでは、ROIC(投下資本利益率)を最重要指標に据え、不採算事業やシナジーが薄い部門を大胆に切り離す。中国トラック・バス用タイヤ事業や物流子会社の売却は、その象徴的な一手である。
一方、攻めにおいては、プレミアムタイヤとソリューション事業という二本柱を強化する戦略を加速。EV時代に適合した「ENLITEN」技術やデジタルフリート管理サービスを通じ、収益性と顧客接点を同時に拡大する。さらに、サステナビリティを新たな事業機会と位置づけ、ENEOSとの協業によるタイヤリサイクル技術開発を推進している。
短期的には700億円規模の再編費用が利益を圧迫しているが、調整後営業利益は増益を確保しており、経営陣の改革は着実に形となりつつある。プレミアム化とソリューションのシナジーを実証できるか否かが、2026年に「真の次のステージ」へ到達できるかを左右する鍵となる。
緊急危機対策年を迎えたブリヂストンの変革

ブリヂストンは2025年を「緊急危機対策年」と位置づけ、過去に類を見ないほどの大規模な事業再編と構造改革に踏み切っている。背景には、世界的な需要変動やEVシフト、原材料価格の高騰など、不確実性の高い外部環境がある。その中で同社は、短期的な痛みを伴う決断を下しながらも、中長期的な成長に向けた基盤固めを急いでいる。
特に注目されるのが、ROIC(投下資本利益率)を絶対的な経営指標とし、資本効率を徹底的に管理する姿勢である。加重平均資本コスト(WACC)である5.5%を下回る事業は原則として許容しないという厳格な規律が導入され、中国のトラック・バス用タイヤ事業や国内物流事業の売却など、果断な事業ポートフォリオの再編が実施された。この判断は、単なるリストラではなく、成長領域に資本を集中させるための戦略的布石である。
2025年第2四半期決算では、事業再編費用として上半期で約700億円を計上した影響で営業利益は前年同期比41.3%減と大幅な減益となった。一方で調整後営業利益は前年同期比2.4%増の2,346億円を確保し、コア事業の強さを裏付けた。これは短期的な痛みを受け入れつつ、将来の収益基盤を強化している証左であり、経営陣の改革への強い意志を示している。
また、資本政策においても積極的な動きが見られる。年間配当を230円とし、さらに総額3,000億円を上限とする自己株式取得を発表した点は、株主価値向上への強いコミットメントを示すものだ。特筆すべきは、この自己株式取得の一部を新規借入によって賄う点である。これは将来のキャッシュフロー創出力に自信がなければ実行できない施策であり、ROIC経営の論理に則った資本効率改善策と言える。
このように、ブリヂストンは守りと攻めを同時に展開しながら、2026年に「真の次のステージ」へ移行するための準備を進めている。同社の変革は一過性のコスト削減にとどまらず、企業構造を根本から作り変える試みであり、その成否は日本企業全体にとっても重要な示唆を与えるだろう。
中期経営計画「24MBP」の全貌と戦略的枠組み
2024年に発表された中期経営計画「24MBP」(2024-2026)は、ブリヂストンの未来を左右する経営指針である。この計画は、単なる数値目標ではなく、不確実性の高い事業環境を乗り越えるための経営哲学と実行計画を体系的に示している点に特徴がある。
中心に据えられているのは「シン・グローカル経営」と呼ばれる新たなポートフォリオ経営である。従来の一律的なグローバル戦略を改め、世界を47のエリアに細分化し、現場に密着した迅速な意思決定を行う体制を導入した。これにより、北米市場における需要予測の甘さや販売対応の遅れといった過去の反省点を克服し、市場環境への対応力を飛躍的に高める狙いがある。
さらに24MBPは、事業ポートフォリオを明確に4つの役割に分類している。
- プレミアムタイヤ事業:収益の核となるコア事業
- ソリューション事業:将来の成長を担う成長事業
- 探索事業:新たな価値創出に向けた種まき
- 化工品・多角化事業:コア技術を活かした限定領域
2026年の目標として売上収益4兆8,000億円、調整後営業利益6,400億円、ROIC10%が掲げられている。これらの数値は単なる野心的な宣言ではなく、実際の施策と直結している。たとえば、プレミアムタイヤの利益率目標は16%に設定されており、ソリューション事業の8%と組み合わせることで、両者のシナジーによる全社的な利益拡大を狙う戦略が見て取れる。
表形式で整理すると以下のようになる。
指標 | 2026年目標値 |
---|---|
売上収益 | 4兆8,000億円 |
調整後営業利益 | 6,400億円 |
調整後営業利益率 | 13% |
ROIC | 10% |
ROE | 11% |
配当金 | 1株あたり最低250円 |
CO2排出削減率 (2011年比) | 50%以上 |
この枠組みの下、量から質へと経営の軸足を移す戦略が鮮明になっている。販売本数を追うのではなく、高収益なプレミアム製品とソリューションを組み合わせることで、持続可能な収益構造を築こうとしているのである。
24MBPは、単なる中期計画にとどまらず、企業文化の転換を含む大規模な変革の設計図である。今後の実行力とシナジー効果の実証が、ブリヂストンが掲げる「真の次のステージ」実現の鍵を握る。
プレミアムタイヤ事業を支える技術革新「ENLITEN」と「BCMA」

ブリヂストンの収益基盤を支えるプレミアムタイヤ事業は、単なる製品の販売ではなく、技術革新を通じた差別化戦略によって成長を続けている。その中心にあるのが、商品設計基盤技術「ENLITEN」と、モノづくり基盤技術「BCMA(Bridgestone Commonality Modularity Architecture)」である。これら二つの技術は、EV時代における新たなプレミアム市場を開拓する上で欠かせない存在となっている。
ENLITENは、従来のタイヤ性能を大幅に高めながら、顧客のニーズに応じて性能をカスタマイズできる柔軟性を持つ。特にEV市場では、低電費性能、静粛性、耐摩耗性といった要素が強く求められており、ENLITENはこうした新たな性能要求に応える技術的基盤となっている。EV時代のプレミアムを定義する技術として、同社の競争優位を形成しているのだ。
一方、BCMAは内部構造をモジュール化し、商品間での共通化を進めることにより、開発・生産の効率を高める仕組みである。これにより、コスト削減と環境負荷低減を同時に達成し、2026年までに展開率50%を目指している。標準化によるスケールメリットを享受しながらも、ENLITENを通じたカスタマイズ性を維持できる点が大きな特徴である。
この二つの技術の融合は、現代の製造業が直面する「マスカスタマイゼーション」という課題に対する解答となる。ENLITENが顧客ごとの多様な要求に応える一方で、BCMAが効率と持続可能性を担保する。高収益と柔軟性を両立させるこの体制は、ブリヂストンが世界市場でプレミアムポジションを強化する原動力となっている。
市場データを見ても、この方向性は裏付けられている。2025年第2四半期において、プレミアムタイヤの販売構成比は前年同期比で拡大し、収益性の改善に直結した。世界的にEV販売台数が前年比30%以上の成長を見せる中、専用タイヤの需要はさらに高まることが予測されている。ブリヂストンは技術を武器に、需要増を収益増に転換する仕組みを構築しつつある。
ソリューション事業の進化とデータ活用型ビジネスモデル
ブリヂストンのもう一つの成長エンジンが、ソリューション事業である。これはプレミアムタイヤ事業を補完するだけでなく、顧客との関係を単発の取引から継続的なサービスへと転換する取り組みである点に特徴がある。特に北米で展開する「フリートケア」プログラムは象徴的であり、タイヤ、リトレッド、デジタルフリート管理サービスを組み合わせた包括的な提供を実現している。
この領域では、買収によって獲得したAzugaやWebfleetといったデジタルフリート管理プラットフォームが重要な役割を果たしている。GPSやテレマティクス、ドライバーの運転データを収集・分析することで、運行効率や安全性を改善し、顧客のコスト削減と収益向上に貢献する。これらのデータは同時にブリヂストンにとっても資産となり、商品開発やサービス改善に活用される。
具体的な数値目標として、トラック・バス用タイヤにおけるリトレッド比率を2026年までに50%へ引き上げる方針を掲げている。これは単に環境配慮の観点だけでなく、顧客のライフサイクルコスト低減を実現し、リピーター需要を確保する仕組みでもある。タイヤを売る企業から、タイヤ資産を運用する企業へと進化する姿勢がここに表れている。
この事業モデルの強みは、顧客ロイヤルティを高める点にある。フリート事業者が一度エコシステムに組み込まれれば、競合他社に乗り換えるハードルは高くなる。データを活用した予防整備や最適なタイヤ交換の提案など、サービスの精度が増すほど、ブリヂストンの存在価値は高まる。
今後は生成AIの活用によって、運行データ分析や顧客対応の高度化も視野に入れている。市場環境が厳しさを増す中、ソリューション事業は安定収益を生み出す基盤として、プレミアムタイヤとの相乗効果を発揮することが期待される。データとサービスの融合が、同社の競争優位性を長期的に支える鍵となるだろう。
大規模な事業売却と再編が意味するもの

ブリヂストンは2025年を「緊急危機対策年」と定め、事業ポートフォリオの大胆な再構築を進めている。その象徴的な動きが、中国のトラック・バス用タイヤ事業からの完全撤退である。瀋陽市の生産拠点を賽輪集団に約54億円で売却し、同市場での汎用品競争から手を引いた。この決断は、低収益市場から撤退し、プレミアム領域に集中するという経営方針を如実に示している。
同時に、タイヤ原料であるカーボンブラックの内製事業も縮小され、タイやメキシコの拠点を外部企業へ譲渡した。さらに、グループの物流子会社であるブリヂストン物流の株式を大手物流企業SBSホールディングスへ譲渡し、資本効率を優先する形で自社保有から手放している。これらの一連の動きは、資本集約的かつ低収益な領域を整理し、アセットライト型の経営構造への転換を加速させる狙いがある。
表で整理すると以下の通りである。
年月 | 売却対象 | 譲渡先 | 背景・狙い |
---|---|---|---|
2025年7月 | 中国TBタイヤ事業 | 賽輪集団 | プレミアム領域集中 |
2025年7月 | タイのカーボンブラック事業 | 東海カーボン | 事業再編の一環 |
2025年8月 | メキシコのカーボンブラック事業 | – | ポートフォリオ最適化 |
2025年6月 | ブリヂストン物流 | SBSホールディングス | 専門企業への移管 |
これらの再編は単なるコスト削減に留まらない。ブリヂストンが目指すのは、製造工程の全てを自社で抱える従来型の垂直統合モデルから脱却し、知的財産やブランド力、データ活用型サービスに経営資源を集中させることである。資本の流動性を高め、収益性の高い領域へ集中する戦略が、企業価値向上の根幹となっている。
実際、こうした売却によって得られた資金は、プレミアムタイヤの技術開発やソリューション事業の拡大に再投資されている。従来の「量」を追う発想から脱却し、「質」を最大化する経営への転換が鮮明となった。ブリヂストンはポートフォリオ再編を通じて、未来の成長に必要な筋肉質な事業構造へと生まれ変わろうとしている。
サステナビリティと「EVERTIRE INITIATIVE」の挑戦
ブリヂストンはサステナビリティを単なるCSRの枠を超えた経営戦略の柱と位置づけている。その最も象徴的な取り組みが、使用済みタイヤを再びタイヤの原料に戻す「EVERTIRE INITIATIVE」である。この構想は、資源循環型社会を実現するだけでなく、将来の収益基盤を構築する長期的投資である。
従来、タイヤのリサイクルは熱回収や低付加価値な再利用が中心であったが、同社は化学的手法による高付加価値な資源循環に挑戦している。ENEOSとの提携により、精密熱分解(Pyrolysis)によって廃タイヤから石油化学原料を再生する技術を開発中である。この技術は国の「グリーンイノベーション基金事業」にも採択され、国家的プロジェクトとして推進されている。
取り組みのロードマップは以下の通りである。
- 2025年:小平の実証機で基礎技術を確立
- 2027年:岐阜県関市にパイロット実証プラント稼働予定
- 2030年:年間処理能力10万トン規模の大型実証プラント稼働を目指す
- 2050年:タイヤの100%サステナブルマテリアル化を実現
この取り組みの戦略的価値は、単に環境貢献にとどまらない。資源価格の変動や地政学リスクに左右されない独立したサプライチェーンを構築できる点に大きな意義がある。特に天然ゴムや石油由来の合成ゴムは供給リスクが高いため、リサイクルによる原料確保は経営の安定性を大きく高める。
さらに、ESG投資が重視される中、こうした持続可能な事業モデルは投資家に対する強力なメッセージとなる。環境対応が収益機会となる構造を作り出すことこそ、ブリヂストンが世界の競争環境でリードし続けるための鍵である。サステナビリティを収益源へと転換する発想が、同社の長期的な競争力を支えている。
財務戦略と株主還元の新たな方向性

ブリヂストンは2025年、財務戦略の軸足を明確に株主還元強化へとシフトさせた。第2四半期決算では、調整後営業利益が前年同期比2.4%増の2,346億円と堅調に推移した一方で、事業再編費用として703億円を計上した結果、営業利益は41.3%減となった。それでも経営陣は、長期的な収益力強化に向けた投資的支出であると強調し、株主に対する還元姿勢をより鮮明にしている。
注目すべきは、年間配当金を前期の210円から230円に増額し、さらに総額3,000億円を上限とする自己株式取得を発表した点である。その原資として手元資金1,000億円に加え、新たに約2,000億円の負債を調達する計画を示しており、将来のキャッシュフロー創出力に対する自信の表れとも言える。リストラ費用と株主還元を同時に実行する姿勢は、ROIC経営を軸にした資本効率最適化の具体的な表現である。
この決断は、投資家に対する強いメッセージとなっている。ROIC(投下資本利益率)とWACC(加重平均資本コスト)のスプレッドを最大化することを目標に、財務レバレッジを積極的に活用する戦略は、資本効率を重視するグローバル投資家の期待に合致する。配当性向も50%を目標としており、国内外の株主に対して明確なリターンを提示した形だ。
表で整理すると以下の通りである。
項目 | 2024年度 | 2025年度計画 |
---|---|---|
1株当たり配当金 | 210円 | 230円 |
自己株式取得上限 | – | 3,000億円 |
配当性向目標 | 約40% | 50% |
短期的な利益圧迫を恐れず、株主還元を拡大する姿勢は、将来の利益成長に対する確信を裏付ける。財務戦略と資本政策を一体で捉える視点が、ブリヂストンを資本市場でより強靭な存在へと押し上げつつある。
グローバル競合環境の中での独自性とリスク
ブリヂストンの変革は、真空の中で進んでいるわけではない。世界のタイヤ市場では、ミシュラン、グッドイヤー、住友ゴム、横浜ゴムなどがそれぞれ独自戦略を展開しており、プレミアム化やソリューション事業、サステナビリティ対応といったテーマは共通項となっている。
ミシュランは「All-Sustainable」を掲げ、リサイクル素材比率の向上や水素モビリティへの投資を加速している。住友ゴムは「R.I.S.E. 2035」の下で、将来的にタイヤ以外の事業利益を30%に拡大する計画を進めている。横浜ゴムは新中期計画「YX2026」において高付加価値品の拡大とOHT事業でのM&Aを積極化している。こうした動きの中で、ブリヂストンの独自性は、ROIC経営を徹底的に基盤としたスピード感ある再編と巨額の株主還元を同時に実行している点にある。
もっとも、リスクも存在する。EV市場の拡大は大きな機会である一方、マクロ経済の不確実性や原材料価格の変動、地政学リスクは依然として収益を脅かす要因である。また、最大の実行リスクは、ソリューション事業とプレミアムタイヤ事業のシナジーを数値で証明できるかどうかにある。ソリューション単体の利益率は低いため、フリートケア導入企業がどれだけ高収益タイヤを追加購入するかをデータで示す必要がある。
リスクと機会を整理すると以下のようになる。
- 機会
- EV普及による高付加価値タイヤ需要の拡大
- データ駆動型フリートソリューション市場の成長
- 生成AI活用による業務効率化と顧客体験の向上
- リスク
- 世界的な景気後退やインフレによる需要減少
- 米国の関税措置など保護主義的政策
- 天然ゴム・原油価格のボラティリティ
- ソリューション事業の収益性実証の遅れ
こうした環境下で、ブリヂストンは「質を伴った成長」という旗印の下、攻守を両立する戦略を進めている。大胆な構造改革と競合を凌駕するスピード感こそが、同社の最大の武器でありリスクヘッジの方法でもある。