総合商社の経営環境は今、かつてない激動期を迎えている。地政学リスクの先鋭化、資源・エネルギー価格の乱高下、そして各国で進む脱炭素化の潮流は、従来のビジネスモデルを根底から揺さぶっている。また、AI技術の急速な進展は既存産業の破壊要因であると同時に、新たな成長機会を生み出す原動力ともなっている。この不確実性の時代においては、固定的な長期計画ではなく、俊敏かつ柔軟に舵を切れる戦略が求められる。

三菱商事は長らく業界の盟主として地位を築いてきたが、近年では伊藤忠商事をはじめとする競合が非資源分野で存在感を増し、業界序列に変動が見られる。そのような中、2025年4月に発表された新たな指針『経営戦略2027 -総合力をエンジンに未来を創る-』は、従来の中期経営計画を大きく刷新する野心的な試みである。本戦略は「磨く」「変革する」「創る」という三つの行動軸を掲げ、既存事業の強化と新規事業の開拓を両立させることで持続的成長を実現しようとしている。発表から半年が経過した今、その進捗と課題を読み解くことは、同社の未来を占う上で不可欠である。

総合商社を取り巻く激変環境と三菱商事の立ち位置

世界経済を覆う不確実性は、総合商社にとって新たな挑戦の連続である。地政学リスクの高まり、資源・エネルギー価格の乱高下、さらには各国で加速する脱炭素化の潮流は、従来の収益モデルを揺るがしている。これに加えて、生成AIや自動化技術の急速な普及は既存産業の枠組みを変容させる可能性を秘めており、事業戦略の再構築が求められている。

特に注目すべきは、業界序列の変化である。長らく盟主として業界を牽引してきた三菱商事に対し、非資源分野で高収益を確保してきた伊藤忠商事が急速に追い上げている。2026年3月期の連結純利益では伊藤忠が三菱商事を上回る可能性が示唆されており、業界の勢力図は流動化している。この競争環境の激化は、三菱商事が持続的な成長基盤を確立するうえで新たな戦略的選択を迫るものである。

三菱商事の強みは、依然として多角化された事業ポートフォリオにある。エネルギー・資源、モビリティ、食品、デジタル、インフラといった広範な分野を網羅し、それぞれが相互に補完することでリスク分散を実現してきた。しかし、従来型のポートフォリオ戦略だけでは成長の持続性に限界がある。特に資源依存度を下げ、非資源分野での安定収益を高めることが不可欠となっている。

表:主要総合商社の2026年3月期連結純利益見通し(単位:億円)

企業名見通し純利益主な強み
三菱商事7,000LNG事業、食品サプライチェーン
伊藤忠8,000非資源分野(繊維・食品)
三井物産6,500資源・エネルギーと化学

こうした環境下で三菱商事は、持続的な成長と競争優位を確保するために、経営モデルそのものの転換を進めている。2025年4月に発表された『経営戦略2027』はその象徴であり、単なる中期計画の延長線上ではなく、企業哲学の再定義を含む大胆な試みと位置づけられる。三菱商事は自らの「総合力」を再構築し、業界の新たな競争環境に適応しようとしているのである。

『経営戦略2027』の核心:磨く・変革する・創るのフレームワーク

新たに掲げられた『経営戦略2027』の柱は、「Enhance(磨く)」「Reshape(変革する)」「Create(創る)」という三つの行動指針である。このフレームワークは単なるスローガンではなく、全社的な事業評価と投資判断の基準として機能するよう設計されている点に大きな特徴がある。

磨くは、既存事業の収益基盤をさらに強固にする取り組みである。例えば、サーモン養殖事業においてはM&Aや生産性改善を通じて収益性を高め、LNGカナダプロジェクトでは将来的な増設を視野に入れた拡張戦略を進めている。強い事業を徹底的に強化することで安定的な成長を実現しようという発想である。

変革するは、業界再編やパートナーシップを通じて既存事業を飛躍的に進化させる試みである。代表的な事例はローソンとKDDIの共同経営である。通信と小売の融合により、従来のコンビニの枠を超えた「未来型店舗」を構築しようとしている。単独では到達できない成長曲線を描くための非連続的なアプローチがここに表れている。

創るは、新規事業や共創案件を通じて未来の成長を取り込む取り組みである。産業跡地を再開発し、データセンターや物流施設を発電所と一体的に開発するプロジェクトはその典型である。エネルギー、インフラ、デジタルといった知見を横断的に活用することで、総合商社ならではの事業モデルを実現しようとしている。

箇条書きで整理すると以下の通りである。

  • 磨く:既存の強い事業を投資強化で成長させる
  • 変革する:業界再編や協業で事業モデルを進化させる
  • 創る:新規事業や共創を通じて未来の収益源を育成する

この三本柱は、前中期経営計画が「DX」「EX」といった名詞的テーマを掲げていたのに対し、動詞を基盤とした行動指針に転換された点で画期的である。つまり、どの領域に投資するかではなく、事業をどのように扱い、成長させるかという経営哲学の変化を象徴している。

このフレームワークが社内に根付けば、三菱商事の事業は常に「磨く」「変革する」「創る」の観点から見直され、資産ポートフォリオの動的な入れ替えが促進されるだろう。その結果、変化の激しいグローバル市場においても柔軟かつ強靭な企業体質を維持できると考えられる。

定量目標と株主還元策に込められた戦略的意図

三菱商事が掲げる『経営戦略2027』は、従来の中期計画を超えた明確な数値目標を打ち出している。その中心となるのは、2027年度に連結純利益1兆2,000億円、ROE12%以上、営業収益キャッシュフロー年平均10%以上成長という高水準の目標である。2024年度の実態的な利益水準6,500億円からの大幅な飛躍を目指しており、これは単なる業績改善にとどまらず、経営効率と資本市場へのメッセージを兼ね備えた挑戦的なシナリオである。

また、株主還元策にも大きな戦略的意義が込められている。三菱商事は3年間で総額2兆4,000億円以上、総還元性向40%以上を掲げ、累進配当を基本としたうえで機動的な自己株式取得を実施する方針を示した。発表と同時に1兆円規模の自己株買いを公表した点は市場に強いインパクトを与えた。これは単に株主利益を還元するための施策ではなく、ROE改善、株式需給の安定化、資本政策の柔軟性確保といった複数の戦略的効果を狙った布石である。

表:『経営戦略2027』における主要目標

指標2024年度実績2027年度目標
連結純利益9,507億円1兆2,000億円
ROE11.27%12%以上
営業収益CF成長率年平均10%以上
Net DER0.6倍上限
総投資額(3年間)4兆円以上
総株主還元額(3年間)2兆4,000億円以上

株主還元は、単なる利益分配を超えて、企業価値向上のための戦略ツールとして機能している。大規模な自己株式取得は発行株数を減らし、ROEを機械的に押し上げる効果を持つ。また、株価の安定化はM&A時の株式交換など資本政策における選択肢を広げる。さらに政策保有株式の解消による売り圧力を吸収し、ガバナンス強化を後押しする役割も担う。このように財務戦略と株主還元は密接に結びつき、持続的な成長と市場からの信頼を確保するための仕組みとして設計されている。

エネルギー・金属資源分野におけるEX戦略の深化

三菱商事の収益基盤を支えてきたエネルギー・金属資源分野は、『経営戦略2027』においても重要な柱として位置づけられている。同社は従来型の資源依存モデルから、エネルギートランスフォーメーション(EX)を軸とした戦略的転換を進めている。その中心にはLNG事業の強化、脱炭素技術への投資、電化社会を支える金属資源の確保がある。

まず、LNG事業ではカナダにおける大規模プロジェクトが2025年から本格稼働を開始する予定であり、安定的なキャッシュフローの創出源として期待される。また、グローバル販売網を担う子会社Diamond Gas Internationalの強化も進められ、川上から川下まで一貫した事業運営体制を構築している。これにより、世界的な需要変動に対しても柔軟に対応できる体制を整えつつある。

次に、脱炭素化への取り組みとして、CCUS(二酸化炭素回収・利用・貯留)プロジェクトや低炭素アンモニアの開発に積極的に参画している。これらは将来的なエネルギー需要の変化を見据えた布石であり、既存の収益基盤を維持しつつ持続可能な事業への転換を目指す動きである。

加えて、金属資源分野では銅やアルミ、リチウム、ニッケルといった電化社会の必須資源に重点を置いた投資戦略を展開している。ペルーのケジャベコ銅鉱山の稼働開始は、長期的な収益基盤強化の象徴的事例である。また、製鉄プロセスの脱炭素化に貢献する直接還元鉄(DRI)事業への進出も検討されており、上流から川下まで一貫したサステナブルな金属資源戦略を進めている。

箇条書きで整理すると以下の通りである。

  • LNG事業の強化とグローバル販売体制の整備
  • CCUSや低炭素燃料など脱炭素技術への投資拡大
  • 銅・リチウム・ニッケルなど電化社会の必須資源への注力
  • 直接還元鉄(DRI)事業への進出による新たな製鉄モデルの模索

このように、三菱商事は従来の資源依存型ビジネスから、エネルギートランスフォーメーションを軸にした持続的成長モデルへと移行しつつある。変動の激しい資源市場に依存せず、低炭素・電化社会を見据えた新たな成長エンジンを育てることが、同社の未来を左右する最大の鍵となるであろう。

自動車・モビリティ分野でのASEAN基盤強化と次世代サービスの挑戦

自動車・モビリティ事業は、三菱商事が成長戦略の両輪として掲げる領域である。特にASEAN市場では商用車分野で確固たるシェアを築いており、この基盤をさらに強固にするために川下領域への展開を加速させている。バリューチェーン全体で事業を拡張することで、販売にとどまらずアフターサービスや金融サービスを取り込み、収益構造の安定化を狙っている。

ASEAN市場においては、タイでのBEV(バッテリー式電気自動車)ピックアップトラックの生産開始が象徴的である。これにより、電動化という世界的な潮流に即応するだけでなく、新たな需要を喚起する狙いがある。加えて、各国政府が進めるインフラ整備や環境規制の強化とも連動し、持続的な成長が見込まれている。

日本市場における取り組みはさらに特徴的である。少子高齢化や都市部の交通混雑といった社会課題を背景に、三菱商事は新しいモビリティサービスを創出する「実験場」として日本を位置づけている。オンデマンドバス、Uberと提携したタクシー配車システム、EVバッテリーのリース、エネルギーマネジメントなど、多様なサービスモデルを導入し、モビリティの在り方そのものを変革しようとしている。

これらの取り組みの長期的ビジョンは、日本で確立した次世代サービスモデルをASEANやその他新興国に展開し、グローバルな「モビリティ経済圏」を形成することである。同社は2030年度に自動車・モビリティ分野で連結純利益1,500億円を目指す目標を掲げており、その達成に向けて製造・販売(VC事業)とモビリティサービス(MS事業)の両輪を駆動させる戦略を進めている。

箇条書きで整理すると以下の通りである。

  • ASEAN市場における商用車基盤の強化
  • BEVピックアップトラックの生産による電動化対応
  • 日本を実験場としたモビリティサービスの創出
  • 2030年度に向けたモビリティ経済圏の構築

この戦略は、単なる自動車販売を超え、移動と生活を統合する新しいエコシステムを構築する試みである。既存の市場基盤と未来のサービスモデルを融合させることで、三菱商事はモビリティ分野でのリーダーシップを確立しようとしている。

食品産業におけるサプライチェーン統合と「フード&ウェルネス」需要創造

食品産業は、三菱商事が非資源分野で最も力を入れている領域の一つである。その戦略は、原料調達から加工、卸、販売に至るまでのサプライチェーンを垂直統合し、安定的かつ高収益なビジネスモデルを構築することである。この統合は地政学リスクの高まりや世界的な食料需給の不安定化に対応するための「守り」の側面と、健康志向の高まりなど新たな需要を創出する「攻め」の側面を兼ね備えている。

上流では、世界的な穀物メジャーADM社との提携により食料の安定調達力を強化している。中流では、世界トップクラスの水産加工企業Thai Union Groupへの出資比率を引き上げ、加工・製造部門での競争力を高めた。そして下流では、国内最大の食品卸である三菱食品を完全子会社化し、流通・販売網を一体的に掌握する体制を整えた。これにより「川上から川下」までを自社の戦略下に置くことが可能となった。

表:食品分野における主要戦略

サプライチェーン段階主な取り組み目的
上流(原料調達)ADMとの提携安定的な食料供給確保
中流(加工・製造)Thai Unionへの出資拡大加工部門の競争力強化
下流(卸・販売)三菱食品の完全子会社化流通・販売網の掌握

加えて、健康志向や食の多様化といった消費者ニーズに対応する「フード&ウェルネス」領域での事業拡大も進めている。機能性素材や高付加価値食品、サステナブルな食品開発などを推進し、従来の効率性重視型モデルから付加価値創出型モデルへと進化している。

垂直統合されたサプライチェーンは、新商品の開発や市場投入を迅速に行える強力なプラットフォームであり、同社の食品事業を次の成長段階へと引き上げる可能性を秘めている。さらに、川上から川下までの一体運営はコスト最適化と品質管理を同時に実現し、グローバル競争力を強化する効果も期待できる。

食品分野におけるこの戦略は、三菱商事が非資源分野で収益基盤を拡大し、持続的な成長を遂げるための中核施策である。守りと攻めを両立させたこのアプローチは、同社の将来像を形づくる重要なエンジンとなるであろう。

最新業績と市場評価:財務健全性と株価の行方

三菱商事の2025年度第1四半期決算は、連結純利益2,031億円と前年同期比で42.7%減となり、市場関係者に衝撃を与えた。ただし、この減益は前年度に豪州石炭資産売却による一過性利益を計上していた反動であり、必ずしも事業の実態を反映するものではない。持分法投資損益は前年同期比10.9%増と堅調に推移し、既存事業の収益基盤には底堅さが見られた。

通期業績予想では純利益7,000億円を掲げており、第1四半期時点で進捗率29.0%と過去5年平均に沿う水準である。業績見通しについては資源価格や為替動向といった不確実要因が残るが、現段階で大幅な修正は行われていない。つまり、短期的な数値に振り回されず、長期的な戦略遂行能力を冷静に評価する必要がある。

財務健全性の観点では、1兆円規模の自己株式取得による資本減少が注目される。Net DERを0.6倍以下に維持する目標が掲げられており、積極的な株主還元と財務規律の両立が問われている。また、投資活動と株主還元が同時進行する中で、キャッシュフロー管理の巧拙が今後の持続性を大きく左右する。

市場評価は総じて堅調である。Jefferies証券は買い推奨を継続し、目標株価を4,200円に設定している一方、Macquarie証券やCLSA証券はやや慎重な姿勢を示す。株価は2025年9月時点で3,441円前後、時価総額は約13.9兆円と推移しており、依然として高い評価を維持している。増配方針や累進配当へのコミットメントも投資家心理を下支えしている。

表:三菱商事の主要財務データ(単位:億円)

項目2024年3月期2025年3月期Q12026年3月期予想
収益195,67642,187
税引前利益13,9342,529
純利益9,5072,0317,000
EPS(円)236.9751.59186.74
配当金(円)100110

この数値が示すのは、三菱商事が一過性の利益依存から脱却しつつある姿である。資源価格に左右される脆弱な構造から脱却し、持続的な事業収益へと転換できるかどうかが市場の最大の関心事となっている。

M&Aと戦略的提携が示す未来への布石

『経営戦略2027』の中核に据えられているのが、M&Aや戦略的提携を通じたポートフォリオの再編である。三菱商事は2025年以降、食品、資源、エネルギー、次世代技術といった幅広い分野で積極的な投資を展開し、既存事業の強化と未来の成長基盤の構築を同時に進めている。

食品分野では、国内最大の食品卸である三菱食品を完全子会社化した。これにより川下の流通網を掌握し、機能性食品や高付加価値商品の市場投入を加速させる体制を整備した。同時に、世界的水産加工大手Thai Unionへの出資比率を20%まで引き上げ、調達から加工、販売までの垂直統合を強化している。さらに、穀物メジャーADMとの提携によって食料調達力を強化し、サプライチェーン全体の安定性を確保した。

エネルギー・次世代分野においては、米国の核融合ベンチャーCommonwealth Fusion Systemsへの出資や、東京大学との連携による技術スタートアップ支援プログラムを推進している。これらは短期的な収益性よりも長期的な成長の種を育成する「創る」戦略の象徴である。

箇条書きで整理すると以下の通りである。

  • 三菱食品の完全子会社化による国内食品流通網の掌握
  • Thai Union出資拡大による水産加工分野での地位強化
  • ADMとの提携による食料サプライチェーン安定化
  • 核融合ベンチャーや大学発スタートアップ支援による未来技術投資

これらの動きは個別の案件に留まらず、全体としてグローバル規模の産業エコシステムを形成する狙いがある。サプライチェーンを川上から川下まで統合することで効率化と付加価値創造を両立させ、次世代エネルギーやデジタル分野で新たな収益基盤を築く。つまり、M&Aや提携は「変革する」と「創る」を同時に実現する仕組みであり、三菱商事の未来戦略を具体化する最重要の布石なのである。

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