本田技研工業(ホンダ)は2025年、世界のモビリティ産業が大転換期を迎える中で、自社の経営戦略を大きく軌道修正した。これまで「完全EVシフト」に突き進んでいた方針を見直し、現実的かつ持続可能な戦略へと舵を切ったのである。その背景には、世界的なEV市場の伸び悩み、充電インフラの未整備、車両価格の高さといった現実的な課題がある。ホンダはこれを冷静に受け止め、短期的な収益の源泉をハイブリッド車(HEV)に据え、そこから生み出される潤沢なキャッシュフローを「Honda 0シリーズ」や独自OS「ASIMO OS」といった次世代技術に投資する二正面戦略を選択した。

また、圧倒的な世界シェアを誇る二輪事業が、四輪事業の変革を資金面で支えるという強固な財務基盤も特徴である。年間2,000万台以上を販売し、営業利益の大黒柱となる二輪事業は、ホンダにとって「社内ベンチャーキャピタル」として機能している。この安定した基盤があるからこそ、巨額の先行投資を要する電動化やソフトウェア化に挑戦できる。

さらに、地域戦略の巧妙さも注目点だ。北米ではHEVを軸に収益を確保しつつEV生産ハブを整備、中国では新ブランド「烨(イエ)」を投入して巻き返しを図る。日本では新型フリードと軽EV市場参入で存在感を高め、欧州ではEV戦略の再構築を急いでいる。こうした現実主義と挑戦を両立させる姿勢は、変革期を迎えたホンダの経営の成熟を示すものである。今後2~3年は、この戦略が実を結ぶかを占う極めて重要な局面となるだろう。

ホンダが示した現実路線:電動化戦略の軌道修正

2025年、本田技研工業は四輪事業における電動化戦略を大きく修正した。これまで業界が掲げてきた「完全EVシフト」の理想主義的な姿勢から一歩退き、より現実的で収益性を重視する方針を打ち出したのである。この転換点は、単なる後退ではなく、むしろ市場の現実を直視した冷静な再定義である。

背景には、世界的なEV需要の伸び悩みがある。北米や欧州など先進国でも充電インフラの整備は遅れており、消費者にとって高価格帯のEVは依然として手が届きにくい存在である。加えて、バッテリーコストの上昇やサプライチェーンの不安定さが重なり、販売台数は期待通りには伸びていない。ホンダはこうした要因を踏まえ、2025年5月の「ビジネスアップデート」で戦略的ピボットを明確にした。

新たな方針の柱は二つある。第一に、ハイブリッド車(HEV)を中核に据え、先進運転支援やソフトウェアといった「知能化」技術を融合させることで、電動化の過渡期を支える確固たる収益基盤を築くこと。第二に、EV、HEV、さらには内燃機関(ICE)も組み合わせ、市場の需要に応じた柔軟なパワートレーン戦略を構築することである。

以下のように、従来と新戦略の違いは明確である。

旧戦略新戦略
完全EV化を前提に巨額投資HEVを収益の柱とし、EVへ段階的移行
車両開発中心ソフトウェア・知能化を組み込んだ製品価値強化
単一方向のシナリオ地域や需要に応じた柔軟なポートフォリオ

経営陣は、この戦略を単なる妥協ではなく、持続可能な成長に向けた「現実主義的再編」と位置づけている。実際、アナリストからは「成熟した意思決定」と評価されており、変革期においては財務的安定性を優先する姿勢が市場からも好感されている。

この修正は短期的な利益確保を狙うだけではなく、長期的にはソフトウェア・デファインド・ビークル(SDV)への布石ともなっている。すなわち、現在のHEVで得た利益を将来のEV技術や独自OS「ASIMO OS」へ投資するという二段構えの戦略なのである。

HEV強化と財務基盤:収益性を支える二輪事業の役割

ホンダの新戦略を支える最大の柱は、ハイブリッド車と二輪事業である。特にHEVは、収益性の高さから「金のなる木」として位置づけられている。2027年までに次世代HEVを13車種投入する計画を打ち出しており、世界的に拡大する需要を的確に取り込む構えだ。

北米市場ではすでに成果が現れている。SUV「CR-V」においては販売台数の半数以上がHEVモデルであり、四輪事業の利益を牽引している。さらに、ホンダは「混流生産」を導入し、EVとHEVを同じラインで製造可能にした。これにより、市場需要がEVよりもHEVに傾いた場合でも、生産体制を柔軟に調整し工場稼働率を維持できる。この柔軟性こそが収益安定化の要である。

一方で、四輪事業は中国市場での販売不振やEV投資負担の重さという課題を抱える。そこで補完的役割を果たすのが、世界で圧倒的なシェアを誇る二輪事業である。2025年3月期の販売台数は過去最高の2,057万台、営業利益は6,634億円と、四輪事業の2.7倍以上を記録した。

表にすると以下の通りである。

事業セグメント売上収益(百万円)営業利益(百万円)前年度比
二輪事業3,626,603663,443+19.1%
四輪事業14,169,240243,853-44.2%
金融サービス3,507,766315,634+19.6%
その他385,158-9,444

この安定した二輪事業の利益が、電動化やSDVへの巨額投資を可能にしている。言い換えれば、二輪事業はホンダにとって内部の「ベンチャーキャピタル」として機能し、不確実性の高い四輪事業を資金面で支えているのである。

また、株主還元の姿勢も強化している。DOE(株主資本配当率)の導入や1.6兆円規模の株主還元方針は、変革期にあっても安定したリターンを提供する姿勢を示すものであり、投資家の信頼確保につながっている。

総じて、HEV戦略と二輪事業は、ホンダの現在の挑戦を下支えする二大基盤であり、未来技術への挑戦を可能にする財務的な生命線となっている。

Honda 0シリーズとASIMO OS:SDVへの挑戦

ホンダの電動化戦略の軌道修正は、単にEVからHEVへとシフトする現実主義に留まらない。その裏には、自動車産業の次なるパラダイムであるソフトウェア・デファインド・ビークル(SDV)への布石がある。その中心に位置するのが「Honda 0シリーズ」と独自開発の車載OS「ASIMO OS」である。

2025年1月のCESで公開された「Honda 0シリーズ」は、セダン型の「SALOON」とSUV型の「SUV」を軸に展開される。特筆すべきはホンダが長年掲げてきた「M・M思想(マン・マキシマム/メカ・ミニマム)」をEV時代に最適化し、従来よりも広い室内空間と洗練されたデザインを実現した点である。デザインコンセプト「The Art of Resonance」や設計思想「Thin, Light, and Wise」は、軽量化と知能化を両立させるホンダ独自の哲学を反映している。

Honda 0シリーズは単なる新型EVではなく、OTAによるアップデートや機能の追加、さらにはサブスクリプションサービスを通じて継続的な収益を生み出す仕組みを備えている。つまり、販売後も車両が進化し続けるという点で、これまでの自動車の概念を覆す存在である。ホンダは2030年までにコネクテッドサービスやOTAによる収益を数千億円規模に拡大する計画を掲げており、テスラに続く新たな収益モデルの確立を目指している。

この挑戦を支える頭脳が「ASIMO OS」である。このOSはドライバーの嗜好や運転データを学習し、個別最適化された体験を提供する。さらに、ホンダはルネサスと共同で次世代SoCの開発に踏み込み、業界最高水準のAI処理性能と電力効率を追求している。TSMCの3nmプロセスを採用する予定であり、分散していたECUを集約するセントラルアーキテクチャの実装も進んでいる。

このように、Honda 0シリーズはハードとソフトを一体化させ、ホンダの収益構造そのものを変革する戦略的プラットフォームである。2026年に北米市場で投入される第一弾モデルの市場評価は、今後のホンダの成否を占う試金石となるだろう。

次世代バッテリー戦略:液体リチウムから全固体電池へ

EVの性能と普及を左右する最大要因はバッテリーである。ホンダはこの分野において、短期と長期を明確に切り分けた二段構えの戦略を展開している。

まず短期戦略としては、既存のリチウムイオン電池の安定供給を確保するため、LGエナジーソリューションやGSユアサといった有力企業との提携を強化している。2025年には北米の合弁工場が稼働を開始し、2027年には日本でも量産が始まる予定だ。これにより、Honda 0シリーズの初期モデルに必要なバッテリーを安定的に供給できる体制が整う。

一方、長期戦略の要となるのが全固体電池である。ホンダは他社依存ではなく自社開発にこだわり、2024年には量産技術の検証を目的としたパイロットラインを稼働させた。2030年代前半には量産化と実用化を見据えており、エネルギー密度と安全性を大幅に向上させる全固体電池によって、EVの航続距離や充電速度を飛躍的に改善する狙いがある。

以下はホンダのバッテリー戦略のロードマップである。

年度戦略主な取り組み
2025短期供給LGESとの北米合弁工場稼働開始
2027安定供給GSユアサとの日本合弁による生産開始
2020年代後半技術革新全固体電池の量産化検証、次世代EVへの採用
2030年以降実用化Honda 0シリーズを含む複数車種での搭載計画

この戦略の特徴は、リスク分散と革新性の両立にある。短期的には既存技術で確実に市場に対応しつつ、長期的にはゲームチェンジャーとなる技術を自社主導で育てる。これにより、競合との価格競争に巻き込まれることなく、技術的優位を確立することが可能となる。

バッテリー戦略はまた、地政学的リスク対策の側面も持つ。米中関係の緊張による関税負担や資源調達リスクを軽減するため、地域内での調達・生産体制を構築する「地産地消」モデルを強化している。

ホンダが掲げる全固体電池への挑戦は、単なる技術開発にとどまらず、自動車産業全体の競争地図を塗り替える可能性を秘めている。その成否は、ホンダの未来だけでなく、世界のEV市場の方向性にも大きな影響を及ぼすだろう。

地域別戦略の最前線:北米・中国・日本・欧州の攻防

ホンダのグローバル戦略は、各地域ごとに異なる市場特性と競争環境を踏まえた柔軟な対応が特徴である。特に北米、中国、日本、欧州という主要市場における施策は、今後の成否を大きく左右する。

北米では、HEVが販売を牽引している。「CR-V」や「アコード」など主力モデルのHEV比率は高まり、四輪事業の収益源となっている。一方で、2026年には次世代EV「Honda 0シリーズ」を投入予定であり、オハイオ州の工場をEV対応に改修し、LGエナジーソリューションとの合弁電池工場を稼働させるなど、EV生産の地産地消モデルを確立しつつある。

中国市場は最大の難関である。新興EVメーカーの低価格攻勢と開発スピードの速さに押され、販売は大幅に減少している。巻き返し策として2024年に新ブランド「烨(イエ)」を立ち上げ、2027年までに10車種のEV投入を計画している。しかし、激しい競争環境の中でブランド再構築が急務である。

日本市場では、2024年に登場した新型「フリード」がカー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、堅調な販売を維持している。また、2025年には軽EV「N-ONE e:」を投入し、軽自動車市場における存在感を拡大している。さらに独自の充電ネットワーク「Honda Charge」を展開し、車両とインフラを一体化した戦略を進めている。

欧州では「e:Ny1」の販売が低迷し、2025年には開発体制を統合する組織再編を実施した。厳しい環境規制に対応しながら、競争力あるEVを市場投入することが急務となっている。

地域主力モデル強み課題
北米CR-V e:HEV、Honda 0シリーズHEVによる収益、EV生産拠点整備IRA政策対応、0シリーズ評価
中国e:Nシリーズ、烨ブランドEV投入計画価格競争、ブランド力低下
日本フリード、N-ONE e:軽EV市場参入、充電網展開国内EV競争の激化
欧州e:Ny1、CR-V e:PHEV環境規制対応EV販売低迷、組織再編

このように、ホンダは地域ごとに異なる課題を抱えながらも、柔軟な戦略で対応している。特に中国市場の立て直しと北米でのEV拠点確立は、今後のグローバル成長を左右する決定的要因となる。

AFEELAとHondaJet:多角化事業が描く新たな成長機会

ホンダは四輪・二輪にとどまらず、新領域への挑戦によって将来の成長機会を模索している。その代表例がソニーとの合弁による「AFEELA」と、小型ビジネスジェット機「HondaJet」である。

AFEELAは「移動空間の再定義」を掲げ、ソニーのエンターテインメント技術とホンダのモビリティ技術を融合した新ブランドである。2025年にはプロトタイプ「AFEELA 1」を発表し、米国で予約受付を開始した。車内ではSpotifyやAmazon Music、さらには「グランツーリスモ」との連携など、従来の自動車にはない体験価値を提供する。2026年からはホンダのオハイオ工場で生産が始まり、保険・修理サービスを含むエコシステムの構築も進めている。

一方のHondaJetは、小型ビジネスジェット市場で5年連続世界最多デリバリーを達成し、累計200機を超える納入実績を持つ。開発コストの回収に時間を要しているが、整備やサービスによる継続収益が期待でき、長期的には高収益事業へ成長する可能性が高い。航空機事業は自動車市場の景気循環に左右されにくく、事業ポートフォリオの安定化に貢献する。

さらに、ホンダはパワープロダクツ事業やアバターロボット、エネルギーソリューションなど多様な新規領域にも挑戦している。特に交換式バッテリー「Honda Mobile Power Pack」やV2G実証実験は、モビリティを超えた社会インフラ事業への進出を示唆している。

これらの新規事業は現時点で大きな利益を生んでいないが、ブランド価値の向上と将来的な収益基盤の構築に向けた重要な布石である。AFEELAやHondaJetが成功すれば、ホンダは「単なる自動車メーカー」から「総合モビリティ企業」へと進化を遂げる可能性を秘めている。

今後の課題と展望:技術実行リスクとブランド変革の行方

ホンダが2025年に打ち出した新戦略は、現実を直視した柔軟かつ合理的な判断である。しかし、この戦略を成功に導くには多くの課題が存在する。特に技術実行のリスク、地政学的リスク、そしてブランド認知の転換が今後の焦点となる。

まず最大の課題は、技術ロードマップを予定通り実行できるかどうかである。「Honda 0シリーズ」や「ASIMO OS」、さらに全固体電池といった先端技術は、いずれも巨額の投資と高度な開発力を要する。特にルネサスと共同開発する次世代SoCは、業界最高水準の処理性能を目指すが、3nmプロセス量産の難易度やコスト管理の難しさは軽視できない。もし進捗が遅れれば、ホンダのSDV戦略全体が揺らぎかねない。

加えて、地政学的リスクも深刻である。米中対立の激化はサプライチェーンや関税コストに直接的な影響を及ぼしている。実際、2026年3月期の業績見通しには関税による6,500億円規模のマイナス影響が織り込まれている。これは北米市場に依存するホンダにとって極めて大きなリスク要因である。一方で中国市場では、新興ブランドの攻勢により販売台数が急減し、現地でのシェア低下が続いている。ホンダが掲げる「烨」ブランド戦略が成功するかどうかは、中国での再生可能性を占う試金石である。

ブランド変革も避けて通れない。ホンダは長年「信頼性の高いエンジンメーカー」としての評価を築いてきたが、今後は「最先端のソフトウェアとユーザー体験」を前面に打ち出す必要がある。特にSDVやAFEELAの成功は、このブランド認識を変える大きな試練となる。もしブランド変革が市場に浸透しなければ、いかに技術革新を進めても消費者からの支持は得られない。

アナリスト評価も楽観一辺倒ではない。S&PやMoody’sは高い格付けを維持しているが、市場の見方は「中立からやや強気」に留まっている。これは二輪事業の安定性を評価しつつも、四輪事業の変革に伴う不確実性を慎重に見ていることの表れである。

まとめると、ホンダの未来を左右するポイントは以下の通りである。

  • HEVによる収益最大化が予定通り進むか
  • Honda 0シリーズが市場と専門家から高評価を得られるか
  • 中国市場での巻き返しが実現するか
  • 全固体電池やASIMO OSの開発が計画通り進むか
  • ブランド認知を「エンジン」から「ソフトウェア」へ転換できるか

これらの課題を乗り越えた先に、ホンダは単なる自動車メーカーを超えた総合モビリティ企業としての地位を確立する可能性を秘めている。今後2~3年は、ホンダの歴史において最も重要な試練の時期であり、その成否が未来の競争地図を決定づけることになる。

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