2025年、日本の産業界においてスマートグラスとAR作業支援ソリューションは、大きな転換点を迎えている。これまで実証実験や先進企業の試みとして扱われてきた技術が、いまや人手不足や技術継承の断絶といった社会構造的課題を解決するための実用的ツールへと進化した。矢野経済研究所によれば、XRデバイス全体の市場は一部停滞を見せる一方、法人向けXRコンテンツ市場は堅調に拡大し、特に製造・建設・医療・物流といった現場で導入が加速している。
その背景には、AIの統合がもたらすパラダイムシフトがある。2025年上半期には、世界のスマートグラス出荷台数のうち78%がAI搭載モデルとなり、従来の「情報を見るデバイス」から「能動的に支援するパートナー」へと質的に変化した。
この動きは日本市場でも顕著であり、企業は単なるガジェット導入ではなく、業務課題を解決するソリューションの一環として戦略的に活用し始めている。スマートグラスとAIの融合が切り開く次世代ワークプレイスは、今後の競争力を左右する重要な試金石となろう。
スマートグラス市場の急成長と2025年「元年」の意味

2025年は、日本におけるスマートグラスとAR作業支援の普及が質的に変化する年と位置付けられている。これまでは一部の先進企業や研究機関での導入が中心であったが、今や製造、建設、医療、物流といった基幹産業で実際の成果を生み出す段階に到達した。特にAIを統合したスマートグラスは、従来の「情報を映すだけの装置」から「現場で能動的に支援するインテリジェントパートナー」へと進化している。
矢野経済研究所の調査によれば、国内XRデバイス市場は2024年に45万6,000台の出荷と推定されるが、コンシューマー向けの需要は頭打ち傾向にある。一方で法人向けのXRコンテンツ市場は堅調に伸びており、物流や製造業でのピッキング支援や遠隔作業支援など、具体的なROIが確認されている。この構造的な違いが、日本市場の成長を「ガジェットの普及」ではなく「業務課題の解決」に直結するソリューション主導型へと導いている。
世界市場の動向とAI統合の影響
世界全体のスマートグラス市場も急成長している。2024年の市場規模は60億ドルに達し、2025年には前年比110%の伸びが予測されている。中でも注目すべきはAI搭載モデルの割合であり、2024年の46%から2025年上半期には78%に急増した。この数字は、単なる一過性のブームではなく、スマートグラスの本質的な役割が変わったことを示している。
AI統合によって、作業者は目の前の状況についてリアルタイムで質問し、的確な回答を得ることができるようになった。例えば、エラーコードの意味や部品の交換手順を即座に表示し、必要な判断をサポートする。この進化は、現場に常に寄り添う「デジタル熟練者」の存在を意味し、夜間や休日といった人員が限られる場面でも対応力を飛躍的に高めている。
日本市場における「元年」の意味
国内市場では、スマートグラスの活用が「実証実験」から「本格導入」へと移行するタイミングにある。製造業ではBMWやトヨタが整備や生産ラインで導入を進め、建設業では西松建設が遠隔臨場に活用し、医療現場では順天堂大学やHITO病院が看護や救急に応用している。これらの導入事例はいずれも、生産性向上やコスト削減といった明確な効果をもたらしている。
2025年を「元年」と呼ぶ背景には、これらの実績に裏打ちされた信頼性と、AI統合による使いやすさの飛躍的な向上がある。スマートグラスは、単なる未来的なデバイスではなく、現場を支える不可欠なインフラとしての役割を果たし始めているのである。
日本企業が直面する人手不足と技術継承課題
日本のスマートグラス市場を押し上げる最大の要因は、深刻化する人手不足と技術継承の課題である。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2070年には総人口の約40%が65歳以上となり、生産年齢人口は大幅に減少する見通しである。すでに多くの産業で人材確保が難しくなっており、従来の人材育成モデルだけでは現場を維持できない状況が迫っている。
スマートグラスによる人手不足対策
労働力不足の解消策として、スマートグラスを用いた遠隔支援は大きな効果を発揮する。熟練者が現場を移動することなく複数拠点を支援できるため、一人あたりの生産性が飛躍的に高まる。建設業では、遠隔臨場の導入によって片道2時間の移動時間と交通費が削減され、担当者がより多くの現場を効率的にサポートできるようになった事例が報告されている。
製造業でも同様に、海外工場やサービス拠点で発生するトラブルに対し、日本からリアルタイムで支援できる体制が整いつつある。これにより、トラブル解決の迅速化と出張コスト削減が同時に実現している。
技術継承の断絶を埋めるデジタル手段
もう一つの重要な課題が、熟練技術者の高齢化と暗黙知の継承である。これまで口頭や現場でのOJTに依存していた技術伝承は、時間と労力を要し、標準化も困難であった。スマートグラスとARソリューションを活用すれば、熟練者の視点や作業手順をそのまま映像化し、若手技術者が現場でリアルタイムに参照できる。
例えば、PTC Vuforia Expert Captureのようなツールでは、熟練者の作業を録画し、ステップ・バイ・ステップの指示書を自動生成できる。これにより、属人化を解消し、効率的かつ再現性の高い教育が可能になる。加えて、AIによるナレッジ検索機能を組み合わせることで、現場の疑問を即座に解決する仕組みも整いつつある。
DX推進と政策的支援
政府によるDX推進政策もこの流れを後押ししている。高速通信環境や5Gの普及に加え、遠隔医療やデジタルヘルスの推進施策は、AR活用の基盤を支える。特に医療分野では、看護師が患者の様子を遠隔で確認しながらケアを行う「未来型看護」の実証実験が進められ、介護や福祉への展開も期待されている。
人手不足と技術継承という二大課題は、もはや個別の業界問題ではなく日本全体の構造的課題である。その解決に向けた切り札として、スマートグラスとAIの融合は強力な武器となりつつある。
ハードウェア徹底比較:RealWear・Vuzix・Epson・XREALの実力

スマートグラス市場を牽引する主要プレイヤーは、産業用の堅牢性を重視するRealWearやVuzix、両眼シースルーで独自の地位を築くEpson、そして軽量かつスタイリッシュなXREALである。それぞれの設計思想や用途が異なり、導入目的に応じた選定が不可欠となる。
産業現場の標準となるRealWearとVuzix
RealWearは完全音声操作によるハンズフリーを特徴とし、過酷な現場での利用に特化している。Navigator 520はIP66の防塵防水性能、2mからの落下耐性、騒音環境下でも動作するノイズキャンセリング機能を備え、石油化学プラントや建設現場で高い評価を受けている。価格は約49万円と高額だが、長期的な安全性と効率性を考慮すれば十分に投資価値がある。
VuzixはM400シリーズを中心に産業・医療分野で活躍する。IP67相当の防水・防塵性能、1280万画素カメラ、ホットスワップバッテリーを搭載し、現場での連続利用を可能にしている。M4000はシースルーディスプレイを採用し、現実空間に情報を重ね合わせる高度なAR体験を実現する。米軍採用の実績もあり、その信頼性は国際的に認められている。
両眼シースルーを切り拓いたEpson MOVERIO
EpsonのMOVERIOシリーズは、シリコンOLEDによる高精細表示を強みとする。BT-45CはFull HD解像度で、軽量設計ながら120インチ相当の大画面を仮想的に展開できる。製造現場での品質検査や遠隔支援だけでなく、聴覚障がい者向けの字幕表示や博物館での展示活用など、産業と文化の両面で利用が進んでいる。国産メーカーならではの細やかな設計が日本市場で支持される理由となっている。
コンシューマー市場を拓くXREAL
XREALは空間ディスプレイとしての使いやすさを前面に押し出す。85g前後の軽量設計と自然なデザインは、長時間利用でも疲労を軽減する。最新モデルは独自の空間コンピューティングチップを搭載し、3msという低遅延で映像を空間に固定できる。映画鑑賞やゲームといった娯楽用途が主流だが、設計やエンジニアリング分野でも活用例が増えており、プロシューマー市場を拡大している。
比較表
モデル | 用途 | 特徴 | 耐久性 | 価格帯 |
---|---|---|---|---|
RealWear Navigator 520 | 産業現場 | 音声操作、防爆対応 | IP66、防爆認証 | 約49万円 |
Vuzix M4000 | 産業・医療 | シースルーAR、4K撮影 | IP67 | 約36万円 |
Epson MOVERIO BT-45C | 産業・文化 | 両眼シースルー、軽量 | IP52 | オープン価格 |
XREAL One Pro | コンシューマー・プロシューマー | 軽量デザイン、空間表示 | – | 約8万5千円 |
これらの特徴を踏まえると、導入企業は自社の業務課題や利用環境に応じて選定を行う必要がある。単なる価格比較ではなく、耐久性、拡張性、用途適合性を重視することが、失敗しない導入の鍵である。
成果を生むソフトウェアとAIプラットフォームの最新動向
ハードウェアの性能を最大限に引き出すのはソフトウェアとAIプラットフォームである。日本市場では、グローバルで確立された標準プラットフォームと、国内特有の業務に対応するシステムインテグレーターが二本柱となり、導入の実効性を高めている。
グローバル標準:PTC VuforiaとTeamViewer Frontline
PTC Vuforiaは製造業のDXを支える代表的なARプラットフォームである。Vuforia Studioでは3D CADデータを活用して作業指示を簡単に作成でき、Expert Captureは熟練者の作業を録画し自動で手順書を生成する。トヨタ自動車をはじめ多くのグローバル企業が導入し、生産性向上と品質改善を実現している。
TeamViewer Frontlineは物流・製造分野で強みを持つ。Frontline Pickは倉庫でのピッキング効率を高め、エラー率を低減。Airbusやコカ・コーラHBCで実証されており、導入後の検査時間短縮や業務効率化に寄与している。
国内インテグレーターの役割
日本市場では、NSWやサイバネットシステムといったSIerが大きな役割を果たしている。NSWは建設業向けにConstARを提供し、BIMデータや図面表示を組み込んだ最適化サービスを展開。さらにAzure OpenAI Serviceと連携したAI作業支援をいち早く導入し、熟練者の知見をAIに学習させて現場に活かす取り組みを進めている。
サイバネットシステムはCAEの知見を活かし、Vuforiaを基盤に保守点検支援や観光分野向けのARアプリを開発している。顧客ごとにカスタマイズを行い、導入後のサポートまで担う点が強みである。
AIとの融合が生む価値
特に注目されるのは、対話型AIとの統合である。現場作業者がスマートグラスを通じてAIに質問し、学習済みの社内マニュアルや設計情報から即座に回答を得る仕組みは、知識の属人化を解消し、業務効率を大幅に向上させる。さらに、夜間や休日でもAIが一次対応を担うことで、ダウンタイム削減とサービスレベルの向上を同時に実現する。
ソフトウェアとAIプラットフォームの進化は、スマートグラスを単なるデバイスから「知識を具現化する基盤」へと変貌させつつある。日本企業にとって、導入の成否はハードウェア選定だけでなく、どのプラットフォームとインテグレーターを選ぶかにかかっているのである。
製造・建設・医療・物流における導入事例とROI

スマートグラスの有効性を示す最も説得力のある証拠は、実際の現場で得られたROI(投資対効果)である。日本国内でも製造業、建設業、医療、物流といった主要産業において導入が進み、成果が可視化されている。
製造業:ダウンタイム削減と品質向上
製造業では、トヨタ自動車が欧州レクサスの整備拠点にRealWearを導入し、現場整備士が専門エンジニアとリアルタイムで連携できる仕組みを構築した。その結果、サービスコストは20%削減され、修理リードタイムも短縮した。BMWでは作業時間が75%短縮、フォルクスワーゲンでは作業効率が93%向上するなど、グローバルでも顕著な成果が報告されている。
国内では、セイコーエプソンがMOVERIOを活用し、事業所間の遠隔コミュニケーションを円滑化。従来は数日かかっていた確認作業を数分で完了できるようになり、業務標準化と生産性向上に大きく寄与している。
建設業:遠隔臨場と安全管理
西松建設は遠隔臨場を導入し、安全パトロールをスマートグラス経由で実施した。従来は現場まで片道2時間の移動と交通費が発生していたが、それらを完全に削減し、担当者がより多くの現場を巡回できるようになった。NIPPOではKDDIの遠隔支援システムを活用し、若手技術者の現場に熟練者が遠隔から直接指示を送る仕組みを構築。これにより、品質管理と若手育成を同時に実現している。
医療・介護:看護負担軽減と救命率向上
HITO病院では、NTTコミュニケーションズと連携し、看護師がスマートグラスを通じて複数患者を同時に見守る「未来型看護」の実証を進めた。巡回業務の負担軽減と手厚いケア提供が可能になり、将来的にはAIによる転倒予兆検知にもつながると期待されている。順天堂大学では救急現場にVuzix M400を導入し、救急隊員が送信する映像を基に医師が即時判断を下せる体制を整備。搬送前の救命率向上を目指す試みが始まっている。
物流:ピッキング効率化と新人教育
物流業界では、DHLがARグラスを導入し、視界にピッキングリストを表示する「ビジョンピッキング」を実現。作業効率向上とエラー率低減の成果は、日本の物流業界でも重要な参考指標となっている。NECフィールディングはフィールドエンジニアにMOVERIOを導入し、サポートセンターと現場を「バーチャル2人体制」で結びつけた。これにより初回修理完了率が向上し、顧客満足度も大きく改善している。
定量的効果まとめ
産業 | 企業 | 効果 |
---|---|---|
自動車製造 | トヨタ、BMW | コスト20%削減、作業時間75%短縮 |
建設 | 西松建設 | 移動時間2h削減、交通費5,000円削減/回 |
医療 | HITO病院 | 巡回負担軽減、ケアの質向上 |
物流 | DHL | 作業効率大幅向上、ミス削減 |
これらの成果は、スマートグラス導入が単なる実験段階を超え、実用的なROIを生むフェーズに入ったことを示している。
プライバシー・法規制と社会受容性の課題
スマートグラス普及の一方で、解決すべき課題も存在する。特にプライバシー保護、法規制、そして社会受容性は、今後の市場拡大に直結する重要テーマである。
プライバシーへの懸念
スマートグラスは目立たない形で撮影できる特性を持つため、同意のない録画や写真撮影が容易に行われるリスクがある。特に公共空間や商業施設での利用においては、周囲の人々が「撮影されているかどうか」を認識しづらい。このため、社会的コンセンサスやガイドラインの整備が不可欠となる。関西地方の若年層女性はプライバシー意識が高いという調査結果もあり、地域や文化による受容度の違いを考慮した設計や運用が求められる。
法規制と技術認証
海外製デバイスが日本で即座に利用できない背景には、電波法に基づく技術基準適合証明(技適)の問題がある。Metaの最新スマートグラスも、技適未取得のため日本での正式販売が制限されている。政府はデジタル田園都市国家構想の一環として規制緩和を検討しているが、国際基準との整合性を保ちながら安全性を確保することが今後の鍵となる。
導入障壁とデザインの課題
企業導入においては初期投資コストが障壁となる。明確なROIが提示できなければ、経営層の理解を得にくい。また日常的に使用するデバイスとして、デザインや装着感も普及の成否を分ける。産業用途では機能性重視、コンシューマー用途ではデザイン性重視となり、両立の難しさが存在する。小型軽量化と高性能化の両立は今後の技術的課題である。
社会受容性の確立に向けて
普及のためには、プライバシーを尊重しつつ利便性を確保する社会的枠組みが必要である。教育現場や医療現場など、公益性の高い分野で成功事例を積み重ねることが、社会全体の理解を深める上で有効である。最終的には、スマートグラスが「便利なガジェット」ではなく「生活や仕事に不可欠なインフラ」として認識されることが目標となる。
これらの課題を乗り越えられるかどうかが、日本市場におけるスマートグラスの定着スピードを大きく左右するだろう。
次世代ワークプレイスを定義するAIエージェントと人間拡張

スマートグラスとAIの融合が示す未来像は、単なる効率化ツールにとどまらない。それは、人間の知覚や判断能力を拡張し、働き方そのものを変革する「次世代ワークプレイス」の姿である。AIエージェントと人間拡張技術は、この進化を加速させる中核的要素となっている。
AIエージェントが切り拓く自律型作業支援
現在のスマートグラスは、対話型AIによる質問応答が可能となり、作業者が現場で抱える課題に即応できるようになった。しかし次のステップは、AIが自律的に判断し、行動を提案する「AIエージェント」化である。例えば、工場の生産ラインでAIエージェントがセンサー情報を解析し、「部品Xの在庫が減少しているため自動発注を開始するか」といったプロアクティブな提案を行う。これは作業者の意思決定を補助するだけでなく、現場の業務プロセス全体を効率化する。
すでに欧州や米国では、航空機整備やエネルギー分野でAIエージェントの試験導入が始まっており、日本国内でも自動車や建設業界での応用が視野に入っている。意思決定をAIが先んじて支援する仕組みは、現場の即応力と安全性を飛躍的に高めると期待されている。
人間拡張技術による新たな能力の獲得
AIエージェントと並び注目されるのが、人間拡張(Human Augmentation)である。これは、スマートグラスやウェアラブル機器を通じて人間の知覚や身体能力を拡張する試みであり、教育、医療、製造など幅広い分野に波及する。2024年には国内で「人間拡張コンソーシアム」が発足し、学術界と産業界が連携して国際標準化を目指す取り組みを開始した。技能伝承や遠隔教育といった分野で、すでに実証実験が進行している。
例えば、建設現場で若手作業員が熟練者の視点をスマートグラスを通じてリアルタイムに共有することで、従来は数年かかっていた技能習得を短期間で実現できる。また、医療現場では外科手術においてAIが術中のリスクを予測し、医師の判断を補完するシステムが試験導入されている。
デバイス進化と新たな入力インターフェース
こうした変革を支える基盤となるのがデバイスの進化である。小型化、軽量化、長時間稼働は当然の方向性であり、さらにMetaが発表した筋電位(EMG)を利用したリストバンド型入力装置は、音声やタッチに代わる新たな操作体系として注目を集めている。最終的には、外見も一般的な眼鏡と変わらず、内部に高度なAIとAR機能を搭載するデバイスが普及することが目標とされる。
日本企業への戦略的示唆
AIエージェントと人間拡張は、単にテクノロジーの進化ではなく、企業競争力を左右する要素である。日本企業は導入に際し、単発的なガジェット利用ではなく、業務プロセス全体に統合した「ワークプレイス変革」として位置づける必要がある。とりわけ、労働力不足や技術継承の課題を抱える産業にとって、AIと人間拡張の融合は持続的成長を支える強力な武器となるだろう。