クボタは、農業機械メーカーとしての百年企業から、食・水・環境の課題を解決する「環境ソリューション企業」への転換を進めている。長期ビジョン「GMB2030」は、その変革の青写真であり、単なる製品販売からデータとサービスによる価値創出へとビジネスモデルを再定義している。
背景には、世界的な食料安全保障の危機、都市インフラの老朽化、水資源の枯渇という地球規模課題がある。クボタはこの3領域を一体的に捉え、農業と水処理の両輪で持続可能な社会の実現に貢献する方針を明確にした。
本稿では、同社の最新資料をもとに、①長期ビジョンとESG経営、②スマート農業の深化、③水環境ソリューションの拡大、④DX・人材戦略、⑤欧州中心のM&A、⑥サステナビリティ経営の実像を分析し、クボタが築く新たな競争優位構造を読み解く。
クボタ「環境ソリューション企業」への変革:GMB2030が描く次世代成長モデル

クボタは、農業機械メーカーとしての枠を超え、「食料・水・環境」を軸にしたグローバル環境ソリューション企業への転換を加速させている。長期ビジョン「GMB2030(Global Major Brand 2030)」は、単なるスローガンではなく、社会課題解決と企業成長を両立する経営構造改革の中核である。
世界的な食料不足、水資源の枯渇、都市インフラの老朽化といった複合危機の中で、クボタは「命を支えるプラットフォーマー」として新たな存在価値を提示している。その方向性を支えるのが、ESG経営の統合と4000億円規模の研究開発投資である。これは、国内製造業の中でも例を見ない規模の資本配分であり、未来志向の技術革新に対する強い意思の表れといえる。
小見出し:ESG経営を軸に据えた「KESG戦略会議」体制
クボタは、社長直轄の「KESG経営戦略会議」を設置し、ESG(環境・社会・ガバナンス)を経営判断の基準に統合した。従来の「リスク対応」や「社会的責任」を超え、投資判断そのものにESGの視点を組み込むことで、資本市場における信頼性を飛躍的に高めている。
特に環境分野では、2050年カーボンニュートラル目標の達成を見据えた電動化・水素燃料技術の開発が進行中である。農業分野だけでなく、都市排水や資源回収などのインフラ領域まで視野を広げることで、ESGを実装した「収益を生むサステナビリティ経営」を体現している。
また、投資家向けIR資料では「ESGを起点とする企業価値創出」を明確に打ち出しており、欧州を中心とするグローバル投資家からの評価も高まっている。ESG指標は、今後の資金調達コスト低減にも直結する重要な経営基盤である。
小見出し:研究開発費4000億円が支える“技術の脱皮”
クボタは2025年までの5年間で研究開発費4000億円を投じる計画を掲げ、前期比60%増という異例の増額を決定した。投資の重点領域は、①スマート農業、②水環境ソリューション、③脱炭素化技術の3分野である。
表:クボタのR&D投資重点分野(2021〜2025年)
分野 | 投資比率 | 重点テーマ |
---|---|---|
スマート農業 | 約40% | 自動運転・ドローンセンシング・データ農業 |
水環境ソリューション | 約35% | 水処理・資源回収・膜技術 |
脱炭素技術 | 約25% | 電動化・水素エンジン・再エネ利用 |
特に注目されるのは、米農機大手ジョンディア(John Deere)に対抗する形で、自動運転トラクターやセンシング技術への集中投資を行っている点である。ディア社がグローバルR&D投資で先行する中、クボタはアジア市場に特化した小型・高効率モデルで差別化を図り、「規模の競争」から「精度の競争」へのシフトを鮮明にしている。
この巨額投資は、製品改良に留まらず、データ解析・遠隔運用・サブスクリプション型ビジネスへの転換を支える基盤でもある。クボタが「モノ売り」から「価値を売る企業」へと脱皮するプロセスは、この研究開発戦略に集約されているといえる。
スマート農業「KSAS」に見るデータ駆動型経営の最前線
クボタの変革を象徴するのが、営農支援システム「KSAS(Kubota Smart Agri System)」である。KSASは、トラクター・ドローン・乾燥機など農機群とデータを統合し、農業の全工程をデジタル化するプラットフォームである。
KSASは単なる作業効率化ツールではない。収穫量や品質、施肥・水管理の履歴をリアルタイムに可視化し、経営者が「データに基づく意思決定」を行える仕組みを提供する。これにより、農業は勘と経験の世界から「科学と経営の産業」へと進化する。
小見出し:地域ごとの課題に最適化するスマート農業モデル
導入事例では、愛知県の米農家がKSASを用いてトレーサビリティを確立し、酒造用米の品質保証を実現。佐賀県ではデータによる精米品質の可視化でプレミアム市場に参入、北海道では遠隔監視による省人化を実現するなど、地域特性に応じた運用が成果を上げている。
箇条書きまとめ
- 愛知県:トレーサビリティ確立による品質保証強化
- 佐賀県:データによる精米価値の証明と高価格販売
- 北海道:スマートフォン遠隔監視で労働時間30%削減
これらの成果は、KSASが単なるIoT基盤ではなく、「データを利益に変える経営支援ツール」として機能していることを示す。特に品質データが販路拡大と価格決定の根拠となる点は、農業のビジネスモデルを根底から変える可能性を秘めている。
小見出し:AIと自動運転による「次世代農業」への布石
クボタはトラクターの完全自動運転化に向けた実証を進めており、AIによる作業ルート最適化や障害物検知などの技術開発が進展している。これを支えるのが、4000億円R&D投資の中核にある「AI農業技術開発プロジェクト」である。
ただし、普及には法整備という課題も残る。安全基準や遠隔操作の法的枠組みが整備されなければ、完全自動運転の実用化は難しい。クボタは農林水産省と協働し、技術と制度の両輪で次世代農業の社会実装を推進している。
スマート農業は、単なる生産性の向上にとどまらず、「人材不足」「高齢化」「品質保証」といった日本農業の構造的課題に対する総合ソリューションとなりつつある。データを核としたクボタの戦略は、農業の未来を再定義する革新モデルである。
水環境ソリューション事業の拡大:世界市場7%成長の波を捉えるクボタの戦略

クボタの「水環境ソリューション事業」は、GMB2030における第二の成長エンジンであり、農業事業と並ぶ中核セグメントへと進化している。背景には、世界的な水資源問題の深刻化と、インフラ老朽化、そして循環型経済への移行という潮流がある。
クボタはこれを単なる上下水道事業ではなく、**「水の循環そのものをデザインする環境ソリューション」**として再定義している。センサーを用いた高度水管理、リンや金属の回収技術、膜分離法による高効率処理など、R&D投資の多くがこの分野に集中していることは象徴的である。
小見出し:成長する世界市場とクボタの収益機会
世界の水処理市場は、2024年に約696億ドルから2033年には1280億ドルへと拡大し、年平均成長率(CAGR)は7.0%に達する見通しである。人口増加と産業利用水の拡大、さらに水系感染症への対策需要が主因だ。
表:世界水処理市場の予測(2024〜2033年)
年 | 市場規模(億ドル) | 年平均成長率(CAGR) | 主な成長要因 |
---|---|---|---|
2024 | 696 | – | 都市化・水インフラ老朽化 |
2033 | 1280 | 7.0% | 産業水利用増・環境規制強化 |
この市場でクボタは、上下水道設備、排水処理、再資源化技術を包括的に提供できる「トータル・ウォータープラットフォーム企業」として優位性を築いている。特に注目されるのは、低塩分除去逆浸透膜(LSRRO)技術である。これは高塩分水を低エネルギーで脱塩できる革新技術であり、アジアや中東などの新興国での需要拡大が期待される。
小見出し:資源回収による収益性の転換点
クボタの水環境戦略の核心は、従来の「コストセンター」から「リターンセンター」への転換にある。排水処理に伴うリンや貴金属を再資源化する技術開発を進め、廃棄から資源生成へとパラダイムを転換している。
この仕組みは単なる環境貢献にとどまらず、処理コストを上回る経済価値を創出する点で、クボタにとって持続的利益構造の鍵となる。国内では自治体との共同プロジェクトも進行中であり、都市インフラの再構築を通じて地域経済の循環化に貢献している。
また、製造拠点自体の排水リサイクル率を高める取り組みも進めており、環境配慮とコスト削減を両立する内部改善にも力を入れている。クボタは、環境負荷の低減と経済的リターンを同時に実現する**「エコ×エコノミー型モデル」**の実装を進めているのである。
DXとオペレーション改革:Kubota-PADが変えるグローバルサービス基盤
クボタのDX戦略は、製造現場の効率化にとどまらず、顧客接点からアフターサービスまでを網羅する全社的な構造改革へと拡大している。その中核を担うのが、**サービスサプライチェーンのDX基盤「Kubota-PAD」**である。
Kubota-PADは、部品検索、発注、物流、納品といった一連のサービスフローをデジタル上で可視化するシステムであり、世界4万人以上のディーラーが利用する。これにより、機械の稼働状況やメンテナンス履歴をリアルタイムで把握できるため、顧客満足度と稼働率の双方を高水準で維持することが可能になった。
小見出し:New Relic導入による可視化と予防保全
クボタはクラウド監視プラットフォーム「New Relic」を導入し、Kubota-PADの稼働データを分析。サーバー負荷や通信遅延などの異常を事前に検知することで、システム障害の予防保全を実現した。これにより、**「止まらないサービス」**を提供する体制を確立したのである。
また、アフターサービス収益の拡大も顕著で、Kubota-PADによる部品供給最適化が、在庫削減と顧客満足度の両立を実現している。デジタル化によってサプライチェーン全体のレスポンスが短縮され、サービスリードタイムは平均で25%改善されたとされる。
小見出し:営業現場のDX化と顧客高齢化対策
国内では、営業支援システム(SFA)のモバイル対応を推進。高齢化する顧客層との関係性維持に向け、訪問履歴や顧客データを可視化し、若手営業担当でも熟練社員と同等の提案ができる体制を整備した。
箇条書きまとめ
- Kubota-PAD導入で部品供給の可視化を実現
- New Relicで障害予知とシステム安定性を向上
- モバイルSFA導入により営業知識をデジタル継承
このように、クボタは**「デジタルによる生産性革命と顧客体験の両立」**を実現している。DXの真価は単なる効率化ではなく、顧客ロイヤルティと企業収益の双方を引き上げる点にある。
DX人材の育成にも注力しており、全社員を対象としたAI研修を実施。技術と現場知を融合させた「デジタル×リアル」の経営基盤を築くことで、クボタは製造業の常識を超えた新たなビジネスモデルを確立しつつある。
グローバルM&A戦略:欧州発「環境技術連携」による成長加速

クボタのグローバル戦略において、M&A(企業買収)は単なる規模拡大の手段ではなく、環境負荷低減技術とソリューションの獲得を目的とした知的資本投資として位置づけられている。特に欧州市場での展開は、環境規制の先進地域という特性を活かし、次世代型農業・環境事業の技術獲得を通じた事業進化を図る戦略的布石である。
小見出し:欧州拠点「クバンランド」を中核とするM&Aネットワーク
クボタは、ノルウェー子会社クバンランド(Kverneland)をM&Aのハブ企業として活用している。これにより、北欧・西欧を中心とした環境技術・スマート農業技術のエコシステムを拡大している。クバンランドは、スマート農業に必要な精密農機、機械制御、環境対応機構を持ち、クボタ本体との技術融合によって、欧州市場での存在感を高めている。
近年のM&A案件には、フランスのB.C. TECHNIQUE AGRO-ORGANIQUE SAS(BCT)の完全子会社化がある。この買収により、化学除草から機械除草への転換を推進し、農薬使用を削減することで環境負荷の大幅な低減を実現している。欧州連合(EU)による「Farm to Fork戦略」が掲げる農薬使用50%削減目標に対しても、クボタの技術ポートフォリオは極めて親和性が高い。
小見出し:M&Aによる環境・小型機分野のポートフォリオ強化
さらにクボタは、イタリアの芝刈機メーカーを買収し、欧州における小型・特殊機械市場への参入を強化した。これにより、住宅地・公共緑地向けの省エネ機械や自動走行型芝刈機などの製品群が拡充され、**「農業×環境×都市生活」**の3領域にまたがる製品展開が可能となった。
一方で、2024年にはインドの合弁会社Escorts Kubotaの鉄道部品事業を売却。非コア事業からの撤退を通じ、資本効率を改善し、研究開発や環境技術への投資へ再配分している。これは単なる整理ではなく、グローバルポートフォリオの最適化と高収益事業への集中を目的とする戦略的選択である。
表:クボタ主要M&A・事業再編動向
年 | 案件 | 地域 | 内容 | 戦略的意義 |
---|---|---|---|---|
2023 | BCT社買収 | フランス | 機械除草技術獲得 | 環境負荷低減・欧州規制対応 |
2024 | 芝刈機メーカー買収 | イタリア | 小型機ライン強化 | 都市環境事業拡大 |
2024 | Escorts鉄道部品事業売却 | インド | 非コア撤退 | 資本効率改善・成長領域集中 |
M&A戦略の特徴は、技術・市場・環境政策の三方向を同時に満たす統合性にある。クボタは、**「規制を先取りする経営」**を通じて欧州市場を実験場とし、獲得技術をグローバルへ水平展開するモデルを構築している。これこそが、同社が「環境ソリューション企業」へと進化するための現実的な成長戦略である。
サステナビリティ経営の深化:CSR調達と社会価値創出への挑戦
クボタのサステナビリティ経営は、表層的なCSR活動ではなく、サプライチェーン全体を通じた企業倫理・人権・環境への包括的な責任管理システムとして確立されている。グローバル展開が進む中で、企業の社会的信用は経営基盤そのものとなりつつあり、クボタはその先頭に立つ。
小見出し:サプライチェーン全体に広がる「CSR調達方針」
クボタは、全取引先に対して法令遵守、人権尊重、環境配慮、労働安全を義務付ける「CSR調達方針」を制定している。この方針は、単なる遵守事項ではなく、サプライヤー選定・契約更新・品質管理の判断基準に組み込まれている点が特徴である。
特に注目すべきは、紛争鉱物(コンフリクトミネラル)対応の徹底である。コンゴ民主共和国などの紛争地で採掘された鉱物が人権侵害を助長することを防ぐため、クボタは取引企業に対して原産地証明を義務化し、グローバル調達倫理を実践している。この仕組みは、ESG格付機関からも高く評価されており、企業透明性の国際基準を上回るレベルにある。
箇条書きまとめ
- 全取引先にCSR調達遵守を義務化
- 紛争鉱物に関する原産地追跡体制を確立
- 環境・安全・人権を考慮したグローバル評価制度を導入
小見出し:社会貢献とブランド価値の融合
社会貢献活動もまた、単発的な寄付ではなく、クボタの中核事業と連動して展開されている。たとえば、小学生向け教育プログラム「アグリキッズwithクボタ」は、食と農の理解を促進し、次世代人材の育成に直結する。また、俳優・長澤まさみを起用したグローバル広告キャンペーンでは、タイ農業支援やアジア地域での持続可能な取り組みを発信し、**「技術×社会貢献=ブランド価値」**の新たな方程式を打ち出している。
さらに、障がい者雇用を担う「クボタワークス株式会社」と連携し、就労支援と地域貢献を両立する仕組みを整えている。これは、単なる雇用政策ではなく、社会包摂を企業価値に転換する取り組みである。
クボタのCSR戦略の本質は、**「社会的責任を利益構造に組み込む経営」**にある。ESG・人権・教育・雇用といったテーマを事業と直結させることで、単なる善意ではなく経営戦略としての持続可能性を確立している。この一貫性こそが、グローバル市場において同社を際立たせる最大の強みである。