材料開発は時間がかかり、コストも高い――そんな常識が今、大きく覆されようとしています。
電池、半導体、EV、航空宇宙、再生可能エネルギーといった分野では、材料性能が競争力を左右する一方で、従来の試行錯誤型の研究開発では市場スピードに追いつけなくなっています。
そこで注目を集めているのが、AIとデータ解析を材料科学に融合させたマテリアルズ・インフォマティクス(MI)です。
MIは、過去の実験データやシミュレーション、論文情報を活用し、実験前に有望な材料候補を予測することで、開発期間を数年から数か月へ短縮する可能性を示しています。
すでに世界では、AIが数百万種類の新材料を発見し、日本企業でも実験回数を4分の1に削減するなど、具体的な成果が現れ始めています。
本記事では、MIの市場動向、最新技術、日本企業の活用事例、そして新規事業開発にどう活かすべきかを体系的に整理し、ビジネスパーソンが押さえるべき本質を分かりやすく解説します。
材料開発に起きているパラダイムシフトとは
材料開発の世界では今、長年当たり前とされてきた前提が大きく覆りつつあります。従来の素材産業は、トーマス・エジソンに象徴される試行錯誤型の研究開発に支えられてきました。研究者の経験や勘を起点に、膨大な実験を積み重ねることで新材料を見いだす方法は、確実性が高い一方で、時間とコストの制約が常につきまとっていました。
しかし、スマートフォンやEV、航空宇宙、再生可能エネルギーといった先端分野では、材料に求められる性能条件が高度化・多層化しています。例えば電池材料では、エネルギー密度、安全性、寿命、環境負荷といった要件を同時に満たす必要があります。**この複雑性は、人間の直感と手作業の実験だけでは対応しきれない段階に入っています。**
こうした限界を打破する存在として注目されているのが、情報科学と材料科学を融合したマテリアルズ・インフォマティクスです。MIは、過去の実験データ、シミュレーション結果、論文情報などを統合し、機械学習や深層学習を用いて材料の構造と物性の関係をモデル化します。材料研究における探索空間は「化学空間」と呼ばれますが、その広さは天文学的であり、MIはその探索方法自体を変革しました。
| 観点 | 従来型アプローチ | MIによる新アプローチ |
|---|---|---|
| 開発起点 | 研究者の経験・仮説 | データとAIの解析結果 |
| 実験の位置づけ | 探索の中心 | 予測結果の検証 |
| 開発期間 | 数年単位 | 数ヶ月単位へ短縮 |
MIの本質的な価値は、実験を不要にすることではありません。むしろ、「実験の前に当たりをつける」点にあります。過去データを学習したAIが有望な候補を絞り込むことで、無駄な試行を大幅に減らせます。三井化学と日立製作所の共同研究では、必要な実験回数を約4分の1に削減できたと報告されており、開発効率の改善が定量的に示されています。
この変化は単なるツール導入ではなく、研究開発プロセスそのものの再設計を意味します。実験主導からデータ駆動への移行は、研究者の役割も変えました。仮説を手探りで検証する存在から、**AIが示す結果を解釈し、次の問いを設計する意思決定者へと進化しているのです。**NatureやScienceといった主要学術誌でも、材料研究におけるデータ駆動型手法の有効性が繰り返し指摘されています。
材料開発に起きているパラダイムシフトとは、発見のスピードを上げるだけの話ではありません。市場ニーズの変化に即応できる柔軟性を獲得し、環境対応やコスト制約といった経営課題を研究段階から織り込むことを可能にします。**MIは、材料開発を職人技から戦略資産へと引き上げる転換点に立っていると言えます。**
マテリアルズ・インフォマティクス(MI)の基本概念と仕組み

マテリアルズ・インフォマティクス(MI)とは、材料科学に情報科学を融合させ、材料開発をデータとAIで加速させるアプローチです。従来の材料研究は、研究者の経験や勘に基づく試行錯誤が中心で、膨大な実験回数と長い開発期間を必要としてきました。MIはこの前提を覆し、実験前に「有望な材料候補」を予測することを可能にします。
MIの中核にある考え方は、材料をデータとして捉える点にあります。材料の組成、結晶構造、製造プロセス、得られた物性値を体系的にデータ化し、機械学習モデルに学習させることで、材料の構造と性能の関係性を数理的に導き出します。Nature MaterialsやScienceなどの主要学術誌でも、データ駆動型手法が材料探索の成功確率を大幅に高めると報告されています。
この仕組みを理解するうえで重要なのが、材料開発における一連の因果関係です。一般に材料科学では、プロセス、構造、物性、性能が連鎖的につながっていると考えられています。MIでは、この複雑な関係性をAIが同時に学習し、人間では把握しきれない非線形な相関まで捉えます。
| 要素 | 内容 | MIでの役割 |
|---|---|---|
| プロセス | 合成条件や製造方法 | 条件最適化の探索空間 |
| 構造 | 結晶構造・分子配置 | 特徴量としてモデルに入力 |
| 物性 | 強度・導電率・耐熱性など | 予測対象・評価指標 |
MIの実装プロセスは、主に三つのステップで構成されます。第一に、過去の実験データやシミュレーション結果、論文データを収集・整備します。第二に、それらを数値化し、材料の特徴を表す記述子としてモデルに入力します。第三に、機械学習モデルが性能を予測し、有望な候補をランキング形式で提示します。これにより、研究者は実験すべき対象を数千分の一に絞り込めます。
三井化学と日立製作所の共同研究では、MIを用いることで新材料探索に必要な実験回数を約4分の1に削減できたと報告されています。これは、MIが単なる効率化ツールではなく、研究開発の意思決定そのものを変革する技術であることを示しています。
また、MIは万能な自動化技術ではありません。モデルの精度はデータの質に大きく依存し、専門家による前処理や解釈が不可欠です。住友化学の事例でも、化学的意味を持つ特徴量を研究者自身が設計することで、少量データでも高精度予測が可能になることが示されています。MIはAIと人間の知見が補完し合うことで、はじめて真価を発揮します。
このように、MIの基本概念と仕組みは、データ化、学習、予測というシンプルな流れでありながら、材料開発のスピードと成功確率を根本から変える力を持っています。従来の延長線では到達できなかった材料設計の可能性を切り拓く点に、MIの本質的な価値があります。
MI市場の成長性と2030年以降のビジネスインパクト
マテリアルズ・インフォマティクス(MI)市場は、2030年に向けて明確な成長軌道を描いています。MarketsandMarketsやMordor Intelligenceなど複数の調査によれば、世界市場は年率約20%前後という高いCAGRで拡大し、2030年時点で4〜5億ドル規模に達すると見込まれています。
さらにPrecedence Researchは、2034年には市場規模が10億ドルを超える可能性を示しており、MIが一過性の技術トレンドではなく、**素材産業の基盤技術として定着する段階に入る**ことを示唆しています。
この成長の質的変化に注目することが重要です。現在はソフトウェアが市場の約6割を占めていますが、2030年以降はコンサルティング、アルゴリズム設計、自律実験ラボ運用といったサービス領域の伸びが相対的に大きくなると分析されています。
| 時期 | 市場規模の目安 | ビジネス上の意味合い |
|---|---|---|
| 2025年前後 | 約1.5〜2億ドル | 先進企業による導入とPoCの本格化 |
| 2030年 | 約4〜5億ドル | アーリーマジョリティ層への普及 |
| 2034年以降 | 10億ドル超 | 産業インフラとしての定着 |
2030年以降のビジネスインパクトは、市場規模以上に**競争ルールそのものの変化**にあります。MIを活用する企業は、材料探索から製品化までのリードタイムを年単位から月単位へ短縮できるため、「より早く市場に出す」だけでなく、「市場ニーズに合わせて材料仕様を柔軟に変える」ことが可能になります。
Grand View Researchは、エレクトロニクス、EV、航空宇宙分野において、材料性能が製品価値の差別化要因としてますます重要になると指摘しています。MIはこの差別化を支える中核技術として、研究開発部門だけでなく、事業企画やサプライチェーン戦略にも影響を及ぼします。
日本市場も例外ではありません。Precedence Researchによれば、日本のMI市場は2034年までにCAGR23%超で成長すると予測されています。これは、**MIを使いこなせるかどうかが、2030年以降の素材企業の収益力を左右する**ことを意味しています。
2030年を超えると、MIは「効率化ツール」ではなく、「新規事業を生み出す装置」へと役割を変えていきます。材料探索の高速化は、これまで採算が合わなかったニッチ市場やサステナブル材料への参入を可能にし、企業の成長オプションを拡張します。
調査機関各社の予測が共通して示しているのは、**MIを導入する企業としない企業の間で、開発スピードと市場適応力に決定的な差が生まれる**という点です。この構造的な差が、2030年以降の産業地図を塗り替えていくことになります。
日本市場とアジア太平洋地域におけるMIの現在地

日本市場とアジア太平洋地域におけるMIの現在地は、「導入フェーズを超え、競争力の源泉として定着し始めた段階」と位置づけられます。北米が依然として最大市場である一方、成長率という観点では日本を含むアジア太平洋地域が世界を牽引しています。Precedence Researchによれば、日本のMI市場は2024年時点で約367万ドル規模ながら、2034年には約3138万ドルへと拡大し、年平均成長率は23.9%に達すると予測されています。
この急成長の背景には、日本企業特有の産業構造があります。化学、素材、電子部品、自動車といった分野で世界的なシェアを持つ企業が多く、**材料性能がそのまま製品競争力に直結する産業比重が高い**ことが、MI投資を加速させています。経済産業省や文部科学省の支援のもと、NIMSを中心としたデータ基盤整備や産学連携が進み、MIは一部の先進企業だけでなく業界全体の共通言語になりつつあります。
アジア太平洋地域全体に目を向けると、日本、中国、韓国が三極構造を形成しています。中国は国家主導でAIと材料研究を結びつけ、大規模データと計算資源を武器に量的拡大を進めています。韓国は半導体・電池材料にフォーカスした実装型MIが特徴です。その中で日本は、**高品質な実験データと現場知見を生かした精度重視型MI**という独自ポジションを築いています。
| 地域 | MI活用の特徴 | 主な注力分野 |
|---|---|---|
| 日本 | 高品質データと現場知の統合 | 電池、触媒、高機能素材 |
| 中国 | 国家主導・大規模データ活用 | 新エネルギー、構造材料 |
| 韓国 | 用途特化・高速実装 | 半導体、次世代電池 |
特に注目すべきは、日本企業におけるMIの位置づけの変化です。従来は研究効率化のための補助ツールとして扱われていましたが、現在は**「どの材料データを持つか」「どう資産化するか」自体が中長期戦略の中核**になっています。トヨタ自動車や三井化学の事例が示すように、MI基盤は全社的に整備され、新規事業や次世代製品開発と直結しています。
一方で課題も明確です。アジア太平洋地域ではMI人材の不足が共通課題となっており、特に材料ドメインとデータサイエンスを横断できる人材は希少です。世界経済フォーラムやNature系論文でも、MIの成果はアルゴリズム以上に組織設計と人材融合に左右されると指摘されています。日本市場の現在地は、技術的には先進国水準に達しつつあり、今後は人材とデータ連携の巧拙が競争力を分ける局面に入っています。
AIが材料を発見する時代:Google DeepMindの衝撃
材料開発の現場に最も大きな衝撃を与えた出来事の一つが、Google DeepMindによる材料探索AI「GNoME」の登場です。これは単なる効率化ツールではなく、AIが自ら有望な材料候補を発見するという、研究の前提そのものを覆す転換点でした。
DeepMindによれば、GNoMEはディープラーニングを用いて220万種類以上の新規結晶構造を生成し、そのうち約38万種類が熱力学的に安定で、実際に合成可能であると予測されています。無機結晶構造データベースICSDなどに登録されてきた人類既知の結晶が約2万〜4万種であることを踏まえると、一度の研究成果で知識空間を約10倍に拡張した計算になります。
GNoMEの技術的中核は、原子をノード、結合をエッジとして扱うグラフニューラルネットワークです。構造情報から形成エネルギーを推定し、安定性を高精度に予測します。さらに特筆すべきは、AIが生成した候補を第一原理計算で検証し、その結果を再学習に用いるアクティブラーニングを自律的に回している点です。これにより安定材料の発見率は従来モデルの約50%から80%へと大幅に向上したと報告されています。
| 指標 | 従来手法 | GNoME |
|---|---|---|
| 探索対象規模 | 数万種 | 220万種以上 |
| 安定材料の予測数 | 限定的 | 約38万種 |
| 発見率 | 約50% | 約80% |
この成果が理論にとどまらないことは、ローレンス・バークレー国立研究所の自律実験施設A-Labとの共同実証で示されました。GNoMEが提示した合成レシピを基にロボットが実験を行い、58件中41件の合成に成功しています。成功率71%、わずか17日間という結果は、AI主導の材料発見と合成が現実の研究開発として成立することを証明しました。
NatureやDeepMindの公式発表でも強調されている通り、このアプローチの本質はスピードだけではありません。人間の直感や経験に依存せず、化学空間全体を俯瞰しながら候補を網羅的に評価できる点にあります。これにより、研究者は「探す作業」から解放され、なぜその材料が有望なのかを解釈し、事業価値へと結びつける役割に集中できるようになります。
AIが材料を発見する時代とは、研究者が不要になる未来ではありません。GNoMEの衝撃が示したのは、発見の主導権が人間からAIへ部分的に移り、研究開発の重心が探索から意思決定へと移行するという、産業構造レベルの変化なのです。
生成AI・自律実験ラボがもたらす研究開発の自動化
生成AIと自律実験ラボの融合は、研究開発の現場において「人が考え、AIが支援する」段階を超え、AI自身が仮説立案から実験、学習までを回す自動化フェーズを現実のものにしています。特にマテリアルズ・インフォマティクス分野では、計算・実験・判断を一体化したクローズドループ型R&Dが急速に普及し始めています。
象徴的な事例が、Google DeepMindのGNoMEと米ローレンス・バークレー国立研究所の自律実験施設A-Labの連携です。GNoMEは220万種以上の結晶構造を生成AIで探索し、その中から合成可能性の高い候補を提示しました。A-Labでは、その情報を基にロボットが合成条件を自動実行し、58件中41件の合成に成功しています。わずか17日間で成功率71%という結果は、従来の人手中心の研究では到達困難なスピードです。
この変化の本質は、生成AIが単なる予測ツールではなく、「次に何を試すべきか」を判断する意思決定主体になりつつある点にあります。ディープラーニングとアクティブラーニングを組み合わせることで、AIは失敗データを含めて学習し、探索空間そのものを動的に縮小していきます。米UCバークレーの関連研究でも、探索効率が人間主導に比べて大幅に向上することが示されています。
| 項目 | 従来型R&D | 生成AI・自律実験ラボ |
|---|---|---|
| 仮説立案 | 研究者の経験と勘 | 生成AIが自動生成 |
| 実験実行 | 人手・昼間中心 | ロボットが24時間稼働 |
| 学習サイクル | 断続的 | リアルタイムで連続 |
日本でも同様の動きが進んでいます。物質・材料研究機構(NIMS)が開発したNIMS-OSは、AIアルゴリズムと自動実験装置を接続する汎用基盤として設計されており、研究者はプログラムを通じてロボット実験を制御できます。これにより、大学や企業が自前で高度な自律実験環境を構築できる道が開かれました。
また、米アルゴンヌ国立研究所のPolybotでは、電子ポリマー薄膜の条件最適化をAIが主導し、人間では試しきれない組み合わせを高速で検証しています。UChicagoの報告によれば、材料性能の最適点到達までの時間が劇的に短縮され、ウェアラブルデバイス向け材料の研究が加速しています。
重要なのは、この自動化が研究者を不要にするのではなく、役割を高度化する点です。研究者はルーチン実験から解放され、結果の解釈や次世代テーマの設計に集中できます。Bain & Companyも、AI主導R&Dは研究者の生産性を飛躍的に高めると指摘しています。
生成AIと自律実験ラボがもたらす研究開発の自動化は、単なる効率化ではありません。発見の速度と質そのものを変革し、競争優位を決定づける基盤として、今後のR&D戦略の中核を担う存在になりつつあります。
日本企業に学ぶMI活用の成功事例
日本企業におけるマテリアルズ・インフォマティクス活用の成功事例を見ると、共通しているのはAIを単なる効率化ツールとしてではなく、競争力そのものを再定義する経営資源として位置付けている点です。長年蓄積してきた実験データや現場知見を生かし、人とAIの役割分担を明確に設計することで、従来では到達できなかった開発スピードと品質を両立させています。
代表的な事例を整理すると、MIの導入目的や活用スタイルの違いが浮かび上がります。
| 企業名 | 主な適用領域 | 確認されている成果 |
|---|---|---|
| 横浜ゴム | タイヤ用ゴム材料 | 材料選定期間の短縮と新規配合の創出 |
| 三井化学 | 有機機能材料 | 必要実験回数を約4分の1に削減 |
| トヨタ自動車 | 電池・触媒・構造材料 | 全社横断でのデータ再利用基盤を構築 |
| 東レ | CFRP | 最適配合探索の高速化 |
横浜ゴムの「HaICoLab」は、人間とAIの協奏を明確に打ち出した点で象徴的です。低転がり抵抗とウェットグリップというトレードオフ課題に対し、AIが過去データから重要因子を抽出し、研究者がその妥当性や応用可能性を判断します。これにより、熟練者の勘を否定するのではなく、拡張する形で知見が進化しています。材料開発の現場でAIへの心理的障壁を下げたことも、成果を継続的に生み出す要因です。
三井化学と日立製作所の共同検証では、MIによって実験試行回数を約4分の1に削減できることが定量的に示されました。日立の深層学習モデルが候補領域を高精度で絞り込むことで、探索の無駄を排除しています。三井化学はこの結果を、開発期間短縮だけでなく、材料コストや廃棄物削減といったESG価値にも結び付けています。
トヨタ自動車の取り組みは、MIを個別プロジェクトに閉じず、全社基盤として整備した点に特徴があります。WAVEBASEによって散在していた材料データを統合し、AI解析に耐えうる形で再構築しました。経済産業省や学術界の議論でも指摘されている通り、MIの成否はアルゴリズム以前にデータ基盤に依存しますが、トヨタはその前提条件を経営判断として整えています。
東レのCFRP開発では、自己組織化マップを用いたデータ可視化が有効に機能しました。難燃性と高強度という両立困難な要件に対し、複雑なデータ構造を直感的に把握できるようになり、研究者の意思決定が加速しています。MIは自動化だけでなく、理解を深めるための道具にもなり得ることを示す好例です。
これらの事例から、日本企業のMI成功の本質は、データ資産、現場知識、AIを三位一体で設計している点にあります。海外事例の模倣ではなく、自社の強みを前提にMIを組み込む姿勢こそが、持続的な競争優位につながっています。
MIスタートアップと産業エコシステムの最新動向
MI分野では近年、スタートアップが技術革新のスピードと産業連携の要として存在感を急速に高めています。従来の材料開発が大企業や国立研究機関を中心に進んできたのに対し、MIスタートアップは特定の材料領域や課題に深く特化したAIモデルを武器に、産業エコシステム全体を動かす触媒として機能しています。
代表例として知られるのが、SchrödingerやCitrine Informaticsです。Schrödingerは計算化学とAIを統合したプラットフォームを軸に、2025年にはソフトウェア収益が売上の8割超を占めるまでに成長しました。Investing.comや同社IR資料によれば、前年同期比54%増という高成長は、創薬から材料・化学領域へと用途を広げた結果だと分析されています。一方、Citrine Informaticsは材料データ基盤と機械学習を組み合わせ、パナソニックなど大手製造業との協業を通じて、材料探索の期間を数年から数か月へ短縮した実績を示しています。
2025年前後の新興スタートアップの特徴は、汎用MIツールから「Vertical AI」への明確なシフトです。StartUs Insightsの分析によれば、近年注目を集める企業の多くは、電池、ガラス、セラミックス、環境配慮型材料といった限定領域にフォーカスし、深いドメイン知識とAIを融合させています。
| 企業名 | 主な対象領域 | 特徴的な強み |
|---|---|---|
| Aionics | 次世代電池材料 | 高速スクリーニングによる開発期間短縮 |
| EcoForge | サステナブル材料 | 環境負荷低減を前提とした材料設計 |
| Substantial AI | ガラス・セラミックス | 専門特化型データモデルによる高精度予測 |
これらのスタートアップは単独で価値を生むだけでなく、産業エコシステム全体の再編を促しています。大手素材メーカーは、自社ですべてを内製するのではなく、MIスタートアップのアルゴリズムやプラットフォームを取り込み、自社データと組み合わせることで競争力を高めています。Grand View Researchなどの市場分析でも、MI市場の成長要因として「スタートアップと大企業の協業モデル」が繰り返し指摘されています。
さらに重要なのは、大学・国立研究機関との接続です。CitrineやKebotixのような企業は、学術研究で生まれたアルゴリズムや自律実験の知見を商用サービスへと橋渡ししています。Nature系論文や米国国立研究所の報告でも、こうした「研究成果の社会実装スピード」がMI分野の競争軸になりつつあると評価されています。
MIスタートアップと産業エコシステムの進化は、単なる外注やツール導入ではありません。企業・研究機関・スタートアップがデータと知見を共有し合うことで、材料開発そのものの構造を変える動きです。このエコシステムにどう関与するかが、今後の素材・製造業の成長曲線を大きく左右すると言えます。
量子コンピュータとMIの融合が拓く次の成長機会
量子コンピュータとマテリアルズ・インフォマティクス(MI)の融合は、材料開発における次の成長機会として、産業界から強い注目を集めています。**古典計算では近似せざるを得なかった量子力学的な振る舞いを、量子コンピュータが直接扱えるようになること**で、MIの探索精度と到達範囲が質的に変わろうとしています。
特にインパクトが大きいのは、強相関電子系や多体問題を含む材料領域です。IBMの量子コンピューティング解説によれば、触媒反応や電池材料における電子状態の正確な記述は、計算量の爆発によって古典計算では限界があるとされています。ここに量子計算を組み込むことで、MIが学習するデータそのものの信頼性が飛躍的に向上します。
この融合は、役割分担によって実現されます。量子コンピュータは小規模ながらも高精度な量子化学計算を担い、MIはその結果を用いて広大な化学空間を探索します。Bain & Companyの分析でも、2025年以降は「量子で精度を出し、AIでスケールさせる」ハイブリッド型が現実解になると指摘されています。
| 領域 | 古典MIのみ | 量子×MI融合 |
|---|---|---|
| 電子状態計算 | 近似モデル中心 | 量子力学的に高精度 |
| 探索スピード | 高速だが精度に限界 | 高精度データで効率向上 |
| 新規材料領域 | 既知系の延長が中心 | 未踏領域への拡張 |
実際の動きも始まっています。日本の量子スタートアップQunaSysは、量子化学計算アルゴリズムを産業用途に最適化し、JSRや三菱ケミカルなど50社超が参加するQPARCを通じて、材料設計への実装を進めています。**量子計算を前提としたMIの学習パイプライン構築**は、日本企業にとって差別化の余地が大きい分野です。
さらに重要なのは、これが単なる研究効率化にとどまらない点です。高性能触媒や次世代電池材料の設計精度が上がれば、試作・量産移行までの時間が短縮され、市場投入のスピードが競争力になります。Googleのサンダー・ピチャイCEOが示すように、量子技術は商業フェーズに入りつつあり、**MIと結びついた企業から新しい事業価値が生まれる可能性**が高まっています。
量子コンピュータとMIの融合は、「計算できなかったものが計算できる」世界を切り拓きます。その結果として生まれるのは、これまで設計思想すら描けなかった材料群です。この未踏領域こそが、次の10年における材料産業の成長エンジンになると考えられています。
新規事業開発担当者が今すぐ考えるべき戦略ポイント
新規事業開発担当者が今すぐ考えるべき戦略ポイントの核心は、マテリアルズ・インフォマティクスを単なる研究効率化ツールとしてではなく、事業創出の起点として再定義することにあります。MarketsandMarketsやPrecedence Researchによれば、MI市場は年率20%前後で拡大しており、2030年代前半には10億ドル規模に達すると見込まれています。この成長局面において重要なのは、技術導入の早さよりも、どの価値連鎖に入り、どのポジションを取るかという戦略設計です。
第一のポイントは、ターゲット市場から逆算したテーマ設定です。Google DeepMindのGNoMEが示したように、AIは膨大な候補材料を提示できますが、事業価値を生むのは市場ニーズに合致した一部に過ぎません。EV、再生可能エネルギー、半導体といった成長市場において、性能要件が明確な領域を定め、逆設計型のMI活用を前提にテーマを絞り込むことが重要です。**技術起点ではなく市場起点でMIテーマを定義できるかどうかが、事業化確率を大きく左右します。**
第二に、データ戦略を事業戦略として位置づける視点です。トヨタ自動車のWAVEBASEやNIMSの取り組みが示すように、高品質な実験データは模倣困難な競争資産になります。Bain & Companyも、量子・AI時代の競争優位はアルゴリズムよりデータに宿ると指摘しています。新規事業の観点では、自社データを囲い込むのか、外部と共有してエコシステム型モデルを構築するのかを初期段階で判断する必要があります。
| 戦略選択 | 狙い | 事業的示唆 |
|---|---|---|
| データ内製型 | 差別化と知財強化 | 長期的な高収益モデル |
| データ連携型 | スピードと規模 | プラットフォーム・サービス展開 |
第三のポイントは、スタートアップや研究機関との連携を前提にした事業設計です。SchrödingerやCitrine Informaticsの事例が示す通り、MIはソフトウェア、サービス、共同研究が組み合わさったビジネスに進化しています。自社単独で全てを抱え込むより、Kebotixのような自律実験ラボ企業や大学との協業により、固定費を抑えつつ検証スピードを高める方が合理的な場合も多いです。
最後に、人材と組織の設計も見逃せません。住友化学や横浜ゴムの事例が示すように、ドメイン知識とデータ科学の融合が成果を生みます。新規事業としてMIに取り組む場合、研究者、データサイエンティスト、事業企画が初期から一体となる体制を構築することが、PoC止まりを回避し、事業化へ進むための現実的な戦略ポイントになります。
参考文献
- GII:マテリアルインフォマティクス市場|市場規模 シェア 動向分析 予測 2024~2030年まで
- 三井住友銀行:マテリアルズ・インフォマティクスによる材料開発
- Google DeepMind:Millions of new materials discovered with deep learning
- Precedence Research:Materials Informatics Market Size, Share and Trends 2025 to 2034
- note(A-side):横浜ゴムのマテリアルズインフォマティクスによるゴム材料開発技術の確立
- Citrine Informatics:Machine Learning for Materials and Chemicals Case Studies
- Bain & Company:Quantum Computing Moves from Theoretical to Inevitable
