生成AIや大規模言語モデルが業務に深く入り込む中で、金融機関のリスク管理は今、大きな転換点を迎えています。これまでモデルリスクマネジメント(MRM)は、数理モデルの精度や前提条件の妥当性を確認する専門領域として位置付けられてきました。
しかし2026年現在、AIは単なる分析ツールではなく、自律的に判断し行動する存在へと進化しています。同じ入力でも異なる出力を返す非決定論的な挙動や、事実ではない情報を生成するハルシネーションは、経営やブランド価値に直結する新たなリスクとなっています。
さらに、エージェントAIが取引執行や外部システム操作まで担う時代において、モデルの正確性だけを見ていては不十分です。AIがどのように振る舞い、どのような影響を及ぼすのかを継続的に監督する視点が求められています。
本記事では、国内外の規制動向、日本の金融機関による先進事例、実際に起きた失敗ケース、そしてCitadel AIやIBM watsonx.governanceなどの最新ツールまでを俯瞰します。MRMを守りの管理業務から、競争力を高める経営基盤へと進化させるためのヒントを得られるはずです。
モデルリスクマネジメントが迎えた2026年の転換点
2026年は、モデルリスクマネジメントが質的に別の次元へ移行した年として記憶される転換点です。従来のMRMは、統計モデルや数理モデルの計算誤差や前提条件の妥当性を管理する枠組みでしたが、生成AIや大規模言語モデルの本格導入により、その前提が崩れました。**モデルはもはや静的な計算装置ではなく、確率的に振る舞い、文脈に応じて行動する存在**へと変化しています。
この変化を象徴するのが、2011年に米連邦準備制度理事会が示したSR 11-7の限界です。SR 11-7は長年にわたり国際的なMRMの基準でしたが、決定論的な出力を前提としており、同一入力でも異なる回答を返す生成AIの挙動は想定外でした。FRBや主要金融機関が2025年以降「継続的モニタリング」や「行動レベルでの検証」を強調し始めた背景には、このギャップへの危機感があります。
日本でも動きは急速です。日本銀行が2025年に公表した調査によれば、生成AIを利用中または試行中の金融機関は7割を超えました。特に顧客対応や市場分析など、判断の質が直接ビジネスに影響する領域での活用が進み、**モデルの誤差が即座に経営リスクへ転化する環境**が現実のものとなっています。
| 観点 | 従来のMRM | 2026年以降のMRM |
|---|---|---|
| モデル特性 | 決定論的 | 確率的・非決定論的 |
| 主な管理対象 | 精度・数式 | 振る舞い・意思決定 |
| リスクの影響範囲 | 業務プロセス内 | 顧客・ブランド・経営 |
さらに2026年の転換点を決定づけたのが、エージェントAIの実用化です。目標を与えられ自律的に行動するAIは、誤った予測値を出すだけでなく、誤った行動を実行します。Matrix IFSの分析が示す通り、リスクの本質は数学的誤差から行動リスクへと移行しました。これはMRMがオペレーショナルリスクやサイバーリスクと不可分になったことを意味します。
こうした状況下で、金融庁が強調する「行動しないリスク」という概念は重要です。リスクを恐れてAIを使わない選択そのものが競争力低下につながるため、**MRMはブレーキではなく、安全に加速するための装置**として再定義されました。2026年は、MRMがバックオフィスの管理業務から、経営戦略の中核へと位置付け直された年だと言えます。
MRM 1.0からMRM 2.0へ:管理対象は「精度」から「振る舞い」へ

MRM 1.0からMRM 2.0への転換点を一言で表すなら、管理の重心が「精度」から「振る舞い」へと移ったことにあります。従来のモデルリスクマネジメントでは、モデルが想定通りの数値を正確に出力しているかが最大の関心事でした。信用スコアや市場リスクモデルのように、同じ入力には同じ出力が返る決定論的モデルが前提だったためです。
しかし2026年現在、生成AIや大規模言語モデルが業務に組み込まれたことで、この前提は完全に崩れています。LLMは確率的に文章を生成し、同一条件でも異なる回答を返します。さらに学習データに内在する偏りや、事実でない内容をもっともらしく生成するハルシネーションを構造的に内包しています。**もはや「正しい数値か」ではなく、「どう振る舞うか」がリスクの本質になっています。**
この変化を象徴的に整理すると、次のような対比になります。
| 観点 | MRM 1.0 | MRM 2.0 |
|---|---|---|
| 主な対象 | 数理・統計モデル | 生成AI・LLM・エージェントAI |
| 管理の焦点 | 精度・計算誤差 | 振る舞い・意思決定 |
| リスクの性質 | データや仮定の誤り | 倫理・公平性・誤誘導 |
米国FRBのSR 11-7が想定していたのは、検証可能で説明可能なモデルでした。しかしブラックボックス性の高い生成AIでは、完全な内部理解を前提とした管理は現実的ではありません。そこでMRM 2.0では、入力と出力、そしてその影響を継続的に監視し、「許容される振る舞いの範囲」を定義するアプローチが重視されます。
たとえば顧客対応AIであれば、回答の正解率だけでなく、顧客を誤解させていないか、不必要な断定をしていないか、特定属性に不利な表現をしていないかが評価軸になります。Matrix IFSの専門家が指摘するように、これは数学的リスクではなく行動リスクの管理です。
**MRM 2.0は、モデルを「計算装置」ではなく「意思決定主体」として扱う発想の転換です。** 精度評価は依然として重要ですが、それは必要条件に過ぎません。AIがどのように考え、どのような影響を外部に及ぼすのか。その振る舞い全体を管理することが、2026年時点でのMRMの中核的役割になっています。
エージェントAIの実用化がもたらす自律性リスク
エージェントAIの実用化は、AI活用を次の段階へ押し上げる一方で、従来とは質の異なる自律性リスクを顕在化させています。最大の特徴は、AIが人間の逐一の指示を待たず、目標達成のために自ら計画し、判断し、行動まで実行する点にあります。この自律性こそが価値の源泉であると同時に、リスク管理の難易度を飛躍的に高めています。
Matrix IFSの専門家分析によれば、エージェントAIの登場によって、モデルリスクは数値誤差中心の「数学的リスク」から、意思決定や行動そのものを対象とする「行動リスク」へと完全に移行しました。例えば、誤った市場解釈に基づき自律的に取引注文を発行したり、内部ルールを誤解したまま顧客向けメールを一斉送信したりする事態が現実的なリスクとして想定されています。
特に問題となるのは、エージェントAIが複数の外部ツールやAPIを横断的に利用する点です。個々の判断は一見合理的でも、それらが連鎖することで、設計者の想定を超えた結果が生じる可能性があります。この創発的な振る舞いは、事前テストだけでは完全に検証できません。
| リスクの観点 | 従来の生成AI | エージェントAI |
|---|---|---|
| 行動範囲 | 回答生成が中心 | 判断・実行まで自律 |
| 影響の広がり | 限定的 | 組織横断的 |
| 主な失敗形態 | 誤情報提示 | 誤判断による実行 |
さらに、自律性リスクを深刻化させる要因として、コード生成と実行能力の組み合わせがあります。生成されたコードに脆弱性や論理欠陥が含まれていた場合、無限ループやシステム停止といった可用性リスクが連鎖的に発生します。これは、単なるAIの精度問題ではなく、オペレーショナルリスクやサイバーリスクと直結します。
米国のSR 11-7ガイダンスを所管する連邦準備制度理事会の関係者も、近年の議論の中で、自律的に振る舞うモデルに対しては、継続的モニタリングと権限管理が不可欠であると繰り返し言及しています。事前承認された範囲を超える行動を検知・遮断する仕組みなしに、エージェントAIを本番環境へ投入することは現実的ではありません。
何ができるかではなく、どこまでやってよいかを定義し続けることが、自律性リスク低減の核心となります。
このため先進的な組織では、AIに付与する権限レベルを段階化し、異常行動時には即座に停止できるキルスイッチを技術要件として組み込んでいます。エージェントAIは放置すれば賢い従業員にも、制御を失えば高速で動くリスク増幅装置にもなり得ます。自律性を前提にしたガバナンス設計こそが、2026年時点で最も重要な経営課題の一つになっています。
日本のAI規制と金融庁のアジャイル・ガバナンス

日本のAI規制の最大の特徴は、厳格なルール先行型ではなく、状況に応じて進化させるアジャイル・ガバナンスにあります。2026年時点で、この考え方を最も明確に体現しているのが金融庁です。金融庁はAIを一律に規制対象とするのではなく、既存の金融法制の枠内でどのように利活用されるかに焦点を当て、イノベーションとリスク管理の両立を目指しています。
象徴的なのが、2025年に公表された「金融分野におけるAIの健全な利活用促進に向けた論点整理」です。この文書では、AI導入に伴うリスクだけでなく、**AIを導入しないこと自体が中長期的な競争力低下につながる「行動しないリスク」**であると明示されました。この問題提起は、金融機関の経営層に対し、AI活用を守りではなく攻めの経営課題として位置付ける強いメッセージとなっています。
金融庁のアプローチを理解する上で重要なのが、セーフハーバーの考え方です。金融庁は、銀行法や金融商品取引法といった既存規制がAI利用にどう適用されるかを丁寧に整理し、どの範囲であれば規制上問題になりにくいのかという予見可能性を高めています。これにより金融機関は、事後的な規制リスクを過度に恐れることなく、生成AIやエージェントAIの実証や展開に踏み出しやすくなりました。
| 観点 | 日本(金融庁) | EU(EU AI法) |
|---|---|---|
| 規制思想 | アジャイル・ガバナンス | 包括的・事前規制 |
| 基本姿勢 | 技術中立・原則重視 | リスク区分ごとの義務 |
| 金融機関への影響 | 対話を通じた柔軟対応 | 厳格な適合性評価 |
この違いは、モデルリスクマネジメントの実務にも直結します。日本では、特定のAIモデルや手法を禁止・許可するのではなく、説明責任や内部統制が果たされているかが問われます。金融庁によれば、重要なのはモデルの種類ではなく、意思決定プロセスが透明で、問題発生時に適切に是正できる体制が整っているかどうかです。これは、生成AIの非決定論的な挙動を前提としたMRM 2.0と高い親和性を持っています。
さらに特徴的なのが、対話と共創を軸にした監督姿勢です。Japan Fintech Weekや各種スタディグループを通じ、金融庁は金融機関やテック企業、有識者と継続的に意見交換を行っています。**規制当局が完成形のルールを示すのではなく、現場の実践知を取り込みながらガバナンスを進化させる点**が、日本型アジャイル・ガバナンスの本質です。
日本銀行が2025年度に実施した調査で、生成AIを利用中または試行中の金融機関が7割を超えたという結果は、このアプローチが現実に機能していることを裏付けています。金融庁の柔軟な姿勢は、AI活用を一気に加速させる土壌となりつつあり、2026年の日本の金融業界では、ガバナンスとイノベーションを同時に高度化させるモデルケースとして国際的にも注目されています。
日本銀行調査が示す生成AI導入の実態と課題
日本銀行が2025年度に実施し公表した調査は、日本の金融機関における生成AI導入が「実験段階」を明確に超えたことを示しました。調査によれば、生成AIをすでに利用中、または試行中と回答した金融機関は全体の7割を超え、検討中を含めると9割以上に達しています。**生成AIは一部の先進行の専有物ではなく、業界標準の業務インフラになりつつあります。**
業態別に見ると、メガバンクや大手金融機関では約9割が導入・試行段階にあり、活用範囲も議事録作成や翻訳といったバックオフィス用途から、顧客対応、市場分析、システム開発支援など収益に直結する領域へ急速に拡大しています。一方、地域銀行でも導入・試行率は約66.7%に達しており、人手不足や業務効率化の圧力が強力な導入要因となっていることが浮き彫りになりました。
| 業態 | 導入・試行率 | 主な活用領域 |
|---|---|---|
| メガバンク・大手行 | 約90% | 顧客対応、市場分析、開発支援 |
| 地域銀行 | 約66.7% | 事務効率化、文書作成、照会対応 |
ただし、日本銀行の調査が同時に示したのは、導入の広がりとリスク管理体制の成熟度とのギャップです。特に多くの金融機関が課題として挙げたのが、専門人材の不足とガバナンスの整備です。**生成AIの挙動を理解し、結果を検証できる人材が限られているため、現場任せの運用に陥りやすい**という声が目立ちました。
また、地域金融機関では外部ベンダーのAIサービスへの依存度が高く、モデルの内部構造や学習データを十分に把握できないという懸念も示されています。これは日本銀行が指摘する「サードパーティリスク」の典型例であり、契約管理や継続的モニタリングを含めた新しいリスク管理手法が不可欠であることを示唆しています。
日本銀行自身も調査結果の分析において、生成AIの便益を否定する姿勢は取っていません。むしろ、業務効率化やサービス高度化の可能性を評価しつつ、**リスクを理由に立ち止まること自体が中長期的な競争力低下につながる**という含意を読み取ることができます。国際決済銀行(BIS)などの議論とも整合的に、日本銀行は各金融機関に対し、利用実態を可視化したうえで段階的に管理高度化を進める現実的な対応を促しています。
この調査が持つ最大の意義は、「導入するか否か」ではなく、「いかに制御し、組織として責任を持つか」という問いを業界全体に突きつけた点にあります。**生成AIはすでに現場に入り込んでおり、統制の遅れそのものが新たなリスクになっている**という事実を、日本銀行のデータは冷静に示しています。
EU AI法と米国SR 11-7が日本の金融機関に与える影響
EU AI法と米国のSR 11-7は、日本の金融機関に対して直接的な法的拘束力を持たない一方で、2026年時点では事実上の国際標準として強い影響力を持っています。特に海外拠点を有するメガバンクや保険グループにとっては、国内規制対応だけでは不十分となり、グローバル基準を前提としたAIガバナンス設計が避けられない状況です。
EU AI法は、AIをリスクベースで分類し、信用スコアリングや保険料算定などの金融用途をハイリスクAIと位置づけています。欧州で事業を行う日本の金融機関は、モデルの性能以前に、データの代表性、バイアス管理、人間による監督体制、変更履歴の記録といったプロセス面まで含めて説明責任を負うことになります。欧州委員会の公式解説によれば、違反時の制裁金は全世界売上高の最大6%に達する可能性があり、これは経営リスクそのものです。
一方、米国のSR 11-7は新法ではないものの、生成AI時代に合わせた解釈の高度化が進んでいます。FRBやOCCの監督実務では、従来の静的なモデル検証に加え、運用開始後の継続的モニタリングや、外部ベンダーが提供するモデルへのデューデリジェンスが重視されています。特にブラックボックス性の高い生成AIに対して、なぜその判断に至ったのかを合理的に説明できる体制が問われています。
この2つの規制の特徴を整理すると、求められている方向性の違いと共通点が明確になります。
| 観点 | EU AI法 | 米国 SR 11-7 |
|---|---|---|
| 基本思想 | リスク分類に基づく事前規制 | 原則ベースの継続的管理 |
| 主な焦点 | データ・プロセス・人間監督 | 検証、説明可能性、モニタリング |
| 日本への影響 | グローバル共通基盤の整備 | MRM運用高度化の事実上の標準 |
日本の金融機関にとって重要なのは、EU向け、米国向け、日本向けに別々の管理体制を作ることではありません。実務の現場では、EU AI法レベルの厳格さをベースラインとし、その上でSR 11-7が求める継続的なモデルライフサイクル管理を組み込む動きが広がっています。これは結果として、日本の金融庁が重視するプリンシプルベース監督とも親和性が高い構造です。
規制対応をコストと捉えるか、信頼性の高いAI活用を実現する競争優位と捉えるかで、2026年以降の金融機関の差は決定的に開いていきます。 EU AI法とSR 11-7は、日本の金融機関にMRMを経営中枢へ引き上げる強力な外圧として機能しているのです。
生成AI時代に顕在化した新しいリスクカテゴリー
生成AI時代において、モデルリスクは単なる精度や数理的誤差の問題を超え、これまで想定されてこなかった新しいリスクカテゴリーとして再定義されています。**最大の特徴は、リスクの対象が「計算結果」から「AIの振る舞いそのもの」へと移行した点です**。確率的に応答を生成し、状況に応じて行動を変える生成AIは、従来のMRMでは捉えきれない不確実性を内包しています。
特に顕在化しているのが行動リスクです。エージェントAIは目標達成のために自律的に計画を立て、外部システムを操作します。その結果、誤った前提や文脈理解に基づき、意図しない取引実行や顧客対応を行う可能性があります。Matrix IFSの分析でも、これは数学的リスクではなく行動リスクとして管理すべきだと指摘されています。
| 新リスクカテゴリー | 主な特徴 | 経営への影響 |
|---|---|---|
| 行動リスク | 自律判断による予期せぬ行動 | 誤取引・業務停止 |
| 事実性リスク | ハルシネーションの生成 | 誤情報提供・法的責任 |
| 権限リスク | 過剰なAPI・システム操作権限 | 不正操作・損失拡大 |
もう一つ重要なのが事実性リスクです。LLMはもっともらしい虚偽情報を生成する性質があり、金融分野では致命的な影響を及ぼします。2025年に公表されたPHANTOMベンチマーク研究では、長文の金融文書を扱う際に誤情報生成率が有意に上昇することが示されました。**正確性を前提とした業務プロセス自体が脆弱化する**点が、このリスクの本質です。
さらに見落とされがちなのが権限リスクです。生成AIやエージェントAIに付与される権限が過剰になると、誤判断が即座に実行行為へと結びつきます。日本銀行の調査でも、生成AIをAPI連携で業務システムに組み込む金融機関が急増しており、権限管理とキルスイッチ設計の重要性が強調されています。
これらの新しいリスクカテゴリーは、個別に存在するのではなく相互に連鎖します。ハルシネーションによる誤認識が、自律行動と過剰権限を通じて実害へ転化する構造です。**生成AI時代のMRMでは、モデルを静的な資産としてではなく、振る舞い続ける主体として捉える視点が不可欠です**。この認識転換こそが、新しいリスクに対処する第一歩となります。
日本の金融機関に学ぶAIガバナンスの先進事例
日本の金融機関は、生成AIとエージェントAIの急速な実装を背景に、世界的にも注目されるAIガバナンスの実践知を蓄積しています。特徴的なのは、単なる規制対応にとどまらず、経営戦略・組織文化・現場運用を一体化させた点です。**AIをリスクとして管理するだけでなく、信頼を競争力に転換する設計思想**が明確に見られます。
代表例の一つが三菱UFJフィナンシャル・グループです。同社は全社横断のデータ・AI基盤を整備し、モデルの開発から運用、監視までを統合管理しています。これにより、どの業務でどのAIが使われ、どのデータに依存しているかを即座に把握できる状態を実現しました。金融庁や日本銀行が重視する説明責任への即応性が高まり、**ガバナンス強化と開発スピード向上を同時に達成**しています。
三井住友フィナンシャルグループのアプローチは、人材と文化に軸足を置いています。社内のデジタルユニバーシティを通じ、技術者だけでなく営業や管理部門を含む全行員にAIリテラシー教育を実施しています。AIが出した答えを鵜呑みにせず、妥当性や倫理性を問い直す力を養う点が特徴です。これは、金融庁のAI論点整理が示す「行動しないリスク」への現実的な回答でもあります。
| 金融機関 | ガバナンスの主眼 | 特徴的な取り組み |
|---|---|---|
| MUFG | 構造と可視化 | モデル系譜の一元管理と監査即応 |
| SMBC | 人材と文化 | 全社的AIリテラシーと倫理教育 |
| 東京海上HD | 判断の安全性 | Human-in-the-Loopの制度化 |
損害保険分野では東京海上ホールディングスの事例が象徴的です。同社はAIによる査定や判断に必ず人間が関与するHuman-in-the-Loopを制度として明確化しました。これは、AIの精度向上だけでは防げないバイアスや説明不能性への実務的な対処であり、**顧客信頼を守るためのガバナンスを業務プロセスに埋め込んだ好例**です。
これらの事例に共通するのは、AIガバナンスをチェックリスト型の統制ではなく、経営インフラとして再定義している点です。日本銀行の2025年調査が示すように、金融機関の7割超が生成AIを利用する時代において、**ガバナンスの成熟度そのものが企業価値を左右する指標**になりつつあります。日本の金融機関が示す実践は、2026年以降のグローバルなAI統治モデルに対しても、重要な示唆を与えています。
MRMを支える最新RiskTechツールの動向
2026年現在、モデルリスクマネジメントを実務として支えているのは、人手による検証や文書化ではなく、専用のRiskTechツールです。生成AIやエージェントAIの非決定論的な挙動を前提とすると、モデルの設計・検証・運用を一貫して可視化し、継続的に監視する仕組みが不可欠になっています。
とりわけ注目されているのが、開発段階と運用段階を明確に分離し、それぞれに最適化された機能を提供するプラットフォーム型ツールです。例えばCitadel AIは、開発時の品質検証と本番環境での挙動監視を別プロダクトとして設計し、生成AI特有のハルシネーションやバイアス、毒性を定量的に把握できる点で評価されています。日本語LLMに対応した評価指標を持つ点は、日本市場において重要な差別化要因です。
一方、米国の規制当局や監査実務との親和性を重視する金融機関では、DataRobotの存在感が高まっています。FRBのSR 11-7に沿ったモデル文書を自動生成し、モデル変更の履歴や検証結果を監査証跡として残せる機能は、属人化しがちなMRM業務を標準化する効果があります。実際、米国の大手金融機関では、監査対応工数が大幅に削減されたと報告されています。
グローバル展開を前提とする金融グループでは、IBM watsonx.governanceのような統合型ガバナンス基盤が採用される傾向にあります。EU AI法を含む複数の規制要件を横断的に管理し、モデルのライフサイクル全体を統制する設計は、KPMGなどの監査法人の知見を取り込んだエンタープライズ向けアプローチとして位置付けられています。
| ツール名 | 主な強み | 想定利用シーン |
|---|---|---|
| Citadel AI | 生成AI挙動の定量監視、日本語対応 | LLM・エージェントAIの品質管理 |
| DataRobot | 規制準拠文書の自動生成 | 監査・当局対応の効率化 |
| IBM watsonx.governance | グローバル規制の一元管理 | 大規模組織の統合ガバナンス |
重要なのは、これらのツールが単なるチェックリスト自動化ではない点です。MITやスタンフォード大学のAIガバナンス研究でも指摘されているように、継続的モニタリングとフィードバックループを備えた仕組みこそが、動的に振る舞うAIリスクを抑制します。RiskTechはMRM 2.0において、ガバナンスを現場で機能させるための実装基盤として不可欠な存在になっています。
失敗事例から読み解くAIリスク管理の盲点
AI活用が本格化する一方で、2025年から2026年にかけて表面化した失敗事例は、リスク管理における共通の盲点を浮き彫りにしています。特徴的なのは、モデル精度や技術性能そのものではなく、組織設計・運用プロセス・人間の判断を過信した点に起因する失敗が多いことです。
例えば、米エンジニアリング大手Arupで発生したディープフェイク詐欺事件では、CFOになりすましたAI生成映像と音声を用いたオンライン会議が信頼され、約2,500万ドルもの不正送金が行われました。この事例が示すのは、AIリスクが「モデルの誤作動」ではなく、既存の業務統制や本人確認プロセスを無力化する形で顕在化するという現実です。
AIは単独で事故を起こすのではなく、人間の判断フローに入り込むことでリスクを拡大させます。
同様に、タコベルの音声AI導入失敗では、PoC段階では高評価だったモデルが、実環境での多様なアクセントや悪意ある入力に耐えられず、現場混乱とブランド毀損を招きました。スタンフォード大学のHCI研究でも、生成AIは「平均的な入力」には強い一方、エッジケースへの耐性が組織的に過大評価されやすいと指摘されています。
| 失敗事例 | 表面的要因 | 本質的な盲点 |
|---|---|---|
| Arup ディープフェイク詐欺 | 認証突破 | 人を介した承認プロセスの脆弱性 |
| タコベル 音声AI | 認識精度不足 | 実環境リスクと人間介入設計の欠如 |
金融業界に置き換えると、これらはチャットボットによる誤案内、エージェントAIによる自律的な誤操作、承認フローの形骸化として再現され得ます。FRBのSR 11-7解釈更新や日本銀行の2025年調査が強調するのも、モデル単体ではなく、業務プロセス全体をリスク単位として捉える視点です。
失敗事例から導かれる最大の教訓は明確です。AIリスク管理の盲点は「想定外の技術」ではなく、「想定内だと誤認した人間と組織の振る舞い」にあります。だからこそ、Human-in-the-Loop、フェイルセーフ設計、権限管理といった運用レベルの統制が、モデル精度以上に経営リスクを左右する時代に入っているのです。
2026年以降に求められるMRMロードマップ
2026年以降に求められるMRMロードマップは、単なる制度対応計画ではなく、AI活用を前提とした経営変革の設計図として位置付ける必要があります。生成AIやエージェントAIが業務プロセスの中核に入り込む中で、MRMは「後追いの検証」から「先回りの設計」へと役割を変えつつあります。
最大の転換点は、モデル導入後にリスクを測るのではなく、企画・設計段階でリスクを組み込む発想です。FRBのSR 11-7やEU AI法の解釈動向を踏まえると、モデルのライフサイクル全体を通じたガバナンス設計が国際的な共通要件になりつつあります。
具体的には、ロードマップの初期段階で全社横断のAIインベントリを整備し、どの業務でどのモデルが使われ、どの規制・リスク区分に該当するかを明確化することが不可欠です。日本銀行の2025年調査が示した通り、生成AI利用はすでに70%超の金融機関に広がっており、把握できていないモデルの存在そのものがリスクになります。
| フェーズ | 主目的 | MRMの重点 |
|---|---|---|
| 短期(〜1年) | 可視化と統制 | AIインベントリ整備と責任者明確化 |
| 中期(1〜3年) | 高度化と統合 | ORM・サイバーリスクとの統合管理 |
| 長期(3年〜) | 競争力強化 | 攻めのガバナンスによる迅速な実装 |
中期フェーズでは、MRMをオペレーショナルリスク管理やサードパーティリスク管理と統合する設計が鍵になります。Matrix IFSの専門家が指摘するように、エージェントAI時代のリスクは数値誤差ではなく行動リスクです。自律的にAPIや外部ツールを操作するAIを管理するには、権限制御、ログ監査、緊急停止といったIT統制をMRMの正式な評価項目に組み込む必要があります。
この段階で重要なのは、検証プロセスを人手依存から脱却させることです。Citadel AIやDataRobot、IBM watsonx.governanceのようなツールを活用し、バイアス検知や性能劣化の監視を常時自動化することで、MRMはスケーラブルな仕組みに進化します。規制当局への説明責任も、属人的な資料作成ではなく、システム化された証跡管理が前提になります。
長期的には、MRMロードマップの完成形は「イノベーションを加速させる装置」です。金融庁がAI Discussion Paperで示した「行動しないリスク」を回避するためにも、MRM部門はビジネス部門と並走し、安全に試せる基準やサンドボックスを提供する役割を担います。高性能なブレーキがあるからこそ、組織は安心してアクセルを踏めるという考え方です。
最終的にロードマップを機能させるのは人です。SMBCの事例が示すように、全社員がAIの限界とリスクを理解する文化がなければ、どれほど精緻な枠組みも形骸化します。2026年以降のMRMロードマップとは、技術・規制・人材を一本の線で結び、AIと共存するための持続的な経営基盤を構築するプロセスそのものです。
参考文献
- 金融庁:金融分野におけるAIの健全な利活用促進に向けた論点整理
- 日本銀行:金融機関における生成AIの活用とリスク管理に関するアンケート調査
- European Commission:EU Artificial Intelligence Act
- Federal Reserve:Supervisory Guidance on Model Risk Management (SR 11-7)
- OWASP:OWASP Top 10 for Large Language Model Applications
- IBM:watsonx.governance Overview
