サステナビリティや脱炭素への対応が「努力目標」だった時代は、確実に終わりを迎えています。特にScope 3排出量は、もはや環境部門だけの管理指標ではなく、企業価値そのものを左右する重要な経営データとなりました。投資家や金融機関は、算定の有無ではなく、その精度や実効性を厳しく見極めています。
日本ではサステナビリティ開示基準の確定により、有価証券報告書での気候関連情報開示が本格的に義務化されました。同時に、国際的にはSBTiのネットゼロ基準が大幅に更新され、Scope 3の境界設定や削減アプローチが再定義されています。これにより、従来の概算的な算定や二次データ依存の手法では、もはや十分とは言えなくなりました。
本記事では、Scope 3算定を取り巻く国内外の制度変化、一次データ活用への転換、セクター別の最新動向、そして財務・投資との結びつきまでを体系的に整理します。これからの企業経営において、なぜScope 3が競争力の源泉となるのか、その全体像を理解できる内容です。
Scope 3算定が企業価値評価の中核になった理由
2026年においてScope 3算定が企業価値評価の中核に位置付けられた最大の理由は、非財務情報が正式に財務情報と同列で評価される段階に入ったためです。サステナビリティ情報は長らく任意開示や広報的文脈で扱われてきましたが、SSBJによる国内基準の確定により、有価証券報告書という法定開示の枠組みに組み込まれました。これにより、Scope 3は「努力目標」ではなく、投資家が企業価値を測るための検証可能な指標へと変質しています。
特に重要なのは、Scope 3が企業の将来キャッシュフローに影響するリスク要因として明確に定義された点です。ISSBのグローバル・ベースラインを踏襲するSSBJ基準では、気候変動リスクが損益計算書や貸借対照表に与える影響の定量化が求められます。購入した製品・サービスに由来する排出量が多い企業ほど、炭素価格の上昇や規制強化によるコスト増加に直面しやすく、Scope 3は将来の利益率を左右する先行指標として扱われるようになりました。
この流れを決定づけたのが、SBTiによるCorporate Net-Zero Standard V2.0の運用開始です。SBTiによれば、先進国の大企業はScope 3を含む全範囲での目標設定が義務となり、サプライチェーン全体への影響力が企業責任として評価されます。投資家は、単なる排出量の大小ではなく、どの排出源にどれだけ戦略的に関与しているかを重視するようになっています。
| 評価観点 | 従来(〜2020年代前半) | 2026年以降 |
|---|---|---|
| Scope 3の位置付け | 参考情報・任意開示 | 法定開示・企業価値評価の前提 |
| 投資家の関心 | 姿勢や方針の表明 | 財務影響を伴う定量データ |
さらに2026年は、一次データ流通の高度化によってScope 3の信頼性が飛躍的に高まった年でもあります。環境省と経済産業省が更新したガイドラインでは、サプライヤーの実測値を反映する算定が推奨され、削減努力が数値として企業価値に反映される構造が整いました。これにより、Scope 3は推計値の集合ではなく、経営管理可能なデータ資産として認識されています。
結果として、機関投資家や金融機関は、Scope 3の算定精度と削減戦略を企業のレジリエンス評価に組み込み始めました。サステナブル・ファイナンスの現場では、Scope 3をKPIとする融資条件が一般化し、対応が不十分な企業は資本コストの上昇という形で不利を被ります。こうした実務の積み重ねが、Scope 3を単なる環境指標から、企業価値を左右する経営指標へと押し上げたのです。
日本におけるサステナビリティ開示義務化とSSBJ基準の位置付け

2026年は、日本におけるサステナビリティ情報開示が「事実上の努力義務」から「明確な法的義務」へと移行した転換点です。金融庁と東京証券取引所の主導のもと、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)が策定した日本版サステナビリティ開示基準が確定し、有価証券報告書における気候関連情報の開示が制度として組み込まれました。これは、非財務情報が企業評価の補足資料ではなく、**財務情報と同等の信頼性と比較可能性を求められる段階に入った**ことを意味します。
SSBJ基準の最大の特徴は、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が定めたグローバル・ベースラインを全面的に踏襲しつつ、日本の金融商品取引法や開示実務と高い整合性を持たせている点です。ISSB基準によれば、気候変動は企業のキャッシュフロー、資産評価、資本コストに直接的な影響を及ぼすリスク要因と位置付けられており、SSBJも同様に、気候リスクと機会を財務的影響と結び付けて説明することを企業に求めています。
適用対象は段階的に拡大されますが、2026年度は特に大企業にとって「実運用初年度」としての意味合いが極めて大きいです。5年平均時価総額を基準とした選定により、まずは市場への影響力が大きい企業から厳格な開示が求められます。
| 適用フェーズ | 開示開始時期 | 主な対象基準 | 求められる開示の水準 |
|---|---|---|---|
| 第一段階 | 2027年3月期 | 5年平均時価総額3兆円以上 | Scope1〜3と財務影響の定量開示 |
| 第二段階 | 2028年3月期以降 | 5年平均時価総額1兆円以上 | 第一段階に準じつつ一部緩和 |
重要なのは、有価証券報告書に記載される情報が、将来的に監査法人による合理的保証の対象となる点です。統合報告書や任意開示とは異なり、**数値の正確性や算定根拠の妥当性が法的責任を伴って問われる**ことになります。金融庁の検討資料でも、開示情報の信頼性確保が投資家保護の観点から不可欠であると繰り返し強調されています。
また、SSBJ基準はダブル・マテリアリティの考え方を実務レベルに落とし込んでいます。すなわち、企業活動が環境や社会に与える影響だけでなく、気候変動そのものが企業の財務状態や将来収益に与える影響を、定量的に説明することが求められます。特にScope3排出量は、炭素価格の上昇や規制強化を通じて収益性を左右する「移行リスク」の主要因とされ、算定精度の高さがそのままリスク管理能力の評価につながります。
このようにSSBJ基準は、日本企業に国際資本市場と同じ土俵での説明責任を課す制度です。単なる開示対応にとどまらず、**サステナビリティ情報を経営判断と財務戦略に統合できるかどうか**が、2026年以降の企業価値を左右する重要な分岐点になっています。
段階的に進む適用スケジュールと対象企業の考え方
2026年時点において、SSBJ基準の適用スケジュールは、企業規模と市場への影響度を踏まえた段階的設計が最大の特徴です。これは単なる事務負担の調整ではなく、資本市場に与えるインパクトの大きさを基準に、開示の厳格度を順序立てて高めていくという政策的意図に基づいています。
適用の判断軸となるのは、2026年3月31日を基準日とした5年平均時価総額です。この指標は、短期的な株価変動を排し、企業の中長期的な市場評価を反映するために採用されています。金融庁の検討資料によれば、これにより恣意的な対象選定を避け、投資家との情報非対称性を最小化する狙いがあります。
| フェーズ | 適用開始時期 | 主な対象 | 開示の特徴 |
|---|---|---|---|
| 第一段階 | 2027年3月期 | 時価総額3兆円以上 | Scope1〜3と財務影響の定量開示 |
| 第二段階 | 2028年3月期以降 | 時価総額1兆円以上 | 原則同等、一部緩和検討 |
| 第三段階 | 順次拡大 | その他プライム企業 | 将来的な全面適用を想定 |
第一段階に該当する企業にとって、2026年度は実質的な初年度運用に当たります。有価証券報告書での開示は、統合報告書などの任意開示とは異なり、監査法人の関与を前提とします。そのため、Scope 3の算定ロジックやデータソースは、後から説明できる水準の厳密さが求められます。ここで問われているのは算定結果そのものよりも、なぜその数値になるのかを説明できる統制力です。
対象企業の考え方として重要なのは、「義務化されたから対応する」という受動的姿勢からの脱却です。特に時価総額3兆円超の企業は、国内外の機関投資家から既にISSB整合の開示を期待されており、SSBJ対応は最低限の要件に過ぎません。実務の現場では、将来の第二・第三段階への拡大を見据え、グループ会社や主要サプライヤーまで含めたデータ基盤の整備を先行させる企業が増えています。
また、この段階的適用は「猶予期間」と誤解されがちですが、実際には市場からの評価は先行します。SBTiやISSBの動向を踏まえると、Tier 2やTier 3に該当する企業であっても、準備の遅れは移行リスクとして織り込まれます。適用スケジュールは免除の線引きではなく、企業価値に直結する時間軸として理解する必要があります。
このように、SSBJ基準の段階的適用は、企業に対して「いつまでに、どの水準の説明責任を果たすのか」を明確に示しています。対象企業に求められるのは、単年対応ではなく、将来の義務化を前提にした中期的な開示戦略と体制構築です。
財務報告と結び付くScope 3──カーボン会計とダブル・マテリアリティ

2026年においてScope 3は、サステナビリティ報告の一項目ではなく、財務報告と一体化したカーボン会計の中核として位置付けられています。SSBJ基準がISSBの要求を踏まえ、有価証券報告書での開示を求めたことで、**Scope 3排出量は企業価値評価に直結する数値**となりました。投資家は排出量そのものよりも、それが将来のキャッシュフローやコスト構造にどのような影響を及ぼすかを重視しています。
この文脈で重要性を増しているのがダブル・マテリアリティの考え方です。企業活動が環境や社会に与える影響だけでなく、気候変動が企業の財務状態に与える影響を同時に評価する枠組みであり、Scope 3はその接点に位置します。特に移行リスクの観点では、サプライチェーン上流に炭素集約的な工程を多く抱える企業ほど、将来的な炭素価格や規制強化の影響を受けやすいと整理されています。
SSBJ基準では、気候関連リスクが損益計算書や貸借対照表に与える影響を定量的に説明することが求められています。例えばカテゴリ1の排出量が大きい製造業では、原材料価格への炭素コスト転嫁が利益率を圧迫する可能性があり、**排出量データと調達コストを統合管理するカーボン会計の導入**が実務上の前提となっています。金融庁の検討資料によれば、こうした分析は監査の対象となる可能性も見据えられています。
| 観点 | Scope 3との関係 | 財務への影響例 |
|---|---|---|
| 移行リスク | 上流・下流の排出構造 | 炭素コスト増による原価上昇 |
| 物理的リスク | サプライチェーン寸断 | 資産減損や在庫損失 |
| 機会 | 低炭素製品への需要 | 売上成長・市場評価向上 |
国際的にもこの流れは明確で、ISSBやIFRS財団は、非財務情報が将来の財務数値を予測するための前提条件であると位置付けています。SBTiのネットゼロ基準V2.0がScope 3の境界設定を影響力ベースで再定義したことは、**財務的に意味のある排出源に経営資源を集中させる**という点で、ダブル・マテリアリティの実装を後押ししています。
結果として2026年の実務では、サステナビリティ部門と財務部門の役割分担が再編されています。Scope 3は環境指標であると同時に、将来の減損リスクや資金調達コストを左右する財務変数としてCFOの関与が不可欠となりました。**排出量の精度が財務の信頼性を左右する時代**において、Scope 3とダブル・マテリアリティの統合は、企業経営の前提条件になりつつあります。
SBTiネットゼロ基準V2.0がもたらしたScope 3の再定義
SBTiネットゼロ基準V2.0は、Scope 3を「網羅的に算定する対象」から「戦略的に管理すべき排出源」へと再定義しました。これまでのScope 3は、全15カテゴリをできる限り広くカバーすること自体が評価軸となり、二次データによる概算値が常態化していました。しかしV2.0では、科学的妥当性と実行可能性を両立させるため、境界設定と責任の考え方が大きく見直されています。
最大の転換点は、企業区分に応じた二層構造の導入です。SBTiによれば、先進国の大型・中堅企業はカテゴリーAに分類され、Scope 3の割合に関係なく近接目標の設定が義務化されました。一方、途上国や小規模企業を含むカテゴリーBでは、Scope 3は任意とされます。これは一律の負荷を課すのではなく、影響力の大きい主体に重点的な責任を持たせる設計であり、公平な移行という国際的合意を反映しています。
この変更により、Scope 3は「測れるかどうか」ではなく「誰がどこに影響力を持つか」で定義されるようになりました。V2.0が提示する新しい境界設定では、従来の排出量割合基準に代わり、活動強度やバリューチェーン上の影響力を重視します。調達額が大きく、技術的・契約的に働きかけが可能な領域こそが、優先的な算定・削減対象と位置付けられています。
| 観点 | 従来基準 | V2.0での再定義 |
|---|---|---|
| 境界設定 | 排出量割合の数値基準 | 影響力と削減可能性を重視 |
| 企業責任 | 全企業に一律要求 | 企業区分に応じた差別化 |
| データ重視点 | 絶対量の網羅性 | 一次データと行動の妥当性 |
さらに重要なのが、アライメント指標の正式な位置付けです。V2.0では、排出量の絶対値だけでなく、サプライヤーが1.5℃目標に整合した目標を設定しているか、調達金額のうちどれだけがネットゼロ整合先に向けられているかといった指標の活用が認められました。SBTiの解説文書によれば、これは一次データが不足する現実を前提に、削減努力そのものを可視化するための措置とされています。
この結果、Scope 3は「排出量の集計」から「サプライチェーン変革の進捗管理」へと性格を変えました。日本企業の実務では、排出量管理とエンゲージメント指標を併用し、サプライヤーの目標設定や再エネ導入状況を経営KPIとして扱う動きが広がっています。ISSBやSBTiが求めるのは、完璧な数値ではなく、科学的根拠に基づいた一貫した改善プロセスです。
V2.0がもたらしたScope 3の再定義は、企業にとって負担軽減ではなく、責任の明確化を意味します。どこまで算定するかではなく、どこを変革するか。その問いに正面から向き合うことが、2026年以降のネットゼロ経営における新たな標準となっています。
一次データ時代への転換とサプライヤーエンゲージメント
2026年のScope 3実務で最も本質的な変化は、二次データ中心の算定から一次データ時代への明確な転換です。環境省・経済産業省が更新した算定ガイドラインでは、サプライヤーが自社活動に基づき算出した排出原単位を優先的に用いる方針が明示されました。これは、排出量を「推計する」行為から、「実測値に近づけ、削減努力を正当に反映する」経営インフラへと進化したことを意味します。
従来主流だった金額ベースの二次データ方式では、サプライヤーが省エネ投資や再エネ導入を行っても、その成果は調達企業のScope 3に反映されませんでした。2026年時点では、こうした構造的欠陥が投資家や監査の観点から問題視され、一次データの有無そのものが開示の信頼性を左右する評価軸となっています。ISSBやSSBJの考え方を踏まえると、データの精度はそのまま財務リスク管理能力の指標として扱われています。
一次データ活用の実務的な整理を行うと、企業が直面する論点は以下のように収斂します。
| 観点 | 二次データ中心 | 一次データ活用 |
|---|---|---|
| 削減努力の反映 | 不可 | 可(省エネ・再エネが反映) |
| 監査対応 | 限定的 | 第三者検証と親和性が高い |
| 経営活用 | 事後的把握 | 調達戦略・価格交渉に連動 |
しかし、一次データ化は単なる技術課題ではありません。最大のハードルは、サプライヤー、とりわけ中小企業との関係性です。2026年の先進事例では、調達企業が一方的にデータ提出を求めるのではなく、算定ツールの無償提供や勉強会の開催、さらには算定業務の代行まで含めた「支援型エンゲージメント」が主流となっています。環境省のエンゲージメント実践ガイドが示す段階的アプローチは、多くの日本企業で事実上の標準となりました。
特に注目すべきは、一次データを軸にしたインセンティブ設計です。排出量データを提出し、削減計画を持つサプライヤーに対して、グリーン調達での優先順位付けや、金融機関と連携した金利優遇の機会を提供する動きが広がっています。これはSBTiがV2.0で認めたエンゲージメント指標の考え方とも整合しており、排出量の絶対値が揃わない段階でも、削減努力そのものを可視化する仕組みとして評価されています。
さらに、WBCSDが推進するPACTなどの国際的なデータ交換標準への準拠により、異なる企業・システム間で一次データを安全に共有できる環境が整いました。これにより、一次データは個社の負担ではなく、サプライチェーン全体で共同管理される経営資源へと位置づけが変わりつつあります。
一次データ時代への転換とサプライヤーエンゲージメントは、単なる算定高度化ではありません。調達、財務、サステナビリティを横断し、バリューチェーン全体の競争力を底上げできるかどうかを分ける、2026年以降の決定的な分岐点となっています。
自動車・化学産業に見るセクター別Scope 3実務の最前線
自動車・化学産業は、2026年時点のScope 3実務において最も高度化が進むセクターです。両産業に共通するのは、排出量の大半が自社外、かつ下流や使用段階に集中する点であり、従来の統計ベース算定では経営判断に耐えないという危機感が実務変革を加速させています。
自動車産業では、SBTiが開発を進める自動車セクター・ネットゼロ基準により、製造から使用までを一体で捉えるWell-to-Wheel視点が事実上の前提となりました。新車1台あたりのライフサイクル排出量を統合指標で管理することで、EV化だけでなく、素材選択や部品点数削減といった上流施策の効果が数値として可視化されています。
特に日本の完成車メーカーは、電動化比率の目標管理と同時に、鋼材やアルミの一次データ取得を部品メーカーに求める動きを強めています。グリーン鋼材や再生アルミを採用した部品は、低炭素部品として調達評価や価格交渉に反映されるようになり、Scope 3は調達戦略そのものへと組み込まれました。
| セクター | Scope 3の主戦場 | 2026年の実務的焦点 |
|---|---|---|
| 自動車 | カテゴリ11(製品使用) | WTW算定とEV・FCV販売比率管理 |
| 化学 | カテゴリ1・12 | 炭素含有量と廃棄時排出の標準化 |
一方、化学産業では課題の性質が大きく異なります。製品が他産業の原材料として使用されるため、下流の用途や廃棄形態が多岐にわたり、排出の帰属が不明確になりがちでした。2026年時点では、製品に含まれる炭素量を起点に、将来的な焼却・分解時の排出を見積もるロジックが業界標準として整いつつあります。
加えて、バイオ由来原料やケミカルリサイクルの導入効果を、単なる環境貢献ではなく、Scope 3削減として定量評価できる枠組みが整備された点は大きな転換点です。国際的な業界団体やSBTiのガイダンスによれば、炭素の一時固定や循環利用をどう扱うかが、化学企業のネットゼロ戦略の信頼性を左右するとされています。
両セクターに共通する最前線の実務は、一次データの連鎖的取得です。自動車では部品単位、化学では製品グレード単位での排出原単位がデジタルに連携され、DPPや業界プラットフォームを通じて下流まで伝達されます。Scope 3はもはや集計作業ではなく、産業構造を横断するデータマネジメントへと進化しています。
データ連携プラットフォームと算定テクノロジーの進化
2026年において、Scope 3算定の実務を根底から変えたのが、データ連携プラットフォームと算定テクノロジーの進化です。義務化と保証対応が同時に進んだことで、Excelや個別システムによる属人的な管理は完全に限界を迎え、**GHG排出量管理SaaSがサステナビリティ実務の基幹システムとして定着しました**。
国内ではZeroboardやAsueneといった主要ベンダーが、算定ツールの枠を超え、経営データと排出量を結びつける統合プラットフォームへと進化しています。最大の特徴は、ERPやSCMとのAPI連携による活動量データの自動取得です。これにより、決算後にまとめて算定するのではなく、月次や四半期単位で排出量を把握し、調達や生産計画の見直しに即座に反映できる体制が一般化しました。
加えて、AIによる高精度なカテゴリ分類が実装された点も実務への影響は大きいです。膨大な仕訳データや品目名をもとに、AIがScope 3の15カテゴリと適切な排出原単位を自動で割り当てることで、担当者の判断差や入力ミスが大幅に低減されています。これは、監査法人による限定的保証への対応力を高めるという点でも重要です。
| 進化領域 | 2026年の到達点 | 実務上の効果 |
|---|---|---|
| 基幹システム連携 | ERP・SCMとリアルタイム同期 | 排出量の即時把握と迅速な意思決定 |
| AI活用 | 自動カテゴリ分類と原単位選定 | 算定精度の平準化と監査対応力向上 |
| データ標準 | PACT等の国際プロトコル準拠 | 一次データの安全な企業間流通 |
特に重要なのが、一次データ交換の標準化です。WBCSDが推進するPathfinder Framework(PACT)に準拠したプロトコルの普及により、異なるSaaS間でもサプライヤーの一次データをセキュアに受け渡すことが可能になりました。これは、環境省の一次データ活用ガイドラインが目指す「削減努力が反映されるScope 3算定」を、技術的に支える基盤となっています。
さらに欧州規制への対応を背景に、ブロックチェーンを活用したデジタル・プロダクト・パスポートの実装も進みました。原材料の採掘から製造、組立までの排出データを製品単位で記録し、改ざん不能な形で共有する仕組みです。欧州委員会の政策設計に呼応する形で、日本の自動車・電機メーカーが2026年までに対応を完了したことは、Scope 3算定が企業間連携のインフラ段階に入ったことを示しています。
このように、2026年のデータ連携プラットフォームは単なる算定効率化ツールではなく、**排出量データを経営判断・サプライヤーエンゲージメント・投資家説明へと直結させる算定テクノロジーの中枢**として機能しています。Scope 3の精緻化は、もはや人手の工夫ではなく、どのプラットフォームを中核に据えるかという経営レベルの意思決定に委ねられる段階へと進化しました。
Scope 3と資金調達・投資判断の関係性
2026年現在、Scope 3は資金調達や投資判断において、もはや補足的なESG情報ではなく、企業価値評価に直結する定量指標として扱われています。SSBJ基準に基づく有価証券報告書での開示義務化により、Scope 3排出量は財務諸表と並び、投資家・金融機関が横断的に比較可能なデータとなりました。
特に機関投資家は、Scope 3を将来の移行リスクの代理変数として評価しています。ISSBの考え方を踏まえたSSBJ基準では、サプライチェーン排出量が炭素価格上昇や規制強化によってどの程度キャッシュフローを圧迫し得るかを説明することが求められます。これは、Scope 3が将来コストの先行指標として認識されていることを意味します。
| 評価主体 | Scope 3の位置付け | 意思決定への影響 |
|---|---|---|
| 機関投資家 | 移行リスク・競争力の指標 | 投資比率、議決権行使方針 |
| 金融機関 | 信用リスクの補完情報 | 金利条件、融資可否 |
| 格付機関 | 中長期財務安定性 | 信用格付け見通し |
この流れを象徴するのが、サステナビリティ・リンク・ローンやボンドの拡大です。2026年には、Scope 3削減率や一次データカバー率をKPIに設定する案件が一般化し、達成度合いに応じて金利が数bp単位で調整される契約が珍しくなくなりました。金融庁の有識者会合資料でも、非財務KPIの信頼性が金融条件を左右する段階に入ったと明言されています。
また、SBTiのCorporate Net-Zero Standard V2.0は投資判断にも影響を与えています。単なる排出量の大小ではなく、影響力の大きいScope 3カテゴリに対して、一次データを用いた削減戦略とサプライヤーエンゲージメントを実行しているかが評価対象となりました。これは、企業の実行能力やガバナンスの質を測る材料として、投資家との対話で頻繁に参照されています。
結果として、Scope 3への対応力は資本市場における信頼の源泉となりつつあります。算定精度が低く説明が不十分な企業は、リスクプレミアムを上乗せされ、逆に透明性の高い企業は資金調達コストを抑えられるという構図が明確になりました。Scope 3は環境指標であると同時に、企業の資金調達力を左右する経済指標として定着しています。
2030年・2050年を見据えたScope 3経営の展望
2030年・2050年を見据えたScope 3経営は、単なる排出量管理を超え、企業の事業戦略そのものを規定する段階に入ります。2026年時点で整備されたSSBJ基準やSBTiのネットゼロ基準V2.0は、そのための「ルールブック」に相当し、今後はこの枠組みを前提に、どれだけ早く実行力を高められるかが競争力を左右します。
2030年は、多くの企業にとって排出量を実質的に半減させる中間目標の達成期限です。ここで重要になるのは、Scope 3を過去実績として報告するのではなく、**事業計画と連動させて将来排出量を予測し、意思決定に組み込む経営管理能力**です。国際的な投資家や会計基準の議論では、排出量データを前提にしたシナリオ分析が企業価値評価に組み込まれつつあり、ISSBやSSBJが求める財務影響開示は今後さらに精緻化すると見られています。
一方で2050年は、ネットゼロ達成という最終ゴールの年です。この段階では、バリューチェーン内の削減努力だけでなく、どうしても残る排出量に対する炭素除去の質が厳しく問われます。SBTiによれば、2050年時点で許容される残余排出量は10%以下に抑えられ、かつ技術的除去を含む高い永続性が求められます。**Scope 3経営は、環境対応ではなく長期的な資本配分と技術投資の問題として扱われる**ことになります。
| 視点 | 2030年 | 2050年 |
|---|---|---|
| 経営の主眼 | 削減スピードと中間目標の達成 | ネットゼロの恒常的維持 |
| Scope 3の役割 | 移行リスク管理と競争力評価 | 事業存続性と社会的信認の基盤 |
| 主な論点 | 一次データ活用と予測精度 | 残余排出と炭素除去の質 |
2030年から2050年にかけては、企業間・産業間の差が一層拡大します。早期にScope 3を経営中枢に組み込み、サプライヤーや顧客と共創型の削減を進めた企業は、低炭素製品や金融面で優位に立ちます。反対に、対応が遅れた企業は、調達先や投資家からの信認を失うリスクが高まります。
最終的に、Scope 3経営の展望は「制約」ではなく「選別」の時代を意味します。**脱炭素を前提に事業を再設計できる企業だけが、2030年を越え、2050年以降も持続的に成長できる**。この認識こそが、これからの経営者に求められる最大の視座と言えます。
参考文献
- 金融庁:事務局説明資料(サステナビリティ開示)
- Science Based Targets initiative:Draft Corporate Net-Zero Standard V2 Explained: Scopes 1, 2 and 3
- Science Based Targets initiative:The Corporate Net-Zero Standard
- 環境省:各種ガイドライン|グリーン・バリューチェーンプラットフォーム
- Science Based Targets initiative:Automotive and Land Transport
- ISZ:【2026年版】カーボンニュートラルに取り組む日本企業15社
