「DXを進めたいが、人材も時間も足りない」「現場の改善アイデアがシステムに反映されるまでが遅い」──多くの日本企業が、こうした課題に直面しています。近年、その解決策として急速に存在感を高めているのが、ローコード/ノーコード開発と生成AIの融合です。
かつてはIT部門や専門エンジニアの領域だったシステム開発が、いまや業務を最も理解している現場の手に委ねられつつあります。自然言語で指示するだけでアプリや業務フローが形になる環境は、単なる効率化を超え、企業の競争力そのものを左右する段階に入りました。
本記事では、世界と日本市場の最新データ、実際の企業事例、セキュリティや人材育成の論点までを俯瞰しながら、なぜ今ローコード/ノーコードが不可欠なのか、そして日本企業はどのような戦略で向き合うべきかを整理します。変化の本質を理解し、自社の次の一手を考えるための視点を提供します。
ソフトウェア開発に訪れた「第三の波」とは何か
ソフトウェア開発における「第三の波」とは、開発という行為そのものが一部の専門家の特権ではなくなったという構造的変化を指します。メインフレーム時代は高度な専門技術を持つ技術者のみがシステムを構築でき、第二の波であるパーソナルコンピュータとインターネットの普及によっても、開発の主体は依然としてエンジニアに限定されていました。
しかし2025年以降、ローコード/ノーコードプラットフォームの成熟と生成AIの融合により、この前提が根底から覆されています。業務を最も理解している現場の担当者自身が、自然言語で要件を伝えるだけでアプリケーションを形にできる環境が現実のものとなりました。これは単なる生産性向上ではなく、開発の主語が「IT部門」から「ビジネス現場」へ移行したことを意味します。
この変化を歴史的に整理すると、開発の第三の波が持つ特異性がより明確になります。
| 波 | 主な担い手 | 開発の特徴 |
|---|---|---|
| 第一の波 | 専門技術者 | メインフレーム中心、高コスト・長期開発 |
| 第二の波 | エンジニア | PCとWebの普及、プログラミング前提 |
| 第三の波 | ビジネスユーザー | LCNCと生成AIによる対話型・即時開発 |
第三の波の本質は、「速く作れる」こと以上に、業務知識が劣化せずそのままソフトウェアに実装される点にあります。従来は要件定義書を介した伝言ゲームによって、現場の意図が徐々に失われてきました。LCNCはこの中間層を圧縮し、業務ロジックを直接デジタル化します。
ForbesやGartnerが指摘するように、この潮流は一過性のブームではなく、企業のIT構造そのものを変える長期的な転換です。特に生成AIの進化により、UI操作すら不要となり、「何をしたいか」を言語化できる人が開発者となります。思考力と業務理解が最大の資産になる時代が、第三の波の核心です。
生成AI統合がもたらす開発プロセスのパラダイムシフト

生成AIの統合は、ローコード/ノーコード開発を単なる効率化手段から、開発プロセスそのものを再定義する存在へと押し上げています。2025年以降、自然言語を起点とした対話型開発が本格化し、従来の「設計してから作る」工程は、「意図を伝え、検証し、修正する」反復型プロセスへと移行しています。
この変化の本質は、**開発の主導権がツールではなく人間の思考に戻った点**にあります。Microsoft Copilot Studioの進化が示すように、要件を文章で伝えるだけで、データ構造、UI、ワークフローの雛形が即座に生成されます。Gartnerが指摘するように、生成AIは開発を自動化するのではなく、人間の意思決定を加速する触媒として機能し始めています。
| 従来プロセス | 生成AI統合後 |
|---|---|
| 要件定義→設計→実装 | 対話→生成→即時検証 |
| 専門職中心 | 業務担当者も参加 |
| 修正は後工程 | その場で反復修正 |
この結果、開発は線形から循環型へと変わり、試作と改善の速度が飛躍的に向上しています。VTIの2026年トレンド分析でも、AI統合型ローコードはアジャイル開発との親和性が極めて高いと評価されています。特に日本企業では、現場業務の微細な知見を即座に反映できる点が、内製化と品質向上を同時に実現する鍵となっています。
さらに注目すべきは、生成AIが開発者の代替ではなく、**思考の補助輪として機能する点**です。AIが提示する構造案を人間が批評し、業務文脈に合わせて調整することで、属人的だったノウハウが形式知として蓄積されます。これは経済産業省が示すDXの文脈においても、持続可能なシステム刷新を支える重要な要素です。
生成AI統合がもたらすパラダイムシフトとは、スピードの向上だけではありません。開発を「作業」から「対話と意思決定の連続」へと変え、組織全体を学習する開発体へと進化させる点にこそ、その真価があります。
世界市場の急成長を示す最新データと将来予測
ローコード/ノーコード開発(LCNC)の世界市場は、2025年から2026年にかけて極めて明確な「急成長フェーズ」に入っています。TechSci Researchの最新調査によれば、LCNC市場は2025年の360.6億米ドルから、2031年には1,649.4億米ドルへ拡大すると見込まれており、年平均成長率は28.84%という極めて高い水準です。
この成長率は、一般的なエンタープライズソフトウェア市場やクラウドサービス市場と比較しても突出しており、LCNCが単なる開発効率化ツールではなく、**企業ITの基盤そのものへと昇格しつつある**ことを示しています。
さらにRoots Analysisは、より長期の視点で2035年には市場規模が3,486億米ドルに達する可能性を指摘しています。これは一時的なDX投資ブームでは説明できず、ソフトウェア開発の担い手とプロセスそのものが構造転換している証左だといえます。
| 調査機関 | 対象年 | 予測市場規模 | 示唆 |
|---|---|---|---|
| TechSci Research | 2031年 | 1,649.4億米ドル | DX需要を背景に高成長が継続 |
| Roots Analysis | 2035年 | 3,486億米ドル | 長期的な産業構造変化を示唆 |
市場拡大の「質」を示す重要な指標として、Gartnerの予測も見逃せません。同社は、2029年までに企業のミッションクリティカルなアプリケーションの80%がLCNCプラットフォーム上で開発されると予測しています。2024年時点では約15%に過ぎなかったことを踏まえると、**基幹システム領域での主役交代**が数年以内に起こる計算になります。
この変化は「非エンジニアでも簡単に作れる」という文脈にとどまりません。エンタープライズ領域では、OutSystemsやMendixのような高度なローコード基盤が、セキュリティ、スケーラビリティ、ガバナンスを担保したまま大規模開発を可能にし、従来のフルスクラッチ開発を置き換え始めています。
Forbes Tech Councilも、LCNCはIT部門の省力化ではなく「ビジネス変化への即応力」を最大化するアーキテクチャだと指摘しています。生成AIとの融合が進む2026年に向け、世界市場ではLCNCを前提とした開発戦略が、競争力の有無を分ける分水嶺になりつつあります。
日本市場を押し上げる独自要因と社会的背景

日本市場においてローコード/ノーコードが急速に受容されている背景には、グローバル市場とは異なる複合的な社会要因が存在します。単なるITトレンドではなく、日本固有の構造課題への現実的な解として位置付けられている点が最大の特徴です。
まず無視できないのが、慢性的かつ構造的なIT人材不足です。経済産業省や各種調査が繰り返し指摘している通り、日本ではITエンジニアの多くがSIer側に集中し、ユーザー企業内部に十分な開発リソースが蓄積されていません。その結果、業務改善のアイデアがあってもシステム化までに時間とコストがかかり、現場の熱量が失われるケースが常態化してきました。業務を最も理解している非エンジニア自身が形にできるLCNCは、この断絶を埋める実践的手段として評価されています。
次に、日本特有の社会的タイムリミットである「2025年の崖」が市場を強く押し上げています。経済産業省のDXレポートが示した通り、老朽化した基幹システムの維持管理費は年々増大し、全面刷新は現実的ではありません。その中で、既存システムをAPIで活かしつつ、周辺業務やUIを段階的に置き換えられるLCNCは、リスクを抑えた現実解としてCIO層から支持を集めています。
| 社会的背景 | 日本市場への影響 | LCNCの役割 |
|---|---|---|
| IT人材の偏在 | 内製化が進まない | 現場主導の開発を可能にする |
| 2025年の崖 | 刷新の時間と予算が不足 | 段階的モダナイゼーション |
| 労働人口の減少 | 生産性向上が急務 | 業務改善の高速化 |
さらに、働き方改革と労働人口減少による生産性向上圧力も見逃せません。デロイトトーマツミック経済研究所の市場予測が示すように、国内市場は着実に拡大しており、その中心は大規模DXよりも現場レベルの細かな業務改善の積み重ねです。Excelや紙を介した属人的業務を、現場の判断で即座にアプリ化できる点が、日本企業の文化と高い親和性を持っています。
加えて、日本独自の商習慣に適応した国産プラットフォームの存在も普及を後押ししています。サイボウズのKintoneに代表されるように、承認文化や部門間調整を前提としたUI設計、パートナー企業による手厚い支援エコシステムは、グローバル製品にはない安心感を提供しています。技術革新と社会的必然性が重なった点こそが、日本市場を押し上げる最大の原動力だと言えるでしょう。
エンタープライズと市民開発に分かれる市場構造
ローコード/ノーコード市場は2025〜2026年にかけて、エンタープライズ向けと市民開発向けの二層構造が明確になりつつあります。この分化は単なる機能差ではなく、導入目的、意思決定プロセス、価値創出のスピードが根本的に異なる点に特徴があります。Gartnerによれば、ミッションクリティカルな領域へのローコード適用が急速に進む一方で、業務部門主導の市民開発は別軸で拡大を続けています。
エンタープライズ・ローコードは、大規模組織やIT部門、プロ開発者を主な担い手とし、基幹システム連携や高度な非機能要件への対応を前提としています。OutSystemsやMendix、Salesforce Platformに代表されるこの領域では、**スケーラビリティ、監査性、セキュリティ統制が最優先事項**です。Mendixの市場調査でも、導入理由の上位に「既存基幹との統合」と「開発標準化」が挙げられており、内製化とガバナンスの両立が評価されています。
一方、市民開発向けノーコード市場は、現場の業務担当者が自ら課題を解決することに価値を置きます。KintoneやPower Apps、AppSheetなどは、短期間での業務改善やExcel管理からの脱却を可能にし、**ROIが即座に可視化されやすい**点が支持を集めています。デロイトトーマツミック経済研究所の国内調査が示すように、日本ではIT人材不足を背景に、このボトムアップ型DXが市場成長の大きな推進力となっています。
| 観点 | エンタープライズ・ローコード | 市民開発向けノーコード |
|---|---|---|
| 主導主体 | IT部門・DX推進部門 | 業務部門・現場担当者 |
| 主な目的 | 基幹刷新・全社最適 | 業務改善・迅速な自動化 |
| 重視点 | 統制・拡張性・品質 | スピード・使いやすさ |
重要なのは、両市場が競合関係ではなく補完関係にある点です。Forbesの分析でも、エンタープライズ層で整備された共通データ基盤やAPIを、市民開発アプリが活用する構図が主流になると指摘されています。実際、日本企業ではIT部門がエンタープライズ・ローコードで基盤を構築し、業務部門がノーコードで周辺業務を拡張する「役割分担型アーキテクチャ」が定着し始めています。
生成AIの統合は、この二層構造をさらに加速させています。エンタープライズ側ではAIが設計やテストを支援し、品質と生産性を同時に高めます。一方、市民開発側では自然言語によるアプリ生成が進み、非エンジニアでも高度な自動化に踏み込めるようになりました。**市場の本質はツール選定ではなく、どの層にどの裁量を与えるかという経営判断**に移行していると言えます。
レガシー刷新を加速するローコード活用アプローチ
レガシーシステム刷新において、ローコード活用が注目される最大の理由は、全面更改という高リスクな選択肢を回避しながら、段階的に価値を生み出せる点にあります。経済産業省が警鐘を鳴らした「2025年の崖」を背景に、多くの企業では時間・コスト・人材の制約から、従来型のスクラッチ開発が現実的でなくなっています。その中で、**ローコードは既存資産を活かしつつ刷新を進める現実解**として位置づけられています。
実務で採用が進んでいるのは、既存基幹システムを即座に置き換えるのではなく、影響範囲を限定したモダナイゼーションです。Gartnerが指摘するように、今後の基幹アプリ開発の主流はローコードに移行すると見込まれており、刷新プロジェクトそのものの進め方が変わりつつあります。特に日本企業では、UIや周辺業務から着手することで、現場の抵抗感を抑えながら成果を可視化するケースが増えています。
代表的なアプローチは次の二つです。第一に、老朽化した基幹システムをAPIで接続し、フロントエンドのみをローコードで再構築する方法です。これにより、操作性の悪さや属人化した画面設計を短期間で改善できます。第二に、特定業務を切り出して再構築する手法で、リスクを分散しながら段階的に移行できる点が評価されています。MendixやOutSystemsなどのエンタープライズ向けプラットフォームは、こうした構成を前提とした統合機能を備えています。
| 刷新アプローチ | 主な狙い | ローコードの役割 |
|---|---|---|
| UI/UXラッピング | 操作性・生産性の即時改善 | 画面・ワークフローを迅速に再構築 |
| 周辺機能の切り出し | 段階的移行とリスク低減 | 独立アプリとして短期開発 |
重要なのは、刷新の目的を「技術更新」ではなく「業務価値の最大化」に置くことです。ローコードでは、業務担当者の知見を直接ロジックに反映できるため、従来の要件定義プロセスで生じていた認識ズレを大幅に減らせます。これは単なる効率化ではなく、**レガシー刷新を業務改革と同時進行で進められる**点に本質的な価値があります。
さらに2025年以降は、生成AIとの融合により、既存システムの仕様理解やデータ構造の把握を支援する動きも始まっています。VTIのトレンド分析が示すように、AIは開発の補助役から、刷新プロジェクト全体を加速させる触媒へと役割を拡大しています。ローコードを軸にしたレガシー刷新は、短期的な延命策ではなく、将来の自律化を見据えた戦略投資として再評価されているのです。
日本企業の実践事例に学ぶ成功と失敗の分岐点
日本企業におけるローコード/ノーコード活用は、同じツールを導入しても成果に大きな差が生まれています。その分岐点は技術力ではなく、導入の設計思想と組織の関与の仕方にあります。
成功事例として象徴的なのが、消防設備点検を手がける株式会社プロサスです。同社はKintoneを用い、点検スケジュール管理や現場報告、進捗共有を現場社員自身が構築しました。サイボウズによれば、この取り組みは単なる業務効率化にとどまらず、業務プロセスの標準化と情報の一元化を実現し、「kintone AWARD 2025」グランプリを受賞しています。業務を最も理解している当事者が開発主体となった点が、定着と改善の連鎖を生みました。
一方、失敗に陥りやすい企業には共通項があります。IT部門主導でツールだけを全社展開し、現場を「利用者」に固定してしまうケースです。この場合、要件定義の齟齬が従来型開発と同様に発生し、結局使われないアプリが増殖します。IPAのセキュリティガイドラインでも、利用実態が把握できないアプリの乱立は重大なリスクと指摘されています。
| 観点 | 成功する企業 | つまずく企業 |
|---|---|---|
| 開発主体 | 業務部門が主導 | IT部門が単独主導 |
| 目的設定 | 特定業務の課題解決 | 全社DXの号令先行 |
| 運用後 | 継続的な改善 | 放置・形骸化 |
また、Japan AI株式会社の事例は、生成AIとローコードの組み合わせが経営判断を後押しする好例です。同社は業務自動化により月間266時間を削減し、外注していた開発を内製化しました。ForbesやGartnerが指摘するように、ROIが数値で示されると経営層の理解が一気に進むことが、成功企業に共通しています。
日本企業の実践から見える教訓は明確です。小さく始め、現場を主役に据え、成果を可視化する。この順序を守れるかどうかが、成功と失敗を分ける決定的な境界線になっています。
主要ローコード/ノーコード基盤の特徴と選定視点
主要なローコード/ノーコード基盤を理解する上で重要なのは、単なる機能比較ではなく、どの業務課題や組織フェーズに適合するかという視点です。2025〜2026年にかけては、生成AI統合の進展により各基盤の差異がより明確になり、選定の巧拙がDX成果を大きく左右します。
まず押さえるべきは、プラットフォームが提供する価値の重心です。エンタープライズ向けローコードは、複雑な業務ロジックや高負荷処理、厳格なセキュリティ統制を前提として設計されています。一方、市民開発向けノーコードは、現場の業務担当者が自ら改善を回せるスピードと操作性を最優先にしています。Gartnerが指摘するように、2029年までに基幹系を含むアプリの大半がLCNCで構築される見通しの中で、この棲み分けはより戦略的な意味を持ちます。
| 観点 | エンタープライズ系 | 市民開発系 |
|---|---|---|
| 主対象 | IT部門・プロ開発者 | 業務部門 |
| 強み | 拡張性・統合性・ガバナンス | 即応性・学習容易性 |
| 代表例 | Power Platform、Mendix | Kintone、AppSheet |
次に注目すべき特徴が、生成AIとの融合度合いです。Microsoft Power PlatformのCopilot Studioのように、自然言語で要件を入力するとデータ設計からワークフローまで自動生成される基盤では、開発体験そのものが変質しています。Forbes Tech Councilも、生成AI統合をLCNCの競争力を左右する決定的要因と位置付けており、今後はAIを前提としない基盤は選択肢から外れる可能性があります。
AIが強力であるほど、誤生成や情報漏えいのリスク管理が不可欠になります。IPAのガイドラインでも強調されている通り、権限管理やログ監査、利用範囲の制御が標準機能として備わっているかは、2026年以降の必須チェック項目です。
さらに、日本企業特有の視点として、既存業務や商習慣との親和性があります。Kintoneが国内で強い支持を得ている背景には、稟議や部門間調整といった日本型業務フローに自然に適合するUI設計があります。デロイト トーマツの調査でも、国内導入企業の多くが「現場定着のしやすさ」を選定理由に挙げており、機能の多さよりも使われ続けるかどうかが評価軸になっています。
最後に、エコシステムの成熟度も無視できません。外部パートナー、テンプレート、コミュニティの厚みは、内製化を進める企業にとって実質的な学習コストを左右します。**単体ツールとして優れているかではなく、組織の成長とともに拡張できるか**という観点で選ぶことが、2026年以降のLCNC活用を成功に導く鍵となります。
セキュリティとガバナンスをどう設計すべきか
ローコード/ノーコードと生成AIが融合する2026年の開発環境では、セキュリティとガバナンスは後付けでは成立しません。開発主体がIT部門から現場へと分散した結果、最大のリスクはサイバー攻撃そのものよりも、設定ミスや運用不備による情報漏えいに移行しています。**ノーコードであっても、企業システムとしての責任は免れない**という認識を、組織全体で共有することが出発点になります。
2025年にIPAが公表したガイドラインでは、クラウドと同様の責任共有モデルが明確化されました。プラットフォーム側がインフラや基盤の安全性を担保する一方、企業側はアクセス権、データ公開範囲、業務ロジックの妥当性に責任を負います。特に市民開発者が扱う個人情報や顧客データについては、**「誰が、どこまで触れるか」を設計段階で固定すること**が不可欠です。
| 設計観点 | 不十分な状態 | 推奨される設計 |
|---|---|---|
| 権限管理 | アプリ単位で個別設定 | 役割ベースで全社共通化 |
| データ連携 | 開発者任せの自由接続 | 許可済みコネクタのみ利用 |
| 運用監視 | 作りっぱなし | 利用状況を自動可視化 |
実装面で中核となるのがCoEの設計です。CoEは統制組織ではなく、ガードレールを敷く存在として機能します。MicrosoftやGartnerの提言でも、DLPポリシーによるデータ流出防止や、一定期間使われていないアプリの自動棚卸しが推奨されています。これにより、現場のスピードを落とさずに全体最適を維持できます。
加えて、生成AIを組み込んだ開発ではプロンプトや学習データの扱いも新たな統制対象になります。外部AIに業務データを送信しない設計や、ログを保存して後追い検証できる仕組みは必須です。OWASPが整理したLow-Code/No-Code特有のリスクでも、AI連携時のデータ境界の曖昧さが重大な脆弱性として指摘されています。
最終的に目指すべきは、禁止で縛るガバナンスではありません。**安全に作れる自由を制度として提供すること**です。セキュリティとガバナンスを最初から設計に組み込めた企業ほど、生成AI時代の市民開発を競争優位へと転換できています。
市民開発者時代の人材育成と新しいキャリア像
ローコード/ノーコードと生成AIの融合が進んだ2026年現在、人材育成の主戦場は「エンジニアを増やすこと」から「市民開発者を育てること」へと明確にシフトしています。市民開発者とは、IT部門に所属しない業務部門の人材が、自らの業務知識を基にアプリや自動化を実装できる存在です。慢性的なIT人材不足を背景に、日本企業ではこの層をいかに戦略的に育成できるかが競争力を左右し始めています。
経済産業省が指摘した2025年の崖以降、レガシー刷新や業務効率化の需要は急増しましたが、従来型の外注やスクラッチ開発だけでは供給が追いつきません。その現実的な解として、LCNCを前提としたリスキリングが広がっています。Gartnerが示すように、ミッションクリティカルなアプリの大半がローコードで構築される未来において、業務理解と開発スキルを併せ持つ人材は、希少価値の高い戦力となります。
育成のポイントは、プログラミング教育ではなく「業務を構造化し、デジタルに落とし込む思考力」を鍛える点にあります。Microsoft Power PlatformやKintone、AppSheetなどでは、自然言語による指示やテンプレート活用が進み、技術的ハードルは大きく下がりました。その結果、現場担当者が要件定義から実装、改善までを一気通貫で回すことが可能になっています。これはVTIのトレンドレポートが示す、DevOpsと市民開発の融合とも整合します。
| 観点 | 従来のキャリア | 市民開発者時代のキャリア |
|---|---|---|
| 主な価値 | 技術スキル・コーディング力 | 業務知識と改善力 |
| 役割 | 要件を受けて開発 | 課題発見から実装まで主導 |
| 評価軸 | 開発量・品質 | 業務成果・ROI |
この変化はキャリア像にも影響を与えています。業務部門出身の市民開発者が、DX推進リーダーやプロダクトオーナー的な立場へとステップアップする事例が増えています。一方、プロのエンジニアは、共通基盤やAPI、ガバナンス設計といった高度領域に注力し、市民開発者を支える役割へと進化しています。両者は代替関係ではなく、共創関係として組織内に再配置されつつあります。
学習環境も整備が進んでいます。ノーコード推進協会の検定や、Google AppSheetの公式認定資格は、非エンジニアでも到達目標を描きやすい指標となっています。また、ハッカソンやコミュニティ活動を通じて、異業種・異職種の知見が交差する場が増え、実践的な学びが加速しています。こうした動きはForbesが指摘する「開発の民主化」が、単なる効率化ではなく人材市場の再編であることを裏付けています。
市民開発者時代の人材育成とは、ツール操作を教えることではありません。自らの業務を自ら設計し、改善し続ける主体性を育むことです。その力を持つ人材が増えるほど、企業は環境変化に強くなり、新しい価値創出のスピードも飛躍的に高まっていきます。
企業成熟度に応じた段階的ロードマップの考え方
ローコード/ノーコードと生成AIを真に競争力へと転換するためには、ツール選定よりも先に「自社の成熟度を正しく把握し、段階的に進める」という視点が欠かせません。多くの失敗事例は、いきなり全社展開やAI自律化を目指してしまい、組織・人材・ガバナンスが追いつかないことに起因しています。
Gartnerが指摘するように、LCNCは単独技術ではなく、組織能力と結びついたプラットフォームです。したがってロードマップは、IT投資計画ではなく、組織進化の設計図として描く必要があります。
| 成熟段階 | 主な目的 | 経営・組織の焦点 |
|---|---|---|
| 初期導入段階 | 成功体験の創出 | 現場主導・小規模検証 |
| 部門展開段階 | 再現性の確立 | 標準化とガバナンス |
| 全社統合段階 | 基幹連携と拡張性 | IT部門と現場の協働 |
| 高度活用段階 | 自律化と最適化 | AIによる意思決定支援 |
初期導入段階では、Excel管理や紙業務の置き換えなど、効果が即座に可視化されるテーマに限定することが重要です。デロイトトーマツの国内調査でも、ROIを実感できた企業の多くは「業務時間削減」や「属人化解消」といった分かりやすい指標から着手しています。
部門展開段階に進むと、便利さの裏でシャドーITやデータ分断が顕在化します。このフェーズでは、**IT部門が主導権を握るのではなく、ガードレールを敷く役割に徹することが成功の分岐点**になります。IPAのセキュリティガイドラインが示す責任共有モデルは、この段階での設計指針として極めて有効です。
全社統合段階では、API連携を通じて基幹システムと接続し、LCNCを業務のハブとして位置付けます。Forbes Tech Councilでも、ここで初めてLCNCが「業務改善ツール」から「経営インフラ」に昇格すると論じられています。
最終的な高度活用段階では、生成AIエージェントが業務フローの一部を自律的に担います。ただしこれはゴールではなく結果です。十分なデータ品質、業務定義、現場の理解が積み重なった企業だけが到達できる段階であり、**ロードマップとは技術の順序ではなく、組織成熟の順序そのもの**であることを忘れてはなりません。
参考文献
- VTI:Top 2026 Low-code Trends: What Every CIO Should Watch
- TechSci Research:Low-Code No-Code Development Platform Market Size and Outlook 2031
- Roots Analysis:Low-Code Development Platform Market Size & Forecast 2035
- Gartner / Jitterbit:The Future of Low-Code Development: Trends to Watch
- PR TIMES:防災・消防設備のプロフェッショナル・プロサスが「kintone AWARD 2025」グランプリ受賞
- Microsoft Learn:Microsoft Copilot Studio、2025 リリースウェーブ 1 の新機能
- IPA:ローコード・ノーコード開発におけるセキュリティガイドライン(初版)
