変化の激しい時代において、「人が育たない」「学習が定着しない」という悩みを抱える日本企業は少なくありません。AIやデジタル技術の進展、産業構造の転換が進む一方で、現場では依然としてOJT任せ、学習は個人の努力に委ねられているケースも多いのが実情です。

統計を見ると、日本の社会人が学習に充てる時間は極めて短く、学ぶ意欲と実際の行動の間には大きなギャップが存在しています。この背景には、長時間労働や評価制度、学びが報われにくい組織構造など、個人だけでは解決できない問題が横たわっています。

本記事では、人的資本経営の潮流や政府によるリスキリング政策、ソフトバンク・日立・メルカリといった先進企業の具体的な取り組みを手がかりに、日本企業が再び「学ぶ組織」へと進化するための実践的なヒントを整理します。学習をコストではなく競争力に変える視点を得たい方にとって、多くの示唆が得られる内容です。

人的資本経営が求めるラーニングカルチャーの本質

人的資本経営が重視するラーニングカルチャーの本質は、研修制度の充実や自己啓発支援の拡大そのものではありません。人材をコストではなく資本として捉え、その価値を継続的に増幅させる組織能力をいかに設計するかにあります。VUCA環境では、特定スキルの保有期間が急速に短くなり、過去の成功体験が競争優位を保証しません。そのため、学習は一過性のイベントではなく、日常業務に埋め込まれた経営インフラとして再定義されます。

この転換を象徴するのが、人的資本開示の国際的潮流です。ISO30414やIFRSの議論に代表されるように、企業価値と人材投資の相関が可視化されつつあります。経済産業省の人的資本経営指針も、能力開発を将来キャッシュフロー創出の前提条件と位置づけています。学び続ける組織かどうかが、中長期の企業価値を左右するという認識が、制度面からも裏打ちされているのです。

観点 従来型の学習 人的資本経営型の学習
位置づけ 福利厚生・教育コスト 価値創出への戦略投資
主体 企業主導 個人の自律と組織支援
時間軸 短期的スキル補充 長期的能力蓄積

さらに重要なのは、学習が評価やキャリアと結びついているかどうかです。総務省の社会生活基本調査やパーソル総合研究所の分析が示す「1日13分」という学習時間の少なさは、個人の意欲不足というより、学んでも報われない構造の帰結と解釈できます。人的資本経営におけるラーニングカルチャーとは、学習行動が配置、処遇、挑戦機会へと連動する設計そのものを指します。

組織心理学の研究でも、エドガー・シャインが指摘したように、文化とは「何が評価され、何が黙認されるか」の集積です。学習する人が称賛され、試行錯誤が許容される環境では、知識共有と実践転換が加速します。人的資本経営が求める学習文化の核心は、学びを個人の努力目標から、組織の生存戦略へと格上げする点にあります。

社会人の学習時間が示す日本の構造的停滞

社会人の学習時間が示す日本の構造的停滞 のイメージ

日本の社会人の学習時間は、構造的停滞を象徴する数字として繰り返し指摘されています。総務省統計局の社会生活基本調査によれば、社会人が学習・自己啓発・訓練に充てる時間は1日平均13分にとどまっています。これは単なる短さではなく、**学習が生活の中に組み込まれていない社会構造そのもの**を示しています。

平均値以上に深刻なのが、学習時間がゼロの層の厚さです。パーソル総合研究所の調査では、勤務先以外で一切学習をしていない「ゼロ勉強社会人」が52.6%に達しています。つまり過半数のビジネスパーソンが、業務外で新しい知識やスキルに触れていません。この現実は個人の意識の問題というより、**学ばなくても回ってしまう仕組みが長年温存されてきた結果**だと読み取れます。

国際比較を行うと、この特異性はさらに際立ちます。世界平均と比べた日本の学習行動には、ほぼすべての項目で大きな乖離が見られます。

学習行動 世界平均 日本
研修・セミナー参加 30.4% 11.6%
通信教育・eラーニング 21.8% 7.1%
読書による学習 34.5% 23.2%

特に研修や勉強会への参加率の低さは顕著で、世界平均との差は約19ポイントに及びます。これは学習意欲以前に、**学びの場へ参加すること自体が評価やキャリアに結びつきにくい日本の雇用慣行**を反映しています。学んでも処遇が変わらないのであれば、合理的に行動する人ほど学習から距離を置いてしまいます。

また、日本では長時間労働が依然として根強く、学習に充てる時間が物理的に確保しにくい点も無視できません。経済協力開発機構による国際比較でも、日本は労働時間の長さに対して生産性の伸びが弱い国として位置づけられてきました。**忙しいが成長実感が乏しい**という感覚が、学習を遠ざける心理的要因になっています。

重要なのは、日本人が学ぶ意欲を失ったわけではないという点です。同じ調査では、成長したい、変化に対応したいという意識自体は決して低くありません。意欲と行動が結びつかない背景に、評価制度、時間配分、学習の社会的リターンといった構造的問題が横たわっています。社会人の学習時間は、個人の姿勢ではなく、日本経済と雇用システムの停滞を映す鏡だと言えるでしょう。

グローバル比較で浮かび上がる学習行動のギャップ

日本の学習行動の特異性は、国内データだけを見ている限り見えにくいものですが、グローバル比較を行うことで初めて鮮明になります。パーソル総合研究所による国際調査では、日本のビジネスパーソンは「学ぶ意欲が低い」というより、学習行動そのものが構造的に起きにくい環境に置かれていることが示唆されています。

特に注目すべきは、学習アクティビティ別の実施率です。世界平均と比較すると、日本はほぼすべての項目で大きく下回っていますが、その差は一様ではありません。個人で完結しやすい読書や資格学習よりも、外部との接点を伴う学習ほど乖離が拡大しています。

学習行動 世界平均 日本 差分
研修・セミナー参加 30.4% 11.6% -18.8pt
通信教育・eラーニング 21.8% 7.1% -14.7pt
読書 34.5% 23.2% -11.3pt

中でも「研修・セミナー、勉強会への参加」における約19ポイントの差は象徴的です。これは単なる個人の学習意欲の問題ではなく、学びの場に参加することが仕事として正当化されにくい日本の職場文化を反映していると考えられます。欧米企業では、社外セミナーやカンファレンス参加が業務の一環として扱われるケースが一般的であり、上司の承認を得るハードルも低い傾向があります。

さらに深刻なのはデジタル学習の遅れです。eラーニングの実施率が世界平均の3分の1に留まるという事実は、ITリテラシーの問題以上に、自己主導型学習への評価が制度的に弱いことを示しています。OECDが繰り返し指摘しているように、成人学習の参加率は賃金上昇や生産性向上と強い相関を持ちますが、日本ではその果実が個人に還元されにくいため、行動につながりにくいのです。

興味深いのは、同調査において「特に何も行っていない」と回答した日本人の割合が、世界平均を大きく上回っている点です。これは「学びたいができない」層が一定数存在する可能性を示唆します。長時間労働、属人的な業務設計、学習と評価・処遇の非連動といった要因が重なり、意欲と行動の間に深い断絶が生まれているのです。

グローバル比較が突きつけるのは、日本人の能力や勤勉性の欠如ではありません。むしろ、学習を行動に変換するための社会的・組織的インフラの不足です。このギャップを正確に認識することが、学習文化を再設計するための出発点になります。

国策として進むリスキリングとキャリア自律

国策として進むリスキリングとキャリア自律 のイメージ

日本におけるリスキリングは、もはや企業努力や個人の自己啓発に委ねられる段階を超え、明確な国策として推進されています。その中心にあるのが、経済産業省が主導するリスキリングを通じたキャリアアップ支援事業です。この施策の本質は、学び直しそのものではなく、学習と労働移動、すなわちキャリア自律を一体で促進する点にあります。

従来の職業訓練は、失業後の再就職支援という守りの色合いが強いものでした。一方で本事業は、在職者を対象に、より成長性の高い分野へ自ら移行することを前提に設計されています。キャリア相談、スキル習得、転職支援をワンパッケージで提供する仕組みは、個人が自身の市場価値を客観視し、戦略的に学ぶことを後押しします。

注目すべきは、政府が「学び続ける個人」を日本の労働市場の前提条件として位置付け始めた点です。これは終身雇用を暗黙の前提としてきた日本型雇用から、職務とスキルを軸にしたジョブ型雇用への転換を示唆しています。

観点 従来型雇用 国策リスキリングが示す方向性
キャリア形成 会社主導・年功序列 個人主導・市場価値基準
学習の位置付け OJT中心・一過性 継続的・戦略的投資
労働移動 抑制的 前提条件として容認

実際、2024年以降も複数回の公募が継続され、多数の教育事業者や人材サービス企業が参画しています。これにより、AI、データ分析、デジタルマーケティングといった成長分野の高度な学習機会が、企業規模や業種を問わず個人に開かれつつあります。

こうした動きは、OECDが提唱する生涯学習と雇用流動性の強化という国際的潮流とも整合しています。日本政府がキャリア自律を制度面から後押しすることで、学ばないこと自体がリスクとなる環境が形成され始めているのです。

国策リスキリングの真のメッセージは、「キャリアは会社から与えられるものではなく、自ら設計し更新し続けるものだ」という価値観の転換にあります。企業にとっても個人にとっても、この変化を前提に行動できるかどうかが、今後の競争力を大きく左右します。

ソフトバンクに学ぶ全社AIリテラシーと自律的学習

ソフトバンクの取り組みが示しているのは、AI活用を一部の専門人材に閉じず、全社レベルの基礎教養として再定義する姿勢です。孫正義氏が繰り返し語ってきた「AIシフト」はスローガンではなく、人材育成の設計思想そのものに落とし込まれています。AIを理解できない社員が多数派である限り、組織としての意思決定や事業創造はAI前提のスピードに追いつけないという強い問題意識が背景にあります。

この思想を具体化した象徴が、JDLAが認定するG検定やE資格の全社的な推奨です。非エンジニアを含めた社員が、機械学習やディープラーニングの基本構造、社会実装上の論点を共通言語として理解することで、営業・企画・管理部門でもAI前提の議論が可能になります。日本ディープラーニング協会が示すように、AIリテラシーは「使えるか」以前に「正しく判断できるか」が問われる領域であり、その底上げを組織単位で行っている点が特徴です。

施策 対象 狙い
G検定推奨 全社員 AIの共通言語化と判断力の底上げ
E資格支援 エンジニア層 実装レベルの専門性強化
報奨金制度 合格者 自律的学習への動機付け

注目すべきは、これらの学習が「やらされ感」を生まない制度設計です。資格取得は義務ではなく、あくまで手を挙げた社員が挑戦する形を貫いています。その上で合格者には金銭的インセンティブが付与され、社内公募や配置転換の際には学習履歴が参照されます。学ぶことが評価とキャリア機会に接続されているため、学習が自己満足で終わらず、実利を伴う行動として定着しています。

さらに、ソフトバンクアカデミアの存在は象徴的です。次世代経営人材を育成するこの場では、AIやテクノロジーのみならず、意思決定や構想力に関する高度な議論が行われ、そのアーカイブは社内外に共有されています。経営層候補だけの閉じた学びにせず、組織全体の知的資産として還流させている点は、学習を個人ではなく企業の資本と捉える人的資本経営の実践例だと言えます。

経営学者ピーター・センゲが提唱した「学習する組織」は、個人の学習と組織の成果が循環する状態を指します。ソフトバンクの事例は、AIという変化の激しい領域において、その理論を現代的に実装したものです。全社員が最低限の理解を持ち、自ら学び続ける前提に立つことで、AI時代に適応する組織の自己更新能力が生まれている点こそ、この取り組みの本質です。

日立製作所が挑むLXPとデータドリブンな学習体験

日立製作所が進めるラーニングカルチャー変革の核心は、LXP(Learning Experience Platform)を軸にした学習体験の再設計と、学習データを活用した高度なパーソナライゼーションにあります。同社は2022年にDegreedを導入し、従来型の研修管理中心の仕組みから、社員一人ひとりの主体性を引き出す学習基盤へと大きく舵を切りました。

この転換の本質は、「学習を管理する」発想から「学習を支援し、広げる」発想への移行にあります。LXP上には社内研修だけでなく、外部のオンライン講座、動画、論文、記事などが統合され、社員は自身の関心やキャリア志向に応じて学習を組み立てられます。これは、人事部が一律に設計したカリキュラムを受動的に消化する体験とは明確に異なります。

従来のLMSとLXPの違いを整理すると、日立の狙いがより鮮明になります。

観点 従来のLMS LXP(日立の方向性)
主導主体 人事・会社 社員本人
目的 受講管理・必修研修 自律的学習とスキル獲得
学習体験 指示された内容を受講 レコメンドから選択
キャリア連動 限定的 ジョブ要件と直結

特に重要なのは、日立が推進するジョブ型人財マネジメントとの連動です。職務ごとに求められるスキルが定義され、それに対して自分に何が不足しているのかを可視化できるため、学習は抽象的な自己啓発ではなく、具体的なキャリア課題の解決手段になります。情報処理学会の関連論文でも、こうしたスキル可視化と学習の接続が学習継続率を高めると指摘されています。

さらに日立アカデミーは、LXP上に蓄積される学習履歴や閲覧傾向を分析し、社員ごとに最適化されたコンテンツ推薦を行っています。これはNetflixやAmazonが実践するレコメンドエンジンの思想を、企業内学習に応用したものであり、学びを「探す負担」そのものを減らす設計です。

このデータドリブンな仕組みによって、学習は努力や根性に依存する行為ではなく、自然に行動が促される日常的な体験へと変わりつつあります。日立の取り組みは、日本企業が抱えてきた「学びが続かない」という構造課題に対し、テクノロジーと制度設計の両面から解を提示する実践例だと言えるでしょう。

メルカリの語学戦略に見る多様性と学習文化

メルカリの語学戦略は、単なる英語研修や日本語教育の枠を超え、多様性を前提とした学習文化そのものを設計している点に大きな特徴があります。グローバル展開を進める同社において、語学はスキルの一つではなく、異なる背景を持つ人材が協働するための共通インフラとして位置付けられています。**語学を学ぶことが、個人の成長と組織の包摂性を同時に高める行為として再定義されている**のです。

その中核を担うのが、社内に設置されたLanguage Education Team(LET)です。多くの企業が外部委託に頼る中、メルカリはあえて内製化を選びました。これにより、実際の業務シーンや社内コミュニケーションを反映したカリキュラム設計が可能となり、学習内容が現場で即座に活用されやすくなっています。採用情報でも公開されている通り、語学教育はD&I推進の基盤施策として明確に位置付けられています。

評価方法にも独自性があります。一般的な試験対策型ではなく、CEFRに準拠した独自のスピーキングテストを通じて、「どの程度使えるか」を可視化しています。これは語彙量や文法知識よりも、会議や1on1で意思疎通できるかを重視する設計です。**語学力を序列化するのではなく、協働の質を高めるための指標として扱っている点**が、学習文化としての成熟を示しています。

観点 一般的な語学研修 メルカリの語学戦略
運営主体 外部ベンダー中心 社内専門チーム(LET)
評価軸 試験スコア 実務での使用能力(CEFR準拠)
目的 個人のスキル向上 多様性の統合と協働促進

この仕組みが生むのは、学習を「努力」や「負荷」と感じにくい環境です。語学力の差が心理的な壁になりやすいグローバル組織において、共通の学習基盤があることは、発言や挑戦への安心感につながります。組織行動論の分野でも知られるエドモンドソン教授が指摘する心理的安全性の概念に照らしても、メルカリの語学戦略は学習と発言を促進する土壌を整えていると言えます。

結果として、語学学習は個人のキャリア形成だけでなく、多様な人材が定着し続けるための文化装置として機能します。**学ぶことが評価され、使うことが歓迎される環境**が、メルカリにおける自律的なラーニングカルチャーを下支えしているのです。

Schoo・Udemy・グロービスに見るEdTech活用の最前線

日本企業におけるEdTech活用は、「学ばせる仕組み」から「学びたくなる体験」への転換点を迎えています。その最前線に位置するのが、Schoo、Udemy Business、グロービス学び放題という三つの代表的プラットフォームです。いずれも単なるeラーニング提供にとどまらず、学習行動そのものをデザインする点に本質的な価値があります。

Schooの最大の特徴は、生放送授業によるライブ性です。録画教材中心の学習では継続率が課題になりがちですが、Schooではリアルタイムの参加感と他者の存在が学習を後押しします。行動科学の分野でも、他者と同時に行う活動は継続率を高めることが知られており、組織行動論で知られるハーバード・ビジネス・スクールの研究でも、社会的接続が学習定着に寄与することが示されています。

実際、法人導入企業では「決まった時間に皆で学ぶ」ことで、学習が雑談や業務改善の対話に波及するケースが報告されています。Schooは知識提供というより、学習を組織内コミュニケーションの触媒として機能させている点が特徴です。

一方、Udemy Businessはスキルを市場から調達する発想が際立ちます。世界中の専門家が提供する講座群は、AI、データ分析、クラウド、デザインなど即戦力領域を網羅しています。ベネッセグループの公開情報によれば、日経225企業の7割以上が導入しており、現場主導での課題解決学習が事実上の標準になりつつあります。

Udemyの価値は、学習テーマの選択権が完全に受講者側にある点です。これは成人学習理論であるアンドラゴジーの原則とも一致しており、自己決定感が高いほど学習効果が高まるという実証研究とも整合します。業務上の「今困っていること」から逆算して学べるため、学習と成果の距離が極めて短いのです。

グロービス学び放題は、これら二者とは異なり、ビジネス知の体系化に強みを持ちます。MBAで扱われる経営戦略や会計、リーダーシップといった抽象度の高い知を、数分単位の動画に再構成することで、忙しい管理職層にも学習機会を提供しています。

特に評価されているのは、組織内で共通言語を形成できる点です。経営学者ピーター・ドラッカーが指摘したように、知識労働者の生産性は思考の質に左右されます。グロービスはフレームワークや概念を揃えることで、意思決定の質そのものを底上げする役割を果たしています。

プラットフォーム 主な価値 学習が生まれる仕組み
Schoo 参加と習慣化 ライブ授業とコミュニティ
Udemy Business 即戦力スキル 自己選択型の講座群
グロービス学び放題 体系的ビジネス知 短時間・共通知識化

三者に共通するのは、「学習を管理しない」という思想です。視聴ログや修了率を監視するのではなく、学びが仕事にどう接続されるかを重視しています。これは、総務省やパーソル総合研究所の調査で示された、日本社会人の学習時間が極端に短いという現実への、実践的な回答だと言えます。

EdTechは万能薬ではありませんが、Schoo、Udemy、グロービスの事例は、学習を阻害してきた構造要因に対し、体験設計で切り込む有効なモデルを示しています。企業がどのプラットフォームを選ぶかは、どのような学習文化を育てたいのか、その意思表明そのものになりつつあります。

リスキリングハラスメントという新たなリスク

リスキリングが経営戦略や国策として推進される中で、見過ごせない新たなリスクとして浮上しているのがリスキリングハラスメントです。

これは、学習そのものが善であるという前提が強まるあまり、個人の状況や権利への配慮を欠いた形でスキル習得を迫ってしまう現象を指します。

学ばせる側の正義感が、そのまま圧力や恐怖に転化してしまう点に、この問題の根深さがあります。

観点 適切なリスキリング推進 リスキリングハラスメント
学習の位置づけ 業務上の必要性に基づく支援 個人責任としての押し付け
時間・費用 業務時間内・会社負担が原則 業務外・自己負担が前提
評価との関係 挑戦プロセスを含めて評価 未習得を理由に不利益評価

近年、ハラスメントの定義は急速に拡張しており、パワハラ防止法の運用実務においても「業務上の適正な範囲」が厳しく問われる傾向にあります。

専門家の間では、リスキリングを業務命令として扱う以上、学習時間や心理的負荷も労務管理の対象に含めるべきだという見解が共有されつつあります。

特に「このスキルがないと今後は通用しない」といった発言は、指導の域を超え、威圧や脅しと受け取られるリスクが高いと指摘されています。

また、リスキリングハラスメントは、成果主義やジョブ型雇用と結びつくことで顕在化しやすい側面もあります。

スキルの可視化が進むほど、学ばない人が「努力不足」「時代遅れ」とラベリングされ、組織内で孤立する危険性が高まります。

人的資本経営を研究する大学研究者の間でも、学習を競争原理に過度に組み込むことが、心理的安全性を損なうという警鐘が鳴らされています。

重要なのは、学習を義務ではなく権利として設計し直す視点です。

企業が成長のためにリスキリングを求めるのであれば、その前提として、選択肢の提示、十分な支援、失敗しても排除されない安心感を同時に提供する必要があります。

学び続けられる組織と、学ばされ続ける組織の差は、この一点に集約されると言っても過言ではありません。

専門家が語る学習文化定着の条件と今後の展望

専門家の議論から浮かび上がる学習文化定着の最大の条件は、制度やツール以前に「人と組織の関係性」を再設計できているかどうかです。人材開発研究の第一人者である立教大学の中原淳教授は、近年の企業人材育成において、学習は能力開発施策ではなく、人材定着と組織適応を支える基盤であると指摘しています。

特に強調されているのが、多様な人材が安心して学び続けられる環境づくりです。中途採用者、若手社員、専門職などバックグラウンドの異なる人材が増える中で、画一的な研修や一律の学習目標は、かえって疎外感を生みやすいとされています。

学習文化が定着している組織では、学びは評価や昇進のための手段ではなく、組織に居続ける理由の一部になっています。これは単なる理想論ではなく、実証的な知見にも裏付けられています。

観点 学習文化が弱い組織 学習文化が定着した組織
学習の位置づけ 追加業務・自己責任 業務の一部・権利
対象人材 一部の選抜層 多様な人材全体
主な効果 短期的スキル補填 定着率・適応力の向上

中原教授は、学習が機能する条件として「心理的安全性」と「意味づけ」を挙げています。失敗や未熟さをさらけ出しても否定されない環境があり、その学びが自分のキャリアや組織の方向性と接続されて初めて、学習は習慣化します。

今後の展望として重要なのは、学習を成果主義や淘汰の論理と結びつけすぎないことです。近年問題視されているリスキリングハラスメントは、学習を成長の機会ではなく、選別の道具として扱った結果とも言えます。

これからの学習文化は、「できる人をさらに伸ばす」ものから、「多様な人が残り続け、変化に適応できる状態を保つ」ためのインフラへと進化していきます。人的資本経営が本質的に問われる時代において、学習文化の成熟度そのものが、企業の持続可能性を映す鏡になりつつあります。

参考文献

Reinforz Insight
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